軒猿
ベルガルの剣筋は言わば剛剣、しかも速度と正確さを兼ね備えていた。怒らせて、力の配分を狂わせ様とした策略は、開始即に無駄だとツヴァイは理解した。
怒りの表情と反比例する様に、バルガルの剣は確実にツヴァイを追い込んだ。だが、受けると同時に攻撃に出るツヴァイの剣も、ベルガルの予想を遥かに上回っていた。
「既に青銅騎士の範疇ではないか……」
一旦距離を取ったベルガルの言葉に、ツヴァイは背筋を伸ばした。
「度重なる実戦、しかも相手の多くは私の実力を遥かに超えていました……少しは上達したと自負しています」
「ならば、この度も同じだな!」
大上段からの烈火の踏み込み! 剣を振る音が後から付いて来る様な強烈な一撃! まともに受ければ衝撃で剣を持つ腕が痺れ、二の太刀で決着だと瞬時にベルガルは思考するが、ツヴァイは軽く受け流す。
勢い余ったベルガルの剣先が速度と加速を逃がせず、ブレーキを掛けた腕に激しい圧力を反射する。その一瞬、ツヴァイの剣がベルガルの剣に沿って斬り上げられた。
間一髪で首を捻って躱すが、超速で腕を返したツヴァイの剣が更に迫る。だが、ツヴァイの剣は速度を落とした。
加速の途切れた自らの剣を横薙ぎして反撃するベルガルは、怒りに腕が振るえた。ツヴァイは腰を引いて躱すと、後方に飛んだ。
「今の一撃……どう言うつもりだ?」
ベルガルの声は振るえるが、ツヴァイは冷静に言った。
「私は十四郎様の様に極めてはいません。あのままだと、剣先が貴殿に……」
「言うなっ!!」
怒髪天を付いたベルガルの怒涛の打ち込み! だがツヴァイは受ける剣と受け流す剣を巧に使い翻弄した。だが、ツヴァイ自身も相手に致命傷を与えないで倒す一手は、そう簡単には出ず膠着に近い戦いとなった。
火花と轟音! 剣が巻き起こす風圧! 互いの体力は消耗するが聖剣の加護のあるツヴァイの方が有利に運んだ。
(勝機は必ず来る、このままの戦いを継続するのだ)
自分に言い聞かせたツヴァイは、一瞬感じた視線にタイミングがズレた。そんな瞬間を見逃すベルガルではない、超速の突きがツヴァイの喉元に迫った!。
避けても掠る! ツヴァイが思考と同時に回避行動をした瞬間! 轟音と火花を撒き散らしベルガルの剣が弾かれた。
「ダメです」
そこには瞬間移動したかの様な、アウレーリアの姿があった。
「……速すぎる……」
言葉が揺れるベルガルだったが、最初から凝視していたマインシュタインでさえアウレーリアの動きは全く見えなかった。
正対するアウレーリアの胸に輝く逆さ十字の紋章は、この場に居る無言で全ての者を威圧した。だが、その静寂を破る男が、アウレーリアを見詰めながら不機嫌そうに言った。
「全く俺を見ない……何度も機会を与えたのに……」
不満そうな男は、漆黒のフードを外した。中肉中背、眠そうな目、ぼさぼさの黒髪、明らかに東洋系だが、普通過ぎて目立たない風体はツヴァイに不気味な感覚を与えた。
「さっきの視線……あいつか」
呟くツヴァイを完全にスルー、男は上目遣いにアウレーリアを見た。
「あんたが、最強の騎士か?」
「誰?」
アウレーリアの美しい青い瞳は、男を完全には見ていなかった。
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「貴様! 今は私が……」
ベルガルが男に叫んだ瞬間! ベルガルの喉に短剣が突き刺さった。噴水の様な血飛沫を上げながら、ベルガルが絶命する。だが、その短剣が何処から飛んで来たのか、ツヴァイには見えなかった。それはマインシュタインも同じで、状況から男が投げたと判断するしかなかった。
見た事も無いその短剣は、菱形の切っ先、棒状の持ち手には丸い輪が付いていた。だが、その短剣は血飛沫を撒き散らし、男の手に戻った。
男とアウレーリアの残し、後の者は置き去りにされた。
「さて……」
男がそう言った瞬間! アウレーリアの足元に短剣が落ちた。が、地面に落ちたはずの短剣は、また音も無く男の手に戻った。
「いつ剣を抜いたか見えなかった」
男は怪しく笑った。
「ノキザル! 相手はアウレーリアだぞ!」
マインシュタインが叫ぶが、軒猿と呼ばれた男はアウレーリアしか見てなかった。だが、肝心のアウレーリアは、軒猿など見ていなかった。
ツヴァイは背筋に冷たいモノが走った。短剣が男の手に戻る時、一瞬何かが光ったのだ。
「……細い糸……」
呟くツヴァイだったが、軒猿は眠そうな目のまま呟く様に言った。
「なあ、あんた。柏木十四郎より……強いんだろ?」
アウレーリアの視線が、軒猿の方を向いた。刹那! アウレーリアは軒猿の居た位置に瞬間移動するが、その場所に軒猿は居なかった。
遥か後方で、軒猿は呟く。
「動きはそれ程でもない」
また瞬間移動のアウレーリアが居た場所に跳ぶが、軒猿は既に居ない。そして、離れた場所に軒猿が居る事にツヴァイが気付くと同時! アウレーリアの周囲で火花と金属音が連続した。
「何なんだ……」
唖然とするツヴァイ。アウレーリアは剣で”何か”を連続超高速で受け流してる様に見えた。
「見えない糸で、複数の短剣を操っている……まるで、短剣一つ一つに意思がある様だ」
マインシュタインもまた、唖然と呟く。
「あいつは、聖騎士団ではないのですか?」
ツヴァイはマインシュタインの真剣な顔を見た。
「半年前だ……」
マインシュタインは、ゆっくりと話し出した。
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話の中での軒猿は普通だった。否、普通過ぎた。諜報活動中の山中に、軒猿は居た……だが、ボロ布みたいに汚れ、瘦せ細り瀕死だった。獣に投げ与えられる様に与えられた食事を、軒猿は貪る様に食った。
そして、山中に置き去りにしたはずの軒猿は、気付くと聖騎士団の厩舎に居た。幾ら追い出しても、翌日には普通にそこに居た。
名前どころか、軒猿は何も喋らず表情も感情も全て見せなかった。そして、だだ、普通に日々は流れた……その間、軒猿は何もする事はなく、ただ獣の様に食って寝るだけだった。
不思議なのは、そこからだった。何もしない何も話さない軒猿は、何時の間にか聖騎士団に居付いていた……誰一人、気に留める事も無く。
月日は流れ、軒猿が初めて喋る時が来た……。それは、騎士団総長室で、モネコストロの魔法使いの話題が出た時だった。
「……柏木十四郎が……ここに、居るのか?」
その声には、怒りの様な感情を初めて感じられた。




