人外の欠片
「感じる……」
「えっ?」
急に呟いたビアンカに振り向き、シルフィーが首を傾げた。
「そうね……アウレーリアは物凄く怒ってる……十四郎は、後を追った」
肩のライエカが、そう呟いた瞬間にビアンカは手綱を握り締めた。噛んだ唇と、泣きそうな顔がシルフィーの胸を揺さぶった。
多分ビアンカは十四郎の気配を感じただけだったのだろう……だが、十四郎が何の為に動いたかを、知りたくはなかった。その訳は、ただの”痛み”しかならなかったから。
「しっかりしなさい……あなたは、十四郎の為に来た。それなら、最後まで通しなさい」
ライエカは優しく言った。だが、ビアンカに優しい言葉は逆に辛かった。
「引き返す?」
スピードを落としたシルフィーの問いに、一瞬考えたビアンカは首を振った。
「アウレーリアの追ってるのは紅の獣王。あれは、元はフェアリーだったの……邪心が強くて魔に落ちた……」
「危険なの?」
ライエカの説明に、シルフィーが眉を顰める。
「純粋な程、紅の獣王に取り込まれる。特に、あなたなんか……ビアンカ」
「……私は純粋なんかじゃない……嫉妬で……胸が引き裂かれそう……」
穏やかなライエカの言葉が、またビアンカの胸を締め付け絞り出した声が震えた。
「十四郎がいけないのよ。ビアンカがいるのに、他の人ばっかり心配して……」
少し怒った様なシルフィーの言葉に、ライエカは苦笑いした。
「確かにそうね。十四郎は誰にでも優しいから……」
シルフィーもライエカの言葉に同調するが、ビアンカは俯いたまま何も言わなかった。その様子を見たライエカは、ビアンカの濡れる瞳を見詰めた。
「紅の獣王は、十四郎の弱みを突いて傷を負わせた……多分、アウレーリアにも弱みを突いて来る……」
「あの人に弱みなんてあるの?」
ライエカは言葉を濁すが、シルフィーは首を傾げる。鬼神の様なアウレーリアに、弱みなど考えられなかったから。
それは、ビアンカも聞きたいと思った……でも、心の半分では聞きたくないとも思っていたのだった……プライド。そう言うモノもビアンカは思い出していたのだった。
「聞くの? 聞かないの?……」
「私は……」
ライエカの問いに、ビアンカは言葉を詰まらせた。小さく溜息を付いたライエカは、ビアンカの耳元で囁いた。
「行けば必ず辛い思いをする……それでも行く?」
一旦俯いたビアンカは真っ直ぐに遥か先を見詰めると、小さく頷いた。
「分かった……シルフィー、速度を上げて」
「うん!」
ライエカは優しく笑い、シルフィーは促されるままに速度を上げた。
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遠くにアウレーリアの背中を見付けたバビエカは思わず口走った。
「アイツ、何を考えてるんだ?」
だが、走るアウレーリアの背中は、とても小さく見えた。溜息をついたバビエカは、速度を上げるとアウレーリアに並んだ。
「何を熱くなってる?! 魔法使いは大丈夫だ!」
しかし、アウレーリアは全くバビエカを見なかった。
「こっちを見ろ!!」
叫んだバビエカを、アウレーリアは横目で見ながら立ち止まった。珍しく肩で息をする姿にバビエカは驚くが、正面からアウレーリアの顔を見詰めた。表情は変わらなかったが、その吸い込まれそうな美しい瞳には”怒り”が見え隠れしていた。
「魔法使いを傷付けられて怒ったのか?」
「……」
真っ直ぐにバビエカを見るが、アウレーリアは何も言わなかった。
「全く……魔法使いが大事なら、傍から離れるなよな……あんな状態で魔物が来たら、幾ら魔法使いだって……」
バビエカの言葉に、アウレーリアの躰がビクっとした。瞳からは怒りが消え、体を小刻みに震えさせた。
「戻るぞ……」
「……」
「何してる? 早く乗れ」
アウレーリアは、黙ってバビエカに跨った。
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周囲に魔物達を配置して、紅の獣王はアウレーリアを待った。そこは、地元の魔物の巣窟であり、平伏した地元の魔物は恐る恐る聞いた。
「あなた様に従った同胞は、ことごとく灰塵に喫しました……あれは、何なのですか?」
「あれか? あれを人だと思うか?……あれは”人外”……いや、欠片だ」
薄笑みを浮かべた紅の獣王を見て、魔物は深紅の目を見開いた。
「まさか、そんな……」
「さて、あの女が止まった様だ……」
立ち上がった獣の獣王に、魔物が聞いた。
「どちらへ?」
「来ないなら、迎えに行くまでだ」
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気配はバビエカにも分かった。邪悪で陰湿、気分さえ最悪になる感じに、バビエカは速度を上げようとするが、前方に人影を見つけると速度を落とした。
そして、振り返って見たアウレーリアの瞳には、怒りが再燃していた。そして、立ち塞がった紅の獣王は、怪しい笑みを浮かべた。
「これ程までに虚無な存在……お前は何なのだ?」
アウレーリアは何も言わなかったが、紅の獣王の言葉にバビエカは無性に腹が立った。
「魔物如きに言われる筋合いはない!」
思わず叫んだバビエカだったが、紅の獣王はアウレーリアだけを剣の様な鋭い視線で見た。
「大切なのは、あの男か? 心配ない、あの男はワタシが引き裂いてやる」
紅の獣王の言葉と同時に、アウレーリアは突進した。だが、寸前でアウレーリアの動きが止まり、瞬時にバビエカがアウレーリアを突き飛ばした! 紅の獣王の鋭利な爪が寸前で宙を斬った。
「どうした?!」
バビエカが叫んでアウレーリアを見ると、肩の辺りから鮮血が滴っていた。
「お前でも血が出るんだな……」
当然の事だが、バビエカは何故か嬉しく感じた。
「……十四郎……」
うわ言の様に呟いたアウレーリアの手から、剣が落ちた。確かにアウレーリアの瞳には、紅の獣王が十四郎に見えていた。
「心配ないからな……」
庇うようにアウレーリアの前に出たバビエカは、穏やかに言った。




