トリップ 11
ビアンカはある程度の距離まで進むと、急に突進した。その速さは例えるなら”風”だった。先頭の男は、フェロモン満載の甘い香りに鼻腔を支配されたと同時に前蹴りで蹴倒された。
後方は、一瞬躊躇うが直ぐに槍の攻撃に移る。だが、傷を与えない様にビアンカを行動不能にするには、その他大勢の手下では技も知恵も明らかに不足だった。
下手に穂先で突けば致命傷、柄で叩けば痣どころか体に大きな傷が残ると、男たちの動きは鈍かった。ビアンカは、剣で躊躇しながら振り下ろされる槍を簡単に受け流すと、蹴りやパンチで次々に相手を倒して行った。
「何なんだ? 物凄く強いじゃないか……」
ポカンと口を開けたタマが茫然と呟くが、ムネツキは冷静に分析した。
「自分達で足枷をはめたな。奴らじゃ、傷を付けずにビアンカを捕まえる頭なんてないさ」
「今、ビアンカって言った?」
薄笑みを浮かべ、タマがムネツキの顔を覗き込んだ。
「あっ、いや……」
明らかに動揺したムネツキは、慌てて顔を背けた。タマは、そんな仕草を笑顔で見るが、その瞬間に手下の一人が叫んだ。
「お前ら! あの剣をなんとかしろ!」
自分の槍を投げ捨てた男は仲間にビアンカの剣を封じさせ、素手でビアンカを取り押さえようとしていた。
「まずいな……素手なら男の方が力は強い」
「どうすんだよ?!」
急にムネツキが真剣な声を出すと、タマは全身の毛を逆立たせた。だが、ビアンカの剣の動きは速い。二方向同時はおろか三方向からの槍の攻撃でさえ、ビアンカは簡単に退けた。
そして、それだけでは終わらない。剣を抑える事に固辞するあまり、防御が手薄になった男達に容赦のない蹴りや肘打ち、本気のグーパンを叩き込んだ。
「しかし、容赦ないね」
「当たり前だ。下手に手加減しても、回復すればまた襲ってくる。それじゃあ、相手の戦力は減らない……ビアンカの体力にも限界があるからな」
少し安心したタマは、あまりの激しさに溜息を付くが、また冷静にムネツキが解説した。今度はタマは、ビアンカと呼んだ事を当然スルーする。だが、ムネツキの最後の言葉は次第に現実になり始めた。
あれだけ勢いのあった、ビアンカの動きが次第にキレを失って行く。残る敵は少ないが、明らかにビアンカは肩で息を始めていた。そして、タマのお腹の底がキュンと冷たくなった瞬間、ビアンカの足が縺れた。
その隙を逃さず、一人の男が槍を投げ捨て死角から猛然と飛び掛かる。
「待てっ!」
叫んだのはムネツキだった。そしてその対象はタマであり、タマはビアンカに飛び掛かる男の顔に、渾身の爪を立てた。だが、猫の攻撃など高が知れている。数回は引っ掻くが、直ぐに掴まれ身動きが取れなくなった。
「何だ! このクソ猫!」
捕まえた男は大声で怒鳴るが、初めに素手で捕まえようとした男が、ビアンカの表情を見逃さなかった。直ぐに、タマを毟り取ると短刀を取り出し突き付けて叫んだ。
「剣を捨てろ! 猫を殺す!」
一瞬動きを止めたビアンカは、小さく溜息を漏らすと剣を捨てた。
「何してる! オイラに構うな!」
叫んだタマに、ビアンカは優しく微笑んだ。咄嗟にムネツキは飛び出そうとするが、頭の中に強烈な声が飛び込む。
(今は待て。お前は、この場を去れ)
無視して飛び出そうとしても、体の自由が利かない。気配に振り向くと、川の向こうに銀色の狼の身も凍る視線があった。突き刺さる視線を無理矢理切り、抵抗を試みるがムネツキの体は金縛りの様に動く事が出来ない。
悔しさで体中が震えるが”今は行かない”頭でそう返事をすると、嘘の様に金縛りが解けた。
「必ず戻る!!」
ビアンカに叫ぶと、残り少なくなった男達を蹴散らしムネツキは離脱した。
「手間、取らせやがって……」
呆れと驚きが入り混じる声で呟きながら、男はビアンカを縛った。タマは猛烈に暴れ抵抗するが、袋に押し込まれその辺に捨てられた。
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人買い達のアジトは、森の中にあった。ビアンカが入れられた牢はには、数人の娘が捉えられていた。全員が死人みたいな覇気のない目、外国人であるビアンカが入って来ても誰も表情を変えるどころか、見向きもしなかった。
「あなた達も、捕まえられたの?」
一人の娘に話し掛けるが、少しビアンカを見ただけで返事は無かった。
「必ず、助けてあげる」
「…………無理よ」
ビアンカの凛とした声に、その娘は小さく口を開いた。だが、その表情は悲しさと絶望に支配されている。そして、その一言を最後に口を閉ざした。
見回して、次々に話し掛け体を揺すっても、娘達は魂の抜け殻みたいに誰も反応しなかった。
その後、薄暗く湿った空気の充満する牢獄は無言の世界に閉ざされた。
ビアンカは娘達に気を使い、それ以上聞くのを止めて自らも体を休める為に横になった。目を閉じると、暗い瞼の上に更なる闇が掛けられた。今の状況を打破する為に、あらゆる角度から思考を巡らせるが、妙案など急に生まれるはずもなかった。
ふいに胸の底が冷たくなる。体全体が震え出す……もしかしたらと、ほんの少し考えが傾くだけで、涙が溢れそうになった。小夜や真桜、勇之進や士郎、タマやムネツキ……この世界に来て知り合った者たちが、次々に脳裏を通り過ぎた。
そうするうちに次第に思考は活動を鈍らせて、頭痛を伴いフェードアウトしそうになる。娘達の絶望感が、ゆっくりとビアンカを侵食し始めていた。
それは漆黒の底なし沼に嵌ったビアンカの両手両足に絡み付き、沼の底へと引き摺り込む。
だが、漆黒の闇の中に微かな変化が現れた。それはとても暖かくて、懐かしい感覚だった。
「……十四郎……」
声にならない声が、ビアンカの口から零れる。氷の様な胸の奥に、何かが湧き出した。それが何なんなのか……後悔? 絶望? 少し違う……ビアンカは思考を巡らせる。そして、頭の片隅に一つの考えが浮かんだ。
”もう、二度と会えないのかな”
その瞬間、ビアンカは飛び起きた。その最悪な思考で自分の全てが崩壊する……他人事みたいに分析するが、体は激しく抵抗した。急に湧き出す何かが分かった、その正体に気付いた。
「嫌っ!! 絶対に嫌だっ!!」
ビアンカは叫んだ、声の限り叫んだ。




