トリップ 9
「あなたは十四郎の妹……」
木刀を落としたビアンカは、ふらふらと真桜に近付き思い切り抱き締めた。そっと、抱き返した真桜は、耳元で囁いた。
「兄上をご存じだったのですね」
「ごめんなさい、十四郎は私の為にココロを失い……眠り続けているの」
涙で声が掠れる。息が乱れて、呼吸が苦しかった。
「訳をお聞かせ下さい」
穏やかな声の真桜に、ビアンカはすすり泣きながら続けた。
「敵に捕まった私を、助ける為に、十四郎は多くの人を斬りました……私なんかの為に……それで……」
「全く……兄上はどんなに強くても、ココロが弱いのです」
溜息交じりに真桜は呟くが、体を離したビアンカは流れる涙を拭おうともぜずに叫んだ。
「違います! 十四郎は弱くありません! ただ、優し過ぎるだけなんです。本当に強いからこそ、逃げずに自分の犯した罪と向き合えるんです!」
「ビアンカ様……」
驚いた様に呟いた真桜はビアンカを見詰め、その真っ直ぐで偽りの無い瞳に優しく微笑んだ。そして、小さく頷くと語り始めた。
「小さい頃は、兄上より私の方が強かったんですよ。それで兄上は父上の怒りを買い、何時も酷く怒られてました。私は、そんな兄上が可愛そうで、ある日わざと負けたのです。しかし、父上にはお見通しでした……父上は激怒し、私を叩こうとしました……ですが、兄上は必至になって私を庇い、背中で父上の怒りを受け止めてくれました」
「十四郎、らしいですね……」
ビアンカは容易に想像出来た。自分の為に妹がやった行為を素直に受け止め、妹を守ろうと必死で庇った姿を。
「私は兄上に泣きながら謝りました。自分の行為は兄上を侮辱していたのだと……しかし、兄上は笑って言いました……”悪いのは弱い自分で、お前を苦しめたのは自分だと”……それから兄上は見違えるように強くなりました……兄上は自分の為でなく、誰かの為に強くなれる人なんです」
十四郎の強さの訳が、今更ながらにビアンカの胸を打つ。愛おしさで、胸が張り裂けそうになり、我慢できずに真桜に抱き付いて子供の様に泣いた。
見ていた小夜も貰い泣きし、士郎も鼻を啜った。
「まさか、十四郎殿とビアンカさんが知り合いなんて……」
茫然と呟く勇之進は、背中の辺りが冷たくなった。と、言う事は十四郎はビアンカの言う、異世界にいる事になるのだ。
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「兄上がそちらの世界に行った訳は想像出来ますが、何故ビアンカ様がこちらに来られたのでしょう?」
座敷に戻ると、真桜は首を捻った。
「分かるんですか? 十四郎が私達の世界に来た訳が」
驚いたビアンカは真桜を見詰め、他の者達も身を乗り出した。真桜は微笑んで前置きすると、考えを述べた。
「私の想像です……多分、兄上は誰かを助ける為に行ったんだと思います。お話ではビアンカ様のお国は四方の国も含めての戦国時代、多くの人々が生死を掛けて戦う最中とのこと。兄上は、救う相手を選ぶ事などはしません。目の前の困ってる人を全力で救うのが兄上なのです。ビアンアカ様、ですから、どうかご自分を責めないで下さい」
真桜の言葉は嬉しい、十四郎なら誰の為でも命を懸けて戦うだろう。しかし、状況は自分を助ける為であり、そのせいで眠りから覚めない……ビアンカの中で事実は変わらなかった。
「前にもお話しした通り、十四郎殿は維新の戦いで多くの仲間の為に戦いました。私も、命を助けられた一人なんです」
「そうです、十四郎様のおかげで、私はこうして兄上と一緒にいられるんです」
俯いたままのビアンカに勇之進は優しく語り掛け、小夜も涙を浮かべ同じ様に囁いた。
「私は絶望的な戦いを経験し、一度は命を失いかけました。そんな私に十四郎殿は、命を与えて下さいました……失いかけて初めて命の尊さと、大切さが分かりました。今の私には輝く未来が見えるのです……すべて、十四郎殿のおかげです」
微笑みながら、士郎はビアンカを見詰めた。
「……問題は、悩む事や後悔する事ではありません。ビアンカ様が、一刻も早く元の世界に戻って、暢気に寝ている兄上を起こす事なのです」
真桜は視点を変えた。それこそがビアンカの望む行先だった。顔を上げたビアンカに生気が戻る、タマに言われた事が改めて心に燃え上がる。本当に望む事が、ビアンカを奮い立たせた。
「私は三峯神社に行きます。そこで大口真神様に会います」
顔を上げたビアンカは、皆の顔を見回した。神様に会うなど誰もが一応に驚くが、ビアンカの表情は一点の曇りもなく、本当に会えるのではないかと思わせた。
「どうしてまた?」
心配そうな小夜に、ビアンカは精一杯の笑顔で言った。
「タマに教えてもらいました」
「タマちゃん?……」
その時、唖然と呟く小夜の膝に急にタマがやって来て、小さく”ニャ~”と鳴いた。
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三峯神社へは、ビアンカ一人で行く事を決めた。ビアンカの気持ちが痛い程分かる、小夜達は付いて行きたいが、笑顔で見送った。
「道は分かるでしょうか?……」
心配顔の小夜の肩に、真桜は優しく手を置く。
「大丈夫です、道は聞けば分かりますから」
「こっそり付いて行きましょうか?」
真顔の勇之進は、気持ちの焦りが顔に出ていた。
「それなら私も」
直ぐに賛同する士郎を、真桜は穏やかに制した。
「私達が迷惑だなんて思ってなくても、ビアンカ様には負担になります。そっと見守ってあげましょう……」
「まあ、神社にお参りに行くだけですし」
真桜の一言で、勇之進は急に現実的な態度になった。
「兄上。三峯神社の大口真神と言えば”狼神”なのですよ。境内で白銀の狼を見たと、周囲では評判なのです」
呆れた様な小夜は、勇之進を諭すみたいな口調だった。だが、士郎は町で噂になってる事も気になっていた。
「大宮の付近は、最近人さらいが多く出没している様で……」
「何故最初にに言わない!」
声を荒げた勇之進が慌てて追う支度をしようとするが、今度もまた真桜の穏やかに制された。
「まだ、真昼間ですよ。途中で馬も借りる事ですし、大丈夫ですよ」
「そうですね、昼間ですよね」
また直ぐに方向転換した勇之進は、何度も頷いた。
「しかし、如何に昼間でもビアンカさんの様な美人なら狙われ易いし、幾ら強くても女の人だし……」
士郎は時間の事など関係なく心から心配していたが、今度は小夜が宥めた。
「ビアンカさんの腕前、見たでしょう。女版”柏木十四郎ですよ」
「確かにな……まともに戦って勝てる者など、そうはいないか……」
呟いた勇之進は遠ざかるビアンカの背中がなんだか、とても頼もしく見えた。
「あれ、タマちゃんがいない?」
急に小夜が周囲を探した。今までは、確かに玄関脇の塀にいたのだ。
「タマの奴、抜け駆けか」
明らかに人に対するみたいに、勇之進はへそを曲げた。
「抜け駆けって、猫ですよ。きっとその辺で遊んでますよ」
呆れた様な顔の士郎は、溜息交じりに呟く。
「士郎さん、タマちゃんは普通の猫ではないのですよ。ねっ、真桜さん」
小夜は笑いながら、真桜に同意を求めた。
「はい。神様を紹介するくらいですものね」
笑顔の真桜に勇之進は頷きながら赤面し、士郎は勇之進の真っ赤になった顔を見て溜息を付いた。




