トリップ 2
家に向かう途中、小夜は俯き加減で照れた様に呟く。
「あの……なんと、お呼びすれば?」
「ビアンカでいいですよ」
明るく答えるビアンカに、小夜は眩しい笑顔を返した。
「私の事は小夜と、お呼び下さい……それで、その……」
「何ですか?」
「ビアンカさんは、その……タマちゃんの言葉が分かるのですか?」
意を決した様に小夜は、ビアンカの顔を真剣に見た。
「えっ、はい」
小夜の顔が、ミルミル好奇心と尊敬が入り乱れる笑顔に変わる。ビアンカも照れた様に微笑み返すが、周囲の風景はビアンカを不思議な感覚で包んだ。
精々二階建ての木製の家は、どれも古くて悪く言えば粗末だが何故が暖かさを感じ、通り過ぎる人々も善良そうで、誰もビアンカを異形の目で見なかった。
何より、たまにすれ違う明らかにビアンカと同じ、金髪や碧眼の人達が周囲と何の違和感もなく溶け込んでいるのが、ココロに優しく振れた。
「あの人達……」
「最近は、異人さんが多いんです。ビアンカさんは、どんなご用件でいらしたのですか?」
明るく微笑む小夜だったが、ビアンカは口籠った。
「私は……」
「あっ、家、もうすぐです。剣術の道場なんですよ」
察した小夜が話題を変える。何気ない気付かいは、ビアンカを優しく包んだ。
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「ここは……」
剣術の道場なんて初めて見たが、何故か気が安らぐ。ビアンカは現役の騎士であり、鍛錬する場所は姿形がちがっても、同じ様な雰囲気だったから。
「こっ、これは、ようこそ、お越し下さいました」
「はじめまして、ビアンカと申します」
迎えに出た小夜の兄は、あまりの緊張に顔を強張らせた。
「兄の勇之進です。道場の師範代をしています」
苦笑いの小夜に紹介されるが、勇之進は耳まで赤くなっていた。それもそのはず、ビアンカは白いサテンのシャツに、真紅のベスト、同じく白のパンツといった軽装だった。
薄手の生地は自然と体のラインを際立たせ、勇之進は目のやり場に困った。そんな、勇之進にビアンカは親しみを感じた。背は高く痩せているが、身体全体から漂う人の良さそうな優しい雰囲気は、確かに小夜に似ていたから。
そして、その雰囲気は初めて会った時の、十四郎の姿と重なった。自分の気持ちが穏やかに静まるのを感じる……それは、やはり……。
通された座敷に、ビアンカは目を丸くする。家具や装飾品の全く無い空間は、寂しさも感じるが、決して殺風景には見えない。逆に質素で清潔な雰囲気は、ビアンカの気持ちを楽にさせた。
出された食事も簡素だが、初めて食べる米も、焼き魚もビアンカの胸を熱くした。その味は十四郎と食べた、川での味……箸には苦労したが、小夜や勇之進の笑顔が助けてくれた。
「ビアンカさんの宿は何処ですか?」
食事の後、小夜が少し意味有り気に聞いた。
「それは……その……」
「決まってないなら、泊まって行って下さい」
返事には即答出来なかったが、小夜の顔が懇願してる様に見えたビアンカは、そっと頷いた。
「もし、ご迷惑でないのなら……」
「兄上! お布団の用意を!」
嬉しそうに立ち上がった小夜は、子供らしい笑顔だった。その笑顔は、昔に自分が父親に向けた笑顔と重なり、自然とビアンカは微笑んだ。
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布団には正直、驚いた。
「床で寝るのね……」
呟くビアンカだったが、森で十四郎と寝た地面を思い出した。固くて、背中が痛くて、寒くて、でも隣には十四郎がいた事が、ゆっくりと脳裏を駆け巡った。そして、一人になると、自然と涙が出た。
川の畔で目覚めてからは、驚きの連続だった。夢と現実の区別も曖昧で、混乱は今も静かに続いていた。もし、小夜と出会わなかったら……そう考えただけで、怖くなった。
「寝てた?」
夜中前、障子を起用に開け、タマが入って来た。
「ううん、なんだが寝れなくて」
起き上がったビアンカは無理して笑った。
「あのさ、本当は何処から来たの?」
タマの質問に、ビアンカは正直に答えた。
「多分、違う世界」
自分の言葉が、ガリレウスの言葉と重なる。多分”世界”とは……思考がほんの少し、焦点を合わせた。
「そうなんだ」
タマは前脚で顔を洗う仕草で、驚いてない口調で呟いた。
「驚かないのね」
「まぁね、オイラ気になったから、異人さんの所のロバートに聞きに行ったんだ」
「ロバート?」
「ああ、老犬だけど何でも知ってる。今の異国に、モネコストロ王国なんて、存在しない。それに、アンタは嘘を付くような人じゃない」
「そんな事、分かるの?」
「うん、何か匂いが違う……それに、あんたの目は、違う場所を見てる」
「そっか……」
仰向けになったビアンカは、天井を見詰めた。
「なぁ、あんたが見てるのは、恋人かい?」
「はうっあっ!?」
図星って巨大な言葉がビアンカの脳天から落ちてきて、真っ赤になったビアンカは変な奇声を上げた。
「なんか、本当に分かり易い奴だな」
嬉しそうに笑うタマを、布団を被ったビアンカが睨んだ。
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朝食を終えたビアンカは道場に行った。稽古は既に始まってはいたが、門下生は数人で、何故が女子供だけだった。
「最近は少なくて……」
照れた様に笑う小夜は、広い道場に視線を流した。ビアンカは壁にもたれ、稽古を見守っていた。そして、稽古が終わり門下生が帰ると、勇之進が汗を拭きながら近付いた。
「いかがですか? 一つ、お手合わせでも」
そう言うと、木刀を手渡した。
「兄上! ビアンカさんはお客様なんですよ!」
血相を変えた小夜が止めに入るが、勇之進の顔は真剣だった。ビアンカとて実戦を経験してから、自分の腕がどうなったか試してみたい気持ちがあった。
それに、十四郎に追い付きたくて、鍛錬も必死でやった……今の自分の力が、どれだけ通用するのかという疑問を晴らしたいと正直に思った。
木刀を受け取ったビアンカは片手で構えるが、直ぐに両手で構え直した。それは勇之進の構えが、十四郎の構えと似ていたからだった。
小夜は固唾を飲んだ。近衛騎士とはいったどういう人なのか? 容姿端麗なビアンカの瞳が、戦士の眼となった事に少なからず驚くが、その真っ直ぐな瞳は小夜に期待感を抱かせた。
「ビアンカさん! 兄の得意は抜刀術です! 出合い頭に注意して!」
「全く、どっちの味方だ……」
小夜の大声に勇之進は少し笑うが、鯉口の位置に左手を添え、帯の位置に木刀を置くと勇之進は体制を低して構えた。
「似ている……」
呟いたビアンカは、思わず笑顔になった。そして、勇之進の構えから最初の一手を分析した。
(剣があの位置なら、最初は横薙ぎ。こちらが受けた後は、剣を返して斜めから斬り下ろす……後は出たとこ勝負)
心で呟くと同時に、ビアンカが先に仕掛けた。




