ミランダ砦攻防戦 9
インターバルは窮地と同義だった。狼達は包囲の輪を十重二十重と展開し、完全に主導権を握っていた。最早手段は無い、だがシルフィーは落ち着いた言葉をアルフィンに掛ける。
「アルフィン、怖くない?」
「怖いよ……シルフィーは平気なの?」
震えるアルフィンが声も震わす。だがシルフィーは気丈に視線を強め、周囲の狼達を睨んだ。
「私達が諦めたら、ビアンカや十四郎を助けられない」
シルフィーの言葉は、アルフィンの胸の奥に響いた。震えは自然と消え、お腹の底から何かが湧き出すと、思い切り叫んだ。
「私達はローボの元へ行く! 邪魔立てするなっ!」
一瞬、狼達がたじろぐが直ぐに大声で叫び返した。
「その名を気安く呼ぶな!」
「私達はローボと知り合いだ!」
今度はシルフィーが叫ぶ。
その言葉に狼達の顔色が変わる、明らかな動揺は隙を生んだ。
「アルフィン!」
叫んだシルフィーが目前の狼を前脚で薙ぎ倒す、すかさずアルフィンが横の狼に強烈な足蹴りを喰らわせた。途端に陣形は乱れ、後方の狼達は右往左往した。
この瞬間しかない! シルフィーは大きくジャンプして狼の包囲網を脱出する。後から続くアルフィンは、更に大きなジャンプでシルフィーの遥か前方に着地した。ココロの中で、苦笑いしたシルフィーは、加速するアルフィンに追い付こうと更にスピードを上げた。
だが狭い一本道、しかも周囲はうっそうと生い茂る密林で思う様にスピードは上がらない。狼達は狭い木々を簡単に抜け、左右からの包囲網を構築する。二度とローボの名前を使えないと悟ると、流石のシルフィーも焦りで地面を踏み外す。
「シルフィー! がんばれ!」
前方を走るアルフィンが叫ぶ、シルフィーは強く首を振り気合を入れると大きく息を吐いた。
「アルフィン! 勝負だよ!」
こんな時なのに、シルフィーは叫び返す。その声はアルフィンにも勇気を与えた。そしてアルフィンの視界が広くなった道を捉え光が見えた瞬間、目前に多数の狼が現れた。咄嗟の急ブレーキは後ろのシルフィーの追突を招き、二人? は道の真ん中で息も絶え絶えに立ち止まった。
「何だ? 揃って競争か? あいつはどうした?」
聞き覚えのある声、それはローボの息子、ルーの声だった。
「十四郎が大変なのっ!!……」「ローボはどこっ!……」
同時に叫ぶアルフィンとシルフィーに、ルーは呆れた口調になったが、直ぐに真剣な眼差しを向けた。。
「一人ずつ話せよ……それより、父上の話を持ち出した後、なぜ急に走り出した? あのまま話を進め、相手に確かめさせる事も出来たはずだ。我々狼にとって、父上の存在は絶対なのだからな……」
「私達が借りたいのは名前じゃない、実際の助けなの! いちいち説明してる余裕はないの!」
「とにかく急ぐの、ローボの所へ行かせて!」
シルフィーが叫び、アルフィンが被せる。
「だから、何があったか説明しろよ」
落ち着いたルーの言葉に、シルフィーが切れた。
「説明してる暇なんかないっ!」
「話を聞いてからだ」
頑固なルーは行く手を遮る。シルフィーはアルフィンに目配せをすると、急にダッシュするが、直ぐに行く手をルーの配下に押さえられた。アルフィンも動く前に、周囲を囲まれ大声を上げた。
「分からず屋っ! それでもローボの息子なのっ! 少しは悟ってよっ!」
「何だと!」
流石にルーも牙を見せる、大勢の手下の前で愚弄されては示しがつかない。手下の狼も牙を剥いて唸る……一触即発、事態が違う方向へ向こうとした時、凛とした低い声がその場を救った。
「静まれ……十四郎に何があった?」
その姿に周囲は一瞬で静まる。シルフィーもアルフィンも一瞬固まるが、二人? は関を切ったみたいにまた同時に捲し立てた。ローボは黙って聞いた後、周囲に号令を出した。
「後に続け! 但し静かに付いて来い」
「ローボ……」
シルフィーが呟くと、ローボはニヤリと笑った。
「十四郎が我が森を挨拶も無く走り去った時点で、予測は付いていた」
「どうして?……」
今度はアルフィンが首を傾げる。
「十四郎には借りがある……」
呟いたローボは背中を向けるとルーに目配せし、走り出した。笑顔になったアルフィンとシルフィーも後に続く。
「イタストロアの狼も続け!」
ルーは周囲の狼に告げると後に続いた。
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後ろ手に縛られた十四郎は、七子の前に座らされていた。手下の者から十四郎の刀を受け取った七子は、鞘から抜くと顔を近付け刀身を見た。
「刃こぼれも無い……銘すら打たれぬ新刀も使い手次第か……」
少し笑った七子は、おもむろに近くの岩肌に刀を振るう。刀の切れ味を見て来たビアンカは、真っ二つになる岩を想像したが、高い金属音と共に刀は折れた。そのまま放り投げた七子は、十四郎に向き直る。
「この世界では刀は手に入らない、鬼斬りも終わりだな」
十四郎は顔色を変えなかったが、ビアンカは胸が押し潰されそうだった。そこにリーオが数十人を従え到着した。直ぐに横たわるベルッキオに気付く、何の敬意も無いその遺体の様子にリーオは怒りを七子にぶつけた。
「魔法使い殿! 訳を聞かせて頂きたい!」
「訳? 何の訳だ?」
全く意に介さない七子に、リーオの怒りが爆発する。
「仮にも一軍の将! 敬意を持って……」
「敗者に敬意など無いっ!」
リーオの言葉を遮り七子は叫ぶが、リーオの怒りは収まらない。直ぐに部下に指示し、ベルッキオの亡骸を丁重に軍旗に巻く作業に入る。そんなリーオを無視した七子は、急に配下に耳打ちした。
配下の男は急いでビアンカに近付くと無理矢理に立たせ、腹に拳を当て気絶させた。ラモスやリズも立ち向かおうとするが、後ろ手に縛られていて抵抗も空しく叩き伏せられた。
「ビアンカ殿をどうするつもりですか?」
声を押し殺し、十四郎が鋭い視線で七子を睨んだ。
「その眼だ……それこそ、鬼斬りの眼だ……ここでは邪魔が入りそうなのでな、場所を変える」
七子はそう言うと、また配下の者に指示する。屈強そうな数人が、ビアンカを馬に乗せ七子と共にその場を去ろうとした。振り返る七子は、十四郎に強い視線を投げ、従う数人の男女を紹介した。
「この者達はアルマンニの青銅七騎士、無手では手強い相手だ……」
ラモスやリズはその名前に聞き覚えがあった。アルマンニには皇帝直属の青銅、白銀、黄金の其々の七騎士が存在する。青銅は個別の白兵戦を得意とし、白銀は兵を率いた集団戦や知略に特化、黄金は全てを兼ね備え凌駕する最強集団……。
だが皇帝直属の青銅七騎士が、七子に従う意味をラモスは考え叫んだ。
「青銅七騎士が何故お前に従う?!」
「何故だと? 」
振り向いた七子は、声を上げて笑った。
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様子を窺うココは飛び出すタイミングを見計らうが、周囲に気配を感じ場所を変えた。そこに武装した集団が現れる。一瞬砦からの援軍かとも思ったが、装備はバラバラで騎士と言うより野盗という感じだった。
「アルマンニの兵ではない……味方なのか?……」
慎重なココは、様子を見ることにした。今は動くタイミングではない、それよりリルの行動が気になった。大丈夫なんだろうか……そう思ったが、直ぐにココは笑顔に変わった。ついさっきのリルの態度が頭を過ったからだった。
だが、反対側のリルはココの思惑とは少し違う行動に出る。素早く弓を身構えると、近付く不明の兵の前に立ちはだかった。弓を引く右手には数本の矢を持ち、一瞬で前衛の不明な兵を倒す体制を維持しながら。
「何者だ?」
「お前こそ何者だ?」
先頭の男がリルを睨み返す。どう見ても十代で、幼さが残るその面影はどこか見覚えがあった。
「私は魔法使い十四郎の、弓……」
一呼吸置いて、リルは自分の事を”弓”と言った。
「そうでしたか……我々は魔法使い様を助けに来ました」
男は片膝を付くと、リルに頭を下げた。
「誰に頼まれた?」
リルは直ぐに聞き返す。
「我々の意志です……魔法使い様は、我がモネコストロにおいて大切なお方、やがて訪れる新しい世界を導く希望なのです」
”新しい世界”その言葉が気にはなったが、リルは敢えて考えない様にした。この状況では味方は少しでも多い方がいい。
「私が合図するまで、動くな」
それだけ言うと、リルはまた十四郎の方に視線を向けた。
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急にローボが立ち止まる。
「どうしたのローボ?」
直ぐにシルフィーが問い、アルフィンが焦りの表情を浮かべた。
「もう直ぐなのに、どうして?」
「我々の他に近付く者がいる……数は、そう……百以上」
「何処の兵ですか?」
シルフィーの問いに、ローボは怪しく笑った。
「敵になら隠れて近付く必要はない。多分……十四郎を助けようとする勢力……但し、騎士ではないようだ」
「味方なの? 何者なんですか?!」
更にアルフィンが声を上げる。見てもいないのに、何故分かるのかという疑問が頭を駆け抜ける。シルフィーはローボの慧眼に改めて驚く、それは正に”神”の領域だと少し背中を悪寒が走った。
「さあな……ただ、面白くなったのは確かだ……ルー、敵を分断しろ。後方の敵を近付けるな」
直ぐにローボはルーに指示した。
「父上は?」
「十四郎の所へは私だけでいい」
「分かりました……続け!」
ルーは全ての狼を引き連れ、敵を分断する為に移動を開始した。
「一人で大丈夫なの?」
アルフィンの心配そうな声に、ローボの代わりにシルフィーが答えた。
「大丈夫、アルフィン……ローボが”神獣”と呼ばれてる訳が分かるよ」
それぞれの思いが交錯する場所で、事態が弾ける瞬間が迫っていた。




