幻影
赤いたてがみは風が吹く度に火の粉を舞わせ、紅の獣王は美しい顔で怪しく微笑んだ。筋肉質だがメリハリの強調された躰が物凄い色気で十四郎に向くが、当の十四郎は全く見惚れる様子はなかった。
「来るぞ……」
低く身構えたローボが唸るような声で言うと、十四郎も少し腰を落として刀に手を掛けた。
「お前は傷だらけだな……」
十四郎を見据えた紅の獣王は、口元だけで怪しく笑った。その表情は息を飲むほど美しかったが、同時に悪寒が十四郎の背中を伝った。そして、目で合図すると夥しい数の魔物達が一斉にローボだけに襲い掛かる。
獣型魔物は牙と爪で、人型魔物は剣や斧で襲い掛かる。如何にローボでも、前後左右から同時に襲い掛かって来る魔物に苦戦していた。
「ローボ殿!」
「来るなっ!」
十四郎の叫びと同時に、ローボが怒鳴り返した。
「でも、ローボ殿!」
「前を見ろ! 集中しろっ!」
戦いながらローボは叫ぶ。十四郎が紅の獣王に振り向くと、怪しい微笑みで十四郎を見ていた。そして、その血のような深紅の瞳は、言葉ではなく視線で語っていた……”本当に、いいのか?”と。
苦戦はローボだけでなかった。魔物達は切り裂かれても直ぐには絶命せずに、アウレーリアに襲い掛かる。表情を変えず、剣の速さこそ鈍ってないが向かって来る魔物の数が十四郎に嫌な予感を過らせた。
「自分より、他の者を気にして……」
口元を綻ばせた紅の獣王は、ゆっくりと十四郎に近付いた。だが、十四郎は刀に手を掛けたままで動かなかった。その訳は無数の鎖が十四郎の脳裏で腕や体に絡み付き、体の動きを奪っていたのだった。
少し震える十四郎には紅の獣王の姿が違って見えていた……それは、今まで十四郎が命を奪った人々の姿だった。
「……」
言葉を失った十四郎に、紅の獣王の鋭利な爪が迫った。
「十四郎!!」
叫んだローボの目前で、十四郎の肩付近から血飛沫が上がった。咄嗟に飛びのいて致命傷は回避したが、肩から流れ落ちる鮮血は全身の鎖を伝わって地面に落ちた。
だが、ローボの驚きは十四郎の姿以上にアウレーリアの表情だった。全ての光を吸収する宝石の様な瞳に炎が燃え、次の瞬間目前に迫る数匹の魔物が消し飛んだ。
「……十四郎を傷付けた……」
声にならない程に小さく呟いたアウレーリアが、瞬間移動の様に十四郎の傍に立っていた。
「……逃がさない……」
アウレーリアの口元が微かに動いた瞬間、紅の獣王は夥しい周囲の魔物を向かわせた。前後左右から一斉に襲い掛かって来る魔物達を、アウレーリアは剣を一閃! 一瞬で殲滅した。
「恐ろしい奴……」
紅の獣王は呟くと同時に、魔物達の中に消えた。直ぐに追おうとするアウレーリアは、ローボの叫びに振り返った。
「十四郎の血を止める! お前は奴らを近付けるな!」
「十四郎……は?」
アウレーリアの表情は、今にも泣き出しそうでローボは不思議な感覚に包まれた。
「大丈夫だ。必ず助ける」
「……はい」
目を伏せながらの、その素直な返事に改めてローボは驚いた。そして、全身から光を放つとローボは十四郎の傷を癒し始めた。
アウレーリアは、低く剣を下げて魔物達に対峙する。全身からは異様な妖気を放って、魔物達を睨み付ける。一瞬前に見せた穏やかさは消え、怒りの渦を足元から漂わせていた。
そして、紅の獣王の命で襲い掛かるはずの魔物達は、取り囲むだけで動けないでいた。
「動けないのか?……」
十四郎に光を送りながら、ローボは呟いた。恐怖など感じないはずの魔物達が、アウレーリアを恐れている……”死”など概念にさえないはずの魔物達がアウレーリアを前にして”死”を感じている様だった。
だが、アウレーリアは動けない魔物達を容赦なく切り裂いた。そこには今までのアウレーリアの様に、雑草を薙ぎ払うと言う様な無感情は無かった。
「怒り……か。このままコイツを死なせたら、私も切り刻まれるな……」
呟いたローボは、更に治療光を強くした。
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ビアンカの胸を一瞬の痛みが通り過ぎた。
「シルフィー!!」
迷いなど微塵もなく、ビアンカは叫んだ。
「どうした?!」
叫ぶルーを見る事も無く、駆け付けたシルフィーにビアンカは飛び乗った。
「おい、待て! どこに行くつもりだ!?」
「十四郎がっ!!」
背中で叫んだビアンカは、前だけを見ていた。
「私が行く! あなたはここを守って!」
ビアンカの肩に飛び乗ったライエカが、ルーに叫んだ。
「守ってって……」
唖然と呟くルーだったが、ビアンカの”十四郎”と言う言葉が耳の奥に響いた。
「行って下さい。ここは我々が……」
ルーの横では、灰色の若い狼が追い掛ける事を促した。
「でもな、父上が……」
「ご命令は、ビアンカさんを守れと言う事……」
「そうだった!」
若い狼の言葉の途中で、ルーは飛び出して行った。
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「十四郎が大変なの?」
「……うん」
走りながらのシルフィーの問いに、ビアンカは小さく頷いた。
「分かった。全力で行くよ」
シルフィーは更に速度を上げた。
「大丈夫。ローボが付いてる」
風圧でビアンカの肩に必死で掴まりながら、ライエカが言うがビアンカは前を見据えた視線を動かさなかった。
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周囲には夥しい魔物の死骸、そして咽かえる様な死臭が満ちていた。見渡しても生物の痕跡は無く、そこはまさに地獄絵図だった。
「十四郎を助けて……」
剣の血を払うと、アウレーリアは小さく言った。
「奴を追うのか?」
治療しながらのローボの問いに、背中を向けたアウレーリアは小声で答えた。
「許さない……」




