最悪
「乗れっ!!」
真紅の獅子になったマアヤが叫ぶが、ツヴァイは静かに言った。
「無駄だ、逃げられない」
視線を外したくとも、ノヴォトニーの視線はツヴァイの眼球を根底から掴んで離さなかった。
「凄まじい、闘気、だな」
カラカラになった喉で、ココは言葉を絞り出す。リルとノインツェーンは青褪め、言葉すら出なかった。
「何だ? 魔物も仲間にしたのか?」
腕組みしたエリーゼが、美しい口元から牙を覗かせた。だが、誰も言葉を失ったかの様に言い返せなかった。
「呑まれるなっ! アタシが……」
マアヤが変化を解き叫んだ瞬間、噴水の様な血飛沫と共に右腕が地面に落ちた。その鮮血は、更にツヴァイ達を固まらせた。だが、マアヤは右腕をゆっくり拾うと元の部分に合わせると、あっと言う間に血は止まり右腕は元通りになった。
「まだ、話は終わってない……」
マアヤはエリーゼを睨みながら言うが、その瞬間にまた疾風の様な風がマアヤを襲った。そして、物凄い風圧は周囲にまで及ぶが、風圧が通り過ぎれば超速で伸びた爪でエリーゼの剣を受け止めるマアヤの姿があった。
「ほう、受けたのか」
薄笑みを浮かべ顔を近付けるエリーゼに、マアヤは物凄い視線で睨み返した。既に体全体は沸騰しながら紅の陽炎を浮かべ、魔物の本能だけがマアヤを包んでいた。
「気を付けろっ!」
マアヤの姿は呪縛からツヴァイを解放して大声を出させるが、その刹那! 鍔迫りの態勢からエリーゼの姿は動いて無い様に見えたが、次の瞬間マアヤの身体は数か所から血飛沫が舞った。
次は首が飛ぶ! ツヴァイが凝視した瞬間! 銀の光を纏った超高速の矢が数本、エリーゼに迫った。だが、マアヤに強烈な前蹴りを喰らわせると、一刀両断で矢を叩き落としたエリーゼは矢の放たれた方向を薄笑みを浮かべたまま見た。
後ろに豪快に吹っ飛んだマアヤに、素早くツヴァイが駆け寄る。
「大丈夫か?」
「ああ……」
マアヤは気を集中して、数か所の傷を止血した。そして、ツヴァイはマアヤが小刻みに震えているのに気付いた。それは、怒りなのか恐れなのかは分からなかった。
「今の矢は何だ?」
エリーゼが言うと同時に、また光の矢が迫る。今度は更に数が増え、その中には明らかに光が大きな矢も混じっていた。リルに続いてココも渾身の矢を放ったのだった。
「ちっ!」
エリーゼは光の矢を見えない剣速で弾き返すが、大きな光の矢は超速の剣を僅かだが減速させた。そして、その隙に一本の光の矢がエリーゼはの頬を掠めた。
滴り落ちる鮮血……エリーゼの顔から笑みは消え、真紅に燃え上がる物凄い眼光と共に、口元からは鈍く光を反射する鋭い牙が微かに震えていた。
その様子を見たバラッカが背中の筋肉を妖しく高揚させながら、ゆっくり歩み寄ろうとするが、薄笑みを浮かべたノヴォトニーが丸太の様な腕で制した。
「任せておけ。魔道具を持っていても、たかが”人”だ」
ノヴォトニーは”人”と言う言葉を蔑む様に言った。その言葉を受け、バラッカも筋肉の高揚を収め、口元だけで笑った。
「さて……」
剣を肩に担ぎ、エリーゼはまた笑みを浮かべた。
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「まずいぞっ!」
並び掛けて来たローボが叫んだ。
「どうしました?!」
叫び返す十四郎の背中は悪寒に包まれた。
「奴らが現れた!」
「マアヤ達のとこだよ!!」
「場所は分かりますか!?」
感じ取ったアルフィンが叫ぶと同時に、十四郎が叫んだ。
「分かる!」
「では、直ぐに!」
アルフィンは即答する。だが、ローボは最悪を叫んだ。
「幾らお前でも間に合わん!」
その言葉は、更に十四郎の胸を締めつけ動悸を加速させた。だが、その動悸はアルフィンの声が即座に癒す。
「ワタシなら間に合う! 十四郎! 行くよっ!!」
そうアルフィンは叫ぶと、前後の脚は宙を舞った。その神憑りな加速に十四郎は態勢を低くして、更に物凄い風圧に目を閉じた。
「シルフィー!! お願いっ!」
「任せて!!」
聞いていたビアンカの声に、シルフィーも加速を開始した。アルフィンの勝るとも劣らない加速は、走り去った後に疾風が渦巻いた。
アウレーリアは黙ってバビエカの腹を蹴る。
「あいつ等に追い付けってか!?」
「はい」
頷くアウレーリアの瞳は、静かに燃えていた。
「簡単に言うなよなっ!!」
涙を浮かべ加速状態に入るバビエカの後姿を見たローボは、ふっと息を吐くと態勢を低くして全力の加速を始めた。
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村に現れたイタストロアの騎士は、目を疑った。村はもぬけの空で、何処を探しても食料は見当たらなかった。
「よく探したのか?!」
指揮官は大声を出すが、返事は同じだった。
「誰も居ませんし、食料も残ってません。畑の作物や家畜さえ何もありません」
「どう言う事だ……」
「我らが貰った」
指揮官が首を捻っていると、銀色の巨大な狼が姿を現した。その声は低く、強力な畏服の念が込められていた。
「何だと……」
指揮官は何とか言い返すが、声は震えていた。
「命が惜しくば、直ぐに去れ」
ルーがそう言うと、夥しい数の狼が騎士達を取り囲んだ。全ての狼は、鋭い牙を剥いて威嚇の唸り声を上げている。戦える騎士達は十数人、後は荷物運びの者達だけの陣容は足早に村から出て行った。
ふっと笑みを浮かべたルーに、灰色の狼が耳打ちした。
「ローボ様が、異形の魔物達と対峙します」
「何だと!」
ルーは直ぐに事態を把握する為、神経を研ぎ澄ます。距離があり詳しくは分からないが、確かに感じ取った。
「行かれますか?」
灰色の狼は、平然と言った。
「しかし、父上の言い付けは……」
ルーはローボの言葉を思い出し、言葉を濁した。
「策は終りました。既にこの場にルー様が残る必要はありません。後の事は我らにお任せ下さい」
「そうか、任せた!」
ルーはそう言うと、物凄い勢いで走り出した。脳裏には十四郎やローボ、そしてビアンカの姿が何度もリフレインしていた。




