トリップ 10
ビアンカは道を聞きながら、三峯神社を目指していた。何度も道を聞いたが、ビアンカの容姿に驚きこそすれ、皆親切に教えてくれた。途中で小夜から教えてもらった武家屋敷で馬を借りた。勇之進の事を話すと、対応した主は快く馬を貸してくれた。
「三峯神社って、知ってる?」
馬小屋で一頭の馬にビアンカが話し掛けると、驚いた顔で振り返った。
「言葉が分かるの?!」
馬は興奮して、話し掛けた馬以外も騒ぎ出した。
「急に話し掛けたら驚くよ、普通」
馬小屋の手摺に座り、タマが呆れた様に言った。
「どうして此処にいるの?」
驚きは馬だけでなくビアンカも一緒だった、思わずイントネーションがおかしくなる。
「教えたのはオイラさ、最後まで見る責任がある」
「そんな……小夜が心配するじゃない」
当たり前の様に言うタマは耳をピクピクさせるが、心配顔のビアンカはタマに駆け寄った。
「大丈夫だよ。小夜は武家の娘だ、心得てるさ。それより、連れて行くならアイツだね」
タマは騒ぐ馬達の中で、一頭だけよそを向いて欠伸している馬を指した。漆黒の馬体は色艶も良く、精悍な脚はシルフィーを連想させた。タマに言われ、近付こうとしたビアンカを屋敷の主が止めに入った。馬達の騒ぎに、驚いて駆け付けたのだ。
「あの馬はおよしなさい。脚は速いが、何より気性が激しい」
「ご心配なく、大丈夫ですよ」
ビアンカは、主の静止を柔らかく制して馬に近付いた。
「私はビアンカ。三峯神社まで、連れて行って欲しいんだけど」
「三峯神社に何の用だ?」
馬はビアンカを睨むとドスの効いた声で言うが、別に驚いてる様子は無い。
「大口真神様に会いに行くの」
「何だと!」
馬は大声で前脚を振り上げるが、ビアンカは全く動じなかった。
「私は行かなければならない」
正対したビアンカは、真っ直ぐな眼差しを向ける。その碧い瞳には一点の曇りもなく、馬はゆっくりと脚を下ろし、ビアンカを見据えた。
「訳は?」
「十四郎の元に帰る為に……その方法をお導き頂きたいの」
ビアンカは視線を逸らさず、はっきりと言った。
「十四郎? あの鬼斬り十四郎か?」
少し驚いた顔で、呟く馬は表情を一変させた。
「そうだけど……」
その呼び名はあまり好きでないビアンカは、声のトーンを落とした。
「仕方ない……乗れ、私はムネツキ」
訳が分からず、ビアンカはムネツキに乗った。遠巻きに見ていた主は、驚きの表情を浮かべ茫然と立ち竦んだ。荒馬だが名馬の素質があると引き取って以来、鞍を乗せるだけで一苦労、誰一人乗った事のない馬をあっさりビアンカが乗ったのだから。
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「どこまで、付いて来る気なの?」
背中にしがみ付いているタマに、ビアンカは呆れた様に言った。
「オイラにはビアンカを守る責任があるんだ。何かあれば、小夜が悲しむ。そんな事より、ムネツキって言ったら、ここいらでも評判の暴れ馬だよ、よく乗せてくれたよな」
超高速で走るムネツキの半端じゃない振動に揺られながら、タマは必至で話す。
「さあ、どうしてかしらね」
とぼけるビアンカだったが、ムネツキの速さには驚いていた。シルフィーにも匹敵し、もしかしたらアルフィンにだって比類する速さだった。だが、シルフィーやアルフィンの様に滑らかに走る訳ではない、まるで荷車に乗って断崖絶壁を転げ降りるてるみたいだった。
しかもビアンカの手綱など完全に無視、自分の走りたい速度や場所を勝手に走る。それでも振り落とされないのは、ビアンカの騎手としての資質の高さだった。
「そこまで急いでないんだけど!」
しかし、あまりの乗り手を無視した暴走にビアンカはムネツキに大声を掛けた。
「お前、尾行されてるのに気付いてないのか!」
ムネツキも大声で怒鳴り返す。
「尾行? まさか?」
「オイラ、気付かなかったよ!」
泣きそうなタマの声、驚くビアンカだったが心当たりは全く無い。万が一、勇之進達だったら、ムネツキがこんなに警戒するはずはない……。
「人さらいの連中だ! 異国の女は格好の獲物だからなっ!」
道は既に集落を抜け、人気の無い街道に入っていた。シルフィーとなら道を外れても怖くはなかったが、ムネツキの場合は勝手が違う。平坦な道でもビアンカの技術を持ってしても、振り落とされない様にするのが精一杯だったから。
「どうするつもり?!」
「追手は振り切った! 後は待ち伏せがに事を祈るだけだが……」
ムネツキは叫んだと同時に語尾を曇らせ、急に速度を落とす。ビアンカは悪い方の予感が頭を過り、数分でその予感は現実となった。
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前方に見えたのは、槍衾だった。如何にムネツキとは言え飛び越えるのは不可能、道は一本道で片側は大きな川、反対側はビアンカが初めて見る田んぼで沼地の様に見えた。
「後方からも追手、挟まれたな」
速度を落としたムネツキは深刻な声で言うが、ビアンカは落ち着いていた。
「私が血路を開く、ムネツキはタマを連れて逃げて」
「気は確かか? 相手は十人以上だぞ」
「そうだよ、いくらビアンカが強くても無理だよ」
落ち着いて聞き返すムネツキとは対照的に、タマは完全に取り乱していた。
「降りろ!」
集団の先頭で、派手な着物を肌蹴た凶悪そうな男が怒鳴る。
「おい、待て」
ムネツキが止める間もなく、ビアンカはさっと降りた。男は醜悪な笑みで笑い、後方の男達も続いて笑った。
「聞き分けがいいじゃないか」
「怪我をしたくなかったら、通してもらおう」
腰の剣に手を掛け、ビアンカは落ち着いた声で言った。
「何だ? 喋れるのか。こいっぁ、好都合だ。さぞかし高く売れるな」
満面の笑みだが、ビアンカはその笑い顔に嫌悪感を感じた。ビアンカの世界でも人買いや奴隷の制度はあるが、気にも留めてなかった。だが、自分がその境遇に対面した時、初めて搾取される側の理不尽さや、怒りを覚えた。
無言で剣を抜くと、ビアンカは男達の方へ歩き出す。
「待て! やめろっ!」
「ダメだよビアンカ! 早まっちゃ!」
ムネツキやタマが必死で止めるが、ビアンカの耳には届かない。
「野郎ども! 大切な商品だ、間違っても傷物にするんじゃねぇぞ!」
男は振り返ると派手に手下に怒鳴る。だが、ビアンカは怒りの表情で男達に更に近付いて行った。流石のムネツキも表情を強張らせ、タマは自分のせいだと半泣きだった。
だが、その様子を川の反対側で静かに見詰める影があった。影は、いぶし銀の毛並みをした一頭の狼で、その鋭い眼光は唯一点、ビアンカの背中を凝視していた。




