トリップ 8
「お、お久ぶりです」
勇之進は既に玄関で赤くなっていた。出迎えたのは、二十歳前の清楚な女性だった。如何にも武家の令嬢という気品が溢れているが、優しい面立ちは人を引き寄せる磁力があった。
「ようこそ、お出で下さいました」
三つ指を付き、優しく微笑む彼女の姿に勇之進の心拍は更に急上昇した。
「生憎、兄上からの連絡はありません……全く、何処で何をしているのやら」
心配そうな口ぶりだが決して表情には出さず、彼女の芯の強さを窺わせた。
「是非、会って頂きたい方がいますです。彼女は異国の騎士で、女性で、その、あの」
直立不動、勇之進は声を震わせ単刀直入に言った。咬みまくりや、変なですますなどは置いといて”私がどうして?”という質問を覚悟しながら、その返答が焦る脳内で高速演算されるが、彼女の返答は以外だった。
「私で宜しければ」
「……あっあ、はい。是非、それでは今すぐに」
想定外の返答に、焦って先走る勇之進は自分の言った言葉を脳内で強烈に後悔した。(なんて俺はせっかちなんだ! 相手の都合ってもんを考えんかい!)
「それでは、支度して参ります」
彼女の一礼して家の奥へと戻る後ろ姿は、勇之進の思考を一時停止させた。
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座敷にいるビアンカ達の元に、顔面蒼白の勇之進が駆け込んで来た。
「来た! おいでになった! どうしよう……」
「どうしようって、兄上がお迎えに行ったのでしょう?」
呆れ顔の小夜が、大きな溜息を漏らす。師と仰ぐ勇之進の慌てふためく姿に、士郎はなんだが気持ちが安らぐ気がした。
ビアンカは、勇之進の後に続いて座敷に姿を現した女性に目を疑った。優しく微笑む目元や、陽だまりの様な柔らかな雰囲気、それは紛れも無い十四郎の面影だった。更に、ビアンカの心臓は止まりそうになった……。
「柏木 真桜と申します」
「カシワギ……」
聞こえない位の声で呟いたビアンカの瞳孔が開く、同時に目に入る真桜の着物の帯にある懐刀の金糸袋には”蝶”の紋が刻まれていた。
興奮が収まらない勇之進をさて置き、小夜は愕然とするビアンカに優しく声を掛けた。
「ビアンカさん”蝶”の紋に何か心当たりでも? 無理にとは言いませんが、私達はビアンカさんのお役に立ちたいのです」
「私達も一緒に考えます。遠慮など必要ありません、どんな些細な事でも話して下さい」
士郎も、穏やかに声を掛ける。だが、ビアンカには気持ちの整理が付かない。皆が心配してくれる事は嬉しいが、感謝して縋る余裕さえなかった。ただ、俯き空虚な眼差しで真桜から視線を逸らせた。
「お話を、お聞かせ頂けますか?」
雰囲気を察した真桜は、穏やかに聞いた。舞い上がってる勇之進を置いて、小夜が事の次第や、ビアンカの剣技などを丁寧に話した。真桜は時折相槌を打ちながら、真剣に話を聞いた。
「別の世界から……」
聞き終えた真桜は呟くと、改めてビアンカを見詰めた。真桜から見てもビアンカは美しく、その美しさは”異世界”を信じるに値させた。だが、ビアンカが心を閉ざす訳を容易に想像出来なかった。
「それではビアンカ様、お手合わせをお願い致します」
急に真桜が頭を下げた。ビアンカは状況が分からず、茫然とするが小夜はいち早く察し、ビアンカに対戦を促した。
「真桜さんは、薙刀の名手なんですよ。気晴らしに動くと、悩みなんか吹っ飛びます」
明るい小夜の笑顔は、ビアンカの静止した思考を穏やかに揺り動かした。小さく頷いたビアンカは、小夜に背中を押され、道場に向かった。唖然とする勇之進も、士郎に引っ張られ後に続いた。
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対峙する真桜は着物に白い襷を掛けるだけで、ビアンカから見ても着物の裾は動きにくそうに見えた。
初めて見る薙刀は、槍よりは短いが真桜の背丈よりは長く、木製の柄と刃先に相当する湾曲した部分は竹製の様であり、切先には布のパッドの様な物が付いていた。
「参ります」
真央は半身で構え、まるで柄の長い刀を構えているようだった。初めての武器との戦いに戸惑うビアンカだったが、真桜の最初の一撃は悩みや迷いを吹き飛ばした。
その突きは超速でビアンカの喉元を襲う、瞬時に木刀を添わせ切先を避けるが、次の瞬間には石突が横から迫る。
素早く手首を返して受けるが、身体を回転させた真桜は上段から斬り下ろす。寸前で下がるビアンカに猶予は与えず、返した切先がまた胸元を襲った。
咄嗟に前に出るビアンカ。長い柄物の弱点は間合いの内側だと瞬時に判断した。その速さは尋常ではなく、たまらず真桜は横方向に逃げる。一瞬追う体制を取るビアンカは、直ぐ様立ち止まった。
その状態で真桜の間合いに入れば、突きと袈裟切りの二弾攻撃を受けるのは先程の真桜の攻撃で学習済だった。二人は一旦間合いを開け、構え直した。
「ビアンカさんも凄いが、真桜さんもかなりの使い手ですね」
茫然と呟く士郎に、やっと正気に戻った勇之進が解説した。
「真桜殿は、あの人仕込みだからな……鍛え方が違う、私とて勝てるかどうか。並の剣客など、到底太刀打ちできないさ……しかし、ビアンカさん……」
勇之進は、改めてビアンカの動きに関心した。その動きは、どう見ても”あの人”とダブり感慨に近い感じを抱かせた。
「この感覚……」
呟いた真桜は、確かに感じ取っていた。何度も稽古で味わった、あの懐かしい感覚を。
「どうして……」
ビアンカもまた、不思議な感覚に囚われた。それは、初めて十四郎と戦った時の感覚だった。
「あなたは、兄上をご存じなのですか?」
構えた薙刀を下ろし、真桜は真剣な表情をビアンカに向けた。
「兄上?……」
木刀を下ろしたビアンカは俯くが、前の様なココロの迷いは不思議と消えていた。
「そうです、兄の名は柏木十四郎」
真央の言葉が、ビアンカの心の中で弾けた。




