解術
その時は突然やって来た。
「えっ?」
ビアンカを縛っていた見えない力が、急に無くなった。だが、そのタイミングは最悪で、アウレーリアの剣とビアンカの揚羽が火花を散らし瞬間だった。
アウレーリアはビアンカの異常など全く気にもせず、急に力の抜けた揚羽を見えない程の速さで叩き落とした。
揚羽が地面に落ちる瞬間! 立ち竦むビアンカの頭上にアウレーリアの剣が振り下ろされた! 。
その刹那! 三本の矢がアウレーリア目掛けて神速で迫った! 瞬時に何事も無く打ち払うアウレーリアだったが、見えない速度で剣を返して再び剣をビアンカに向けた。
「ビアンカ様っ!!」
「させないっ!」
その瞬間! 背後からツヴァイが飛び込む! 同時にノィンツェーンもビアンカ目掛けて飛び込んだ。リルは間髪入れずに最高速度で矢を連射する! ビアンカとアウレーリア、ツヴァイとノィンツェーンが、スローモーションの様に交錯した。
だが、ツヴァイの目に、目を伏せたビアンカの悲しそうな顔が瞬間見えると、渾身の力で地面を蹴ってビアンカとアウレーリアの剣の間に体を滑りこませ……ようとした。
だが、容赦のないアウレーリアの剣は、ツヴァイの背中に向けて振り降ろされた。
『いいのか?』
ビアンカの脳裏に、ローボの言葉が輪唱の様に響いた。その言葉は、静止していたビアンカの心を瞬間に再起動した。
アウレーリアに飛び込むツヴァイを前蹴りで吹き飛ばし、飛び込んで来たノィンツェーンを抱きながら後方に跳んだ。そして、跳ぶ瞬間に足で揚羽を浮かせてしっかりと右手で掴んだ。
当然、アウレーリアは超速で迫るが、その見えない速度で打ち込まれる剣を、しっかり揚羽で受け止めた。ノィンツェーンは抱き抱えられたまま、体を捻ってアウレーリアに飛び掛かろうとするが、ビアンカは耳元で優しく呟いた。
「大丈夫だから」
「ビアンカ様……」
ノィンツェーンがビアンカの美しい横顔に、頬を染めた瞬間! またリルから放たれた矢がアウレーリアに向かう! それは数本単位で連続し、しかも見えない位に超速だった。
流石のアウレーリアも一旦、距離を取る。しかも、下がりながらも全ての矢を叩き落としながら。
距離を取るアウレーリア。ビアンカはノィンツェーンをそっと離すと、揚羽を構えノィンツェーンを庇うように前に出た。転がっていたツヴァイも、慌ててビアンカの傍に来て剣を構えた。
「何を惚けている! 剣を構えろ! ビアンカ様を守るんだ!」
「えっ? あっ、そうだ!!」
ツヴァイの声に我に返ったノィンツェーンも、直ぐに剣を構えて臨戦態勢を取った。三対一、否、四対一でもアウレーリアはビアンカだけを見据えていた。
「ビアンカ様、術は解けましたか?」
「はい。もう大丈夫です」
ツヴァイの問いに、振り向いたビアンカは優しい笑顔を向けた。だが、アウレーリアには剣を納める気配はない。ツヴァイは咄嗟に大声を上げた。
「ビアンカ様の術は解けた! 十四郎様が敵を倒したのだ! 剣を収めよっ!」
「無理みたい……」
ツヴァイの大声が届いても、アウレーリアは剣を納める気配はなかった。
「二人共、下がって下さい」
ビアンカは背筋を伸ばすと、穏やかに言った。そして、アウレーリアに対峙した時、ローボが現れた。
「何をしている?」
「……」
近付いたローボの問いに、アウレーリアは答える事無くビアンカだけを見据えていた。溜息をついたローボは、更に続けた。
「直ぐに十四郎が戻って来る。お前は役目を果たしたのだ」
今度は”十四郎”と言う言葉に、アウレーリアが反応した。ふっと、表情が緩むとゆっくりと剣を下げた。
それまで極度に緊張していたツヴァイ達は、大きく安堵の溜息に包まれた。だが、ビアンカはアウレーリアが、十四郎の為に戦っていた事に、改めて胸の痛みを感じた。
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程なくして、十四郎が戻って来た。そして、傍にいたマアヤをアウレーリアが炎の瞳で見据え、剣には手が掛かっていた。
「何だよあの女」
マアヤは身震いすると、さっと十四郎から離れ、十四郎は頭を掻きながら苦笑いした。
「十四郎様!」
駆け寄ったツヴァイに、十四郎は笑顔を向けた。
「皆さん、ご苦労様でした」
「それで、どうなりました?」
ツヴァイは事の顛末に、息を飲んだ。
「それが、ご老人は勝手にせよと……」
「そうですか……」
苦笑いの十四郎に、ツヴァイは安堵の大きな溜息をついた。だが、駆け寄ったのはツヴァイだけではなかった。風の様にアウレーリアは十四郎の傍に立って、頬を染めていた。
「アウレーリア殿、ありがとうございました」
「……はい」
十四郎の言葉を受けたアウレーリアは、俯き加減で小さく頷いた。そして、ビアンカを差し置いて、リルが怒鳴った。
「十四郎から離れろ!」
「そうだ、離れろ!」
直ぐにビアンカを抱き抱えながら、ノィンツェーンも叫ぶ。当然ビアンカは、立っているのが精一杯で、今にも泣きそうな顔だった。
「声を掛けたらどうなんだ?」
呆れ顔のローボが、十四郎を見上げながら言った。
「あっ、そうですね……ビアンカ殿、大丈夫ですか?」
「……はい……私は……」
ビアンカは十四郎の優しい笑顔を受けると、自分が十四郎に剣を向けた事への呵責で体が震え、涙が溢れた。
「ビアンカ殿、あっ、その、どうしたんですか?……」
慌てる十四郎をドンと突き飛ばし、ローボはビアンカの傍に行った。
「術に掛かったのは、お前のせいではない。それより、見ろボンクラを……お前が泣くので取り乱してるぞ」
青くなって慌てる十四郎の姿が、ビアンカの壊れそうな心を優しくそっと包み込んだ。そして、その涙は自然と乾いて、ビアンカはぎこちない笑顔を十四郎に向けた。
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暫くの後、マルコスとラディウスが合流した。
「何なんだ、急にパペット達が引いて行ったぞ」
「十四郎様が砦の主と話を付けましたので」
「そうか……やっと、終わったな」
ツヴァイの説明を聞いたマルコスは、特大の溜息で地面に座り込み。ラディウスも、安堵の表で地面に座り込んだ。
やがて、リズに付き添われたガリレス達もその場に到着した。リズは直ぐにビアンカを抱き締め、ビアンカも思い切りリズを抱き締めた。その様子を穏やかに見守っていたガリレウスは、十四郎に微笑んだ。
「やり遂げましたな」
「いえ、皆さんのおかげです」
笑顔で返答した十四郎だったが、その背後から老人が現れると、ガリレウスは片膝を付いて頭を下げた。
「大賢者、フラメル様」
「賢者などではない……ワシは錬金術師じゃ……詳細な計画を聞かせよ」
「この城を使わせて頂く事で、アルマンニの侵攻を防ぎ……」
フラメルは目を閉じながら、ガリレウスの詳細な説明を静かに聞いた。




