帰る場所と始まる混迷
安堵と疲れからか、ビアンカはシルフィーの上で船を漕ぎ始めた。時間は夜中過ぎ、無理もないと十四郎は微笑む。
「最近ビアンカは、ずっと寝不足でしたから」
揺らさない様に進むシルフィーは、十四郎を見上げる。
「どうしてまた?」
不思議そうな顔をする十四郎に、アルフィンが突っ込む。
「十四郎、ビアンカの気持ちに気付かないんですか?」
「気持ち?」
ポカンとする十四郎に、アルフィンは大きな溜息を付く。
「ありがとう、アルフィン」
なんだかうれしくて、シルフィーは礼を言った。
「それより、何処か水場は無いですか?」
十四郎は二人? に聞く。
「そうですね、あちらから水の匂いがします」
「あっ、本当だ」
先にシルフィーが気付き、アルフィンも同意した。十四郎はシルフィーの言う方向へ、アルフィンの手綱を向ける、暫く行くと小川があった。その畔で止まると、ビアンカに言った。
「ビアンカ殿。もう遅いので、この辺で休んで行きましょう」
「えっ、はい」
寝ぼけマナコのビアンカは、同意するとシルフィーを降りた。十四郎はシルフィーとアルフィンの鞍を外し楽にさせてあげると、鞍の下のマットを地面に敷いた。そして、ココに貰った包みを開けた。そこには火打ち石が入っていて、微笑んだ十四郎は枯れ木を集めると火を起こした。
「ビアンカ殿、少し待ってて下さい」
ビアンカをマットに座らせると、十四郎は小川に向かった。一人で待つビアンカは放心状態に近かった。多分生まれて初めての極度の緊張、初めての実戦、初めての単独行動、初めて尽くしの一日……どうして、こんなに動けたのかなとボンやり考えて焚火を見詰めていた。
「アルフィン、この草は食べられるのよ」
シルフィーは食べられる草を教え、小川の水で喉を潤した。
「シルフィー、何でも知ってるのね」
少し驚くアルフィンの態度は、シルフィーをいい気持にさせた。暫くして戻った十四郎の刀には数匹の魚が刺さっていた。手早く内臓を抜き、枝に刺すと良い匂いが空腹のビアンカを包んだ。
外で食べる焼き魚、穏やかな焚火……オレンジ色の炎の向こう側には、十四郎の笑顔があった。暖かい炎と美味しい魚は、ビアンカを幸せな気分で包み、何より十四郎と二人きりの時間が愛おしく感じた。
追い詰められ、激しく興奮し、張り裂けそうだったビアンカのココロは今、最高の落ち着きで安定してした。
「あの、十四郎……」
「はい?」
「今度、何処かへ行く時は……教えて下さいね……」
十四郎に逢えたら一番に言いたかった事、何故が素直に言えた。
「はい」
小さく頷いた十四郎に、ビアンカは最高の笑顔を送った。それ以上、話は進まなかったが、お互いのココロは通じ合っていた。
ビアンカは安堵感と空腹が満たされると、睡魔が襲って来た。地面で寝るなんて想像もしてなかったが、横になると疲れのせいか直ぐに眠りに落ちた。
十四郎はビアンカの寝顔を見ながら、焚火を絶やさない様にしていた。静かな寝息と子供みたいな寝顔は、十四郎のココロを穏やかに癒した。
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目覚めは太陽の光と小鳥のさえずり、そして目の前の十四郎の寝顔だった。その寝顔はビアンカの胸を締め付ける、見ているだけでビアンカは赤面した。振り向いて見たシルフィーとアルフィンも笑っている様に見えた。
「おはようございます」
「お、おはよう」
突然起きた十四郎に、真っ赤になったビアンカの声が震えた。急いで小川に行くと顔を洗い、シルフィーに鞍を付けた……焦りと恥ずかしさで、戸惑いながら。
十四郎と一緒に走る道は、行きの道と同じはずなのに全然違っていた。行きはあれ程長く感じられた道も、帰りはあっと言う間に感じられた。
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ケイトの家に着いたのは午後に入ってからだった。直ぐにメグが飛び出して来る、十四郎の胸に呼び込むと、大声で泣いた。泣きじゃくるメグを抱き締めると、その小さな体が切なかった。
ビアンカは、その様子を見届けるとシルフィーの手綱を引く。
「ビアンカお姉ちゃん、ありがとう」
メグは十四郎の腕の中から、泣きながら礼を言った。
「うん」
笑顔で返事したビアンカは、ケイトに一礼すると走り去った。
「おかえりなさい……」
ケイトも礼を返すと、十四郎に微笑む。その声も涙ぐんでいる様に聞こえて、十四郎の胸は締め付けられた。
「なんとか約束は守った様だな」
足元に来たアミラが見上げた。
「メグ殿……今度、何処かに行く時は必ず言います……もう、黙って行ったりしません」
「ほんと……」
腕の中のメグは涙を拭い、十四郎を濡れた瞳で見上げた。。
「少しは成長したな」
首を傾げ笑うアミラは、尻尾を振る。
「そうですね」
十四郎はアミラの視線を真っ直ぐに受け止めた。
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ビアンカは近衛騎士団詰所に直行し、ザインに報告に向かった。リズも一応笑顔を向けたが、直ぐに俯く。何か変だとは思ったが、一通りの説明をした。黙って聞いていたザインは、急に深刻な顔になった。
「東の国境、ミランダ砦にイタストロア軍が迫っている。」
「イタストロアとは不可侵条約が……」
「形式上は国家間の善意の約束に過ぎない、破ったとしても取り締まる術は無い」
ザインの言葉は暗く沈む。
「国境騎士団だけでは到底支えきれない。遠征騎士団は北方のアルマンニに対し牽制中で、直ぐには支援に向かえない……砦付近の村からは傭兵を集めてはいるけど、如何せん数が少ないの」
リズが続けて声を落とす。
「我が近衛騎士団も支援に参加するしかない。入れ……」
ザインは立ち上がると、部屋の中に誰かを呼んだ。入って来たのはマルコスで、小さく礼をした。
「アルマンニは我が国をイタストロアに押さえさせ、最終的にはフランクル侵攻を画策しています」
「確かなんですか?」
悪寒に襲われたビアンカは、マルコスを見詰めた。
「はい……私の調べた所、間違いはありません……計画の中心にいるのは、アルマンニの魔法使いです」
脳裏に浮かんだ七子が、洞窟の時に見た憎しみを露わにした表情でビアンカを睨む。
「……彼女は何を……」
話の続きをマルコスに求めるビアンカは、言葉が続かない。
「魔法使いは、協力者を我が国及びフランクルに潜入させ、多くの情報を得ています……情報を精査する事で、戦力投入の適正化を図り今までに無い作戦を展開しています……翻弄され後手に回った我々は、受け身の戦いしか出来ません」
七子が十四郎を狙うのは明らかだが、それ以上に何かを企んでいる。ビアンカは、その恐ろしい計画に愕然とする。ビアンカは思い出した様にマカラの話をした。ザインの顔は更に険しくなり、マルコスに意見を求めた。
「マルコス、どう思う?」
「マカラを使えば無敵の軍隊が出来ます……魔法使いはブランカを拉致し、ローボをおびき寄せたんでしたね」
マルコスは要点を知っていた。多分、隣の部屋で聞いていたのだろう。しかし、そんな事は問題ではなかった。
「マカラは何処にあるのですか?」
想像は出来たが、ビアンカは聞いた。
「聖域の森、ローボの住処近くにだけ存在します」
あの時! ビアンカは思い出す。十四郎と狼が話していた内容はこの事だったのだ、心配を掛けない様に十四郎は笑顔を向けたのだと、分かった。
「魔法使いが手に入れた事は間違いないでしょう。どれ位の量かは推測でしかありませんが、おそらくそう多くはないはずです。使い方も限られるでしょう、一度使えばその兵は死ぬのですから……ただ、切り札としては最強ですが」
少し声のトーンを落とすマルコス。マラカの存在が身を持って体験した恐怖と重なった。
「それだけじゃ無い。国内には王政転覆を狙う不穏分子の動きもある、庶民が中心となっているが領主や貴族達の中にも共闘する者達が存在する」
追い打ちを掛けるザイン。たった一日で国とビアンカを取り巻く環境は激変し、現状としては追い詰められたと言う表現しか当てはまらなかった。
「魔法使いが現れる時、世が変わる……」
呟いたリズの言葉が十四郎の笑顔と重なり、七子の顔と混ざった。事態は動き出した、その中心にいるのは十四郎だと、それだけは分かったビアンカだった。
振り返って見る窓の外の景色は、何時もと変わらずそこにあった……しかし、遠くの空には暗雲が見えた。
「始まるんですね……」
自分自身に言い聞かせるみたいに、ビアンカは呟いた。
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第一章 完




