怪物の感情
一瞬、視野に光が走る。本能的にアインスは剣を振るより、避ける事を選び横に跳んだ。振り向くと地面には、十四郎の刀が刺さっていた。そして、頬を生暖かい血が流れる。
完全に避けたはずだが、頬の痛みはアインスに不思議な感覚をもたらした。それは、何時も子供みたいに無邪気に笑うアインスが、初めて経験する”怒り”……今までは、自分より強い存在など無く、全てを見下していた。
七子でさえも、心の奥底では見下していたのかもしれない。だが、自らの剣を投げ、折れた剣で戦う十四郎の姿はアインスの未熟な思考を混乱させた。
「自分の剣を投げてどうするのっ！ 折れた剣で十分って言いたいのっ！」
アインスはツヴァイの事など忘れ、十四郎に突進した。周囲の兵を深い踏込で一掃した十四郎は、アインスの剛剣をまともに受けた。
細くて華奢な腕からは想像も出来ない衝撃が、十四郎の両腕を殴打し、踏み締めた足元も地面を抉った。
「何？ 何？ 受けるよ、この人」
ぐいぐいと力を込め、アインスは十四郎を押す。背丈は十四郎と同じ位だが、今までで一番の怪力に十四郎は押され始めるが、押し返すと同時に引くと、一瞬アインスは抵抗を失い前のめりになる。
その後頭部に電光石火で手首を返した峰打ちを叩き込む！ しかしそれより更に速く、アインスは剣を後頭部に捻り受け止めた。火花散る金属音が響く、受けた態勢のまま肘で十四郎の横腹に一撃を送る。
十四郎は反対側に跳び衝撃を緩和しようとするが、続け様に斜め上からの片手剣が十四郎の肩口に襲い掛かる。だが、瞬間に刀を持ち替えた十四郎は下方から斬り上げ火花を散らし剛剣の威力を相殺した。
二人は瞬時に下がると剣を構え直す。アインスは剣を持った手を下げ自然体で構え、十四郎は一旦刀を仕舞うと、膝を曲げ、左手で鯉口を支え、右手は軽く柄を握った。
嬉しそうに笑うアインス。体中が歓喜に震え、体内の血は沸騰した。だが、十四郎はツヴァイに襲い掛かる数人の敵兵士を察すると、アインスを置き去りにして何の迷いも無く向かった。
「ちょっと待ってよ……何してるんだよ？」
唖然と呟くアインスを尻目に、十四郎は敵兵を倒し続ける。
「十四郎様！ 私は大丈夫です！ アインスに集中して下さいっ！」
やっと起き上がったツヴァイは、よろけながらも叫んだ。振り向いた十四郎は、戦いながらも笑顔を向けた。
「少し休んで下さい。回復したら、ゼクス殿に合流を」
「しかし！」
ツヴァイが叫ぶと同時に、アインスが十四郎に斬り掛かる。その速さは尋常ではなく、ツヴァイには剣が見えなかった。背筋が凍った瞬間、十四郎は簡単に受け流し横一線の一撃を加える。
アインスとて反撃は想定済み。浅い踏込で、十四郎の折れた剣の長さと打ち込み量を計算していた。だが、確かに余裕を持っていたはずが、腹部に強烈な痛みを感じて瞬時に下がる。
「えっ？」
腹を押えるが、別に切れている訳でもなく無傷だった。そして、網膜には折れているはずの十四郎の切先が残像として残り、更に体の奥深くからアドレナリンが湧き出した。
「凄いよっ！ 今のは何なのっ！」
アインスは叫ぶと、更に打ち込もうとするが、十四郎は踵を返すと今度はノインツェーン達に向かった。
「待てよ……相手は僕だよ……」
怒りに体が震える、自分など眼中に無い十四郎の素振りはアインスを更に追い込む。絶叫すると、ツヴァイに全速で向かった。その勢いは凄まじく、怒りと言う加速装置は音さえも置き去りにする。
受けようにも、ツヴァイがあまりに一瞬の事で態勢どころではなかった。だが、またしても瞬間の光の煌めき、アインスは剣を止めた。
「どうかしてる……最後の剣を投げたら……何も残らないじゃないか」
地面に刺さる折れた刀。アインスは怒りを通り越し、呆れていた。そして、投げた態勢の十四郎に、敵兵が押し寄せた。
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塔に続く道で、敵兵の抵抗は少なかった。理由など、簡単に想像出来るが皆、口には出さなかった。先頭にはココとリルが立ち、正確に敵兵を打倒していた。ルー達は周囲に散らばり、敵兵の接近を阻害しつつ、慎重に進んでいた。
そして、塔が目の前に迫るとリズが真っ先に飛び出した。
「リズ様っ！」
フォトナーの叫びが周囲に木霊し、舌打ちしたリルが追う。
「周囲を警戒して下さい！」
ココは残りの味方に叫ぶと後に続く。そして、その横をルーを先頭に数頭の狼が電光石火で駆け抜け、リズをも追い越して塔の中に走り込んだ。
ルーが塔に入ると、敵兵が向かって来る。
「ここは、マカラの臭いが無いな……」
呟いたルーは、次々に敵兵を倒すとビアンカの閉じ込められている部屋の前に来た。
「ルー様、中は女騎士だけです」
配下の狼が報告すると、ルーは踵を返した。
「父上の元に行く」
「御意」
狼達は、塔の窓から飛び出して行った。塔の階段を駆け上がるリズは、倒れている敵兵など目に入らなかった。爆発しそうな心臓も、滝の様に流れる汗も一切無視して駆け上がる。
「リズ様っ！ 速すぎます！」
弓を構えたままココが、叫ぶがリズには聞こえない。
「気配が無い」
リルも弓を構えたまま走るが、周囲に敵意を感じず首を捻る。罠かと一瞬考えるが、先を行くリズの背中には迷いなんて微塵も無く、小さく息を吐くと気を引き締め直して後に続いた。
最上階、ドアがリズの前に現れる。何の躊躇いもなくリズはドアを開ける。後ろからココの”気を付けて！”という叫びさえ、今のリズには届かなかった。
ドアの向こうには、ベッドに座るビアンカがいた。夢中で飛び付き、リズはビアンカを抱き締めた。涙が溢れ呼吸が苦しい、だがリズは力を緩めなかった。
遅れて飛び込んだココは、状況を確認すると大きな溜息を付き、後方に告げた。
「ビアンカ様は無事です。周囲を警戒して下さい」
リルも構えた弓を下ろすと、直ぐに塔の周辺警戒へと戻った。
「リズ……苦しいよ」
抱き締めたまま、何も言わないリズにビアンカは呟いた。そっと、力を緩めたリズは目を逸らしながら、震える声で呟いた。
「ビアンカ……ごめんなさい」
「どうして、謝るの？」
首を傾げたビアンカの問いにリズは暫く黙っていたが、ゆっくりと話し出した。
「……アルマンニの魔法使いが……十四郎様に聞いた……誰が一番大切か、と……」
「うん」
「……私は……私は、あなたの前で……自分が、一番だ、と……」
途切れ途切れに言葉を震わせるリズに、ビアンカは優しく微笑む。
「あなたは、自分を犠牲にしようと……」
「違うっ！ 私は！ 私はっ！……本当は……心の中で、そう思っていたっ！……あなたの気持ちを知りながら……」
叫んだ後の言葉は、涙と一緒に絞り出した。
「……でもね、十四郎は皆、大切だと言ったよ……私なんか、ね……十四郎をね、これ以上危険な目に合わせ無い様に……死ぬ事が出来なかった……何故だと思う？」
「……」
問い掛けるビアンカの瞳には、大粒の涙が光っていた。リズは言葉を失い、ただ吸い込まれる様に、その美しい瞳を見た。
「私ね、私……思った……死んじゃったら……二度と十四郎に会えない……もう一度会いたい……自分勝手、なんだ……」
止めどなく流れる宝石みたいな涙。リズはビアンカには絶対勝てないと思った。自分とは全く違うと思った……あまりにも純粋で、あまりにも純白で、リズは眩しすぎて目を逸らす。
「でも……会えるのね……」
震えるビアンカは、無理して笑う。その姿は、リズに全てを忘れさせた。心が浄化され、目の前の霧が一瞬で晴れる。
「行こう」
リズはビアンカの手を取り、立たせた。
「うん」
小さく頷くビアンカが、同じ女なのに違う様に感じた。その感覚を現すとすれば、言葉に出来ないくらいに愛しい……それしか思い浮かばなかった。
