怒りと苛立ち
「追って来るのか……」
経験した事の無い悪寒の様な感覚が、紅の獣王を包み込んでいた。そして、次々に足止めに送った魔物達の”気”は泡の様に消えていた。
何故、自分の居場所が正確に分かるのか? そんな疑問も感じるが、アウレーリアから放たれる凄まじい怒りが紅の獣王を捉えて離さなかった。
「あれは一体、何なのですか?」
追随する魔物が、恐怖を浮かべた顔で聞いた。
「さあな……」
ぶっきらぼうに答える紅の獣王だったが、背中の汗は乾かなかった。そこに、別の魔物から報告が入った。
「三魔獣が来ました……」
「奴を止めろ……」
紅の獣王は、静かに背中で呟いた。
「御意」
報告した魔物は、闇に消えた。三魔獣なら足止めにはなる……一瞬の余裕が、アウレーリアに対する策を閃かせた。紅の獣王は、怪しい笑みを浮かべた。
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アウレーリアの前に立ち塞がったのは、人の躰に牡鹿の顔を持つ魔物に、同じく人の躰に熊の顔を持つ魔物だった。そして、その二体の後ろには人の躰に猿の顔を持つ魔物が怪しく笑っていた。
牡鹿の魔物は長い槍を持ち、熊の魔物は巨大な斧を肩に当てていた。猿の魔物は棍棒と剣を両手で弄んでいた。その恐ろしい外見は、人を恐怖に陥れるのには十分のはずだったが、アウレーリアは全く表情を変えなかった。
「恐ろしさで気が動転したか?」
「……まるで、人形の顔だな……」
牡鹿の魔物は怪しく笑い、熊の魔物はアウレーリアの表情に首を傾げた。
「ただの人形じゃない」
猿の魔物は、周囲に散らばる夥しい魔物の死骸を見て視線を強めた。そして、アウレーリアに視線を向けるが、アウレーリアは猿の魔物など完全に無視していた。
「……どいて」
真っ直ぐ歩いて来るアウレーリアは、猿の魔物を見ないで言った。
「そうはいかない!」
猿の魔物は左右から棍棒と剣を同時に振り下ろしながら叫ぶが、剣と棍棒は虚しく地面に突き刺さった。
「……どうやって避けた……」
牡鹿の魔物が唖然と呟いた瞬間、アウレーリアの剣が一閃! 猿の魔物の片腕が地面に落ちた。
「とんでもないな」
腕を拾いながら、猿の魔物は薄笑みを浮かべる。そして、切断面に合された腕は一瞬で元に戻った。
「同時に行くぞ……」
アウレーリアの左右から牡鹿と熊の魔物が迫り、正面では猿の魔物が棍棒と剣を振り上げた。
「……」
剣を下げたままアウレーリアは表情を変えなかったが、三魔獣の後方にも夥しい魔物の気配を感じると、小さく息を吐いた。
アウレーリアの周囲は数えきれない魔物に取り囲まれると、眼光が鋭くなった。それは、明らかな”苛立ち”であるが、アウレーリアには経験した事のない感覚だった。
行く手を阻む魔物達を睨み付けたアウレーリアは、剣を構え直した。剣は青白い光を揺らし、アウレーリアの怒りに同調しているようだった。
「あの剣は、我ら魔の者達の守護だったのではないのか?」
棍棒を降ろした猿の魔物は、目を見開いて声を震わせた。
「人などに従う剣ではないはずだが……」
「まるで、あの女が主のようだ……」
熊の魔物は首を捻り、牡鹿の魔物は鋭い視線を向けた。だが、その瞬間にアウレーリアが動いた。
そして、三魔獣を含む魔物達は……灰塵となった。
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「十四郎殿!!」
駆け付けたロメオが叫んだ。
「ローボ! 十四郎は?!」
顔面蒼白のマリオに、ローボは治療を続けながら言った。
「大丈夫だ。傷は浅い」
「十四郎殿が傷を受けるなど……」
驚くラディウスに、顔を向けたローボは穏やかに言った。
「紅の獣王の術に掛かったのだ」
「術ですか?」
驚くラディウスに、ローボは強い視線を向けた。
「今まで十四郎が奪った命に化けたのだ……」
「それで十四郎殿は……」
全て悟ったロメオの呟きに、ローボは声を落とした。
「剣を振えば無敵でも、コイツは弱い……バカで後先を考えない愚か者だ……」
「そんな事は……」
直ぐにラディウス反論しようとするが、ローボは更に穏やかに言った。
「……お前達の望む未来は険しく遠い……こんな奴に付いて行くのか?……」
「勿論です」
ラディウスは即答し、ロメオもマリオも同じ様に頷く。
「……そうか」
小さな声でローボは呟き、何時の間にか集まって来た大勢の男達に目を向けた。そして、ロメオは聞いた。
「アウレーリアはどこへ?」
「紅の獣王を追って行った」
「一人でですか?」
ローボの問いに、ロメオは驚きを隠せなかった。
「あれ程怒ったアイツは、見た事がない」
「そうですか……でも、アウレーリアなら心配は入りませんね」
ロメオの言葉に、ローボは声を押し殺した。
「女子供に化けても、あの女は表情を変えずに斬った。だが……十四郎に化ければ……」
「はっ……」
ロメオが声を発すると同時に、十四郎が起き上がった。
「まだ、無理だ」
「行かねばなりません」
止めるローボに、十四郎は穏やかに言った。
「また繰り返すだけだ。お前に過去は斬れない」
「今を救えるなら斬れます……いえ、斬ります」
刀を杖に起き上がった十四郎の傍に、アルフィンが素早くやった来た。
「ローボ。十四郎は止められないよ」
「勝手にしろ」
溜息交じりのローボを他所に、十四郎はアルフィンに跨った。見送るロメオは、ローボに聞いた。
「……大丈夫ですよね」
「……多分、な」
ローボの口元は、微かに笑っていた。




