聖域の森 7
険しい獣道も、まるで苦にせず進むアルフィンに、振り向いたルーがニヤリと笑って言った。
「天馬と呼ばれるだけの事はあるな」
「アルフィン殿を知ってるのですか?」
不思議そうに首を捻る十四郎に、呆れ顔のルーが溜息を付く。
「アンタの馬だろ……天馬は、この国どころか、周囲の国でも有名なんだぜ」
「そうなんですか? アルフィン殿」
「はぁ、多分」
照れた様なアルフィンを、十四郎は優しく撫ぜた。
「参ったな、夜目も利くのか?」
日が陰り、周囲が闇の始まりを告げてもアルフィンの速度は落ちない。しかも体力と持久力には自信のあるルーでも大変なのに、アルフィンは平気で付いて来る。
「見える訳ではありませんが、十四郎と一緒なら何も怖くありません」
”一緒なら”という言葉がルーの胸に何故か引っかかる。ローボは会話に聞き耳を立てるが、アルフィンの言葉に素直に頷いた。騎手としての十四郎の腕と、アルフィンに資質が合わされば、まさに天下無敵だと。
盗賊の隠れ家に着いた時には、すっかり暗くなっていた。狼達は平気だろうが、十四郎には何も見えなかった。
「空を見上げよ」
ふいにローボが言う。十四郎が言う通り顔を上げると、空には満天の星が輝く、暫くそうやった後、周囲を見ると不思議だが何とか辺りが見えた。そして、山裾の奥に微かだが光がチラチラしていた。
「ブランカの匂いがする」
「母上!」
ローボが呟くと、ルーが飛び出す。
「待って下さい!」
十四郎の声にルーが急ブレーキを掛けた。
「何なんだ!」
振り向いたルーが怒鳴る。
「私が一人で行ってきます」
「バカを言うな、俺が行く!」
落ち着いた声の十四郎に、ルーが牙を剥いた。
「あなた方が行けば盗賊達は混乱し、ブランカ殿に危害を加えるかもしれません。人である私なら、まさかブランカ殿を助けに来たとは思わず油断するはずです」
「しかし!」
「十四郎の言う通りだ。ルー、任せるのだ」
食い下がるルーにローボが静かに言った。アルフィンはローボが十四郎と呼んだ事に驚いたが、十四郎は平然としていた。
「母上の事を、人間に託すのですか?!」
「十四郎は唯の人間ではない、魔法使いだ」
ローボの言葉は穏やかだった。何度も聞いた”唯の人ではない”最初は意味が分からなかったが、今は確かに分かる。ルーは耳を下げ、うな垂れると小さな声で十四郎に言った。
「母上を頼む……」
「分かりました。アルフィン殿もここで待っていて下さいね」
ルーに頷いた十四郎は、今度はアルフィンに向き直った。優しい声だったが、その声には拒否する言の出来ない強さがあった。
「何かあったら、直ぐに呼んで下さい」
せめて、それだけは言いたかったアルフィンは、俯きながら言った。
「勿論です」
今は十四郎の笑顔が見れないアルフィンは、少し目を逸らせた。
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「シルフィー、急いで!」
シルフィーは、森の外れのマルコスの小屋に全力で向かっていた。ビアンカの気持ちを楽にしてあげたい、それしか今は考えてなかった。
手掛かりを見付けた、十四郎に会える……それだけでビアンカはの胸は苦しみから解放される。さっきまで感じなかった降り注ぐ太陽や柔らかな風を、今は感じられた。
頭の片隅には、照れる様に微笑む十四郎が浮かぶ、自然とビアンカは笑顔になる。
この気持ちをどう表現するのか、まだビアンカは分からないが、走り続けるこの道は必ず十四郎に繋がっている。その事だけは、はっきりと分かった。
小屋に着くと、ビアンカは蹴破るみたいにドアを開け叫んだ。
「十四郎は何処に行ったの!?」
「これはビアンカ殿、血相を変えて」
少し驚いた顔で、マルコスが奥から出てきた。
「いいから答えて!」
「何処で知りました?」
顔を真っ赤にして叫ぶビアンカに、落ち着いた声でマルコスが聞いた。
「ケイト家の猫よ、さあ早く教えて」
「言葉が分かるのですか?」
「分かる訳ないじゃない、シルフィーに聞いてもらったのよ! 早く!」
言葉は次第に早くなる、焦りと苛立ちが顔に出る。マルコスはその表情に首を傾げた、近衛師団でも最強と言われ、風格や威厳さえ兼ね備えたビアンカの取り乱し……そう言えば武闘大会でも、同じ様にビアンカが普通ではなかった事を思い出した。
「聞いてどうします?」
「助けに行きます!」
「助ける? もしも、あなたの思う状況ではなかったとしたら?」
マルコスは、わざと話の方向を振ってみる。何故がまた、ビアンカの対応が見たくなったからだった。
”魔法使い”人々はそう口にし、自分自身も身を持って体感した……今回も、その十四郎の賭け、託した。自分を含め、十四郎は周囲をどの様に変えるのか興味があった。
「どう言う、意味、ですか?」
さっきまでの勢いが急に萎む、ビアンカにも分かっていた。いなくなる原因が、何か事件や事故に巻き込まれたとは限らない……最悪は、誰か他の女《人》と……考えただけで、どうかなりそうになる。
今までは決して考え無い様にしていた。少しでも浮かぶと、無理やり思考から追い出した。事件や事故ならビアンカにも対処はあるが、もしそうなら、自分にはどうする言も出来ない。十四郎とは知り合いだが、それ以上ではなかったから。
それは向き合いたくない真実で、ビアンカが一番触れたくない現実だった。
自然に俯く、顔を上げると涙が毀れそうになる。小刻みに震える体をマルコスに見られたくない……しかし、我慢すればする程、体は震えた。
目の前のビアンカが最強の女騎士ではなく、普通の女の子みたいに見えたマルコスは少し笑みを漏らした後に告げた。
「聖域の森に薬草を取りに、弟子の母親が……」
言葉の途中でビアンカは飛び出すと、シルフィーに乗って風の様に走って行った。唖然と見送るマルコスは、苦笑いする……場所も聞かないでどうするのかと。
そして、焦って取り乱し、分かり易く興奮するビアンカの背中を見てながら十四郎の姿を思い出した後、独り言みたいに呟いた。
「魔法使い……か」




