対峙
その場の時間は、完全に静止した。風や空気の動き、そして夥しい人の呼吸や心臓の鼓動さえ、たった一人の登場で制圧された。
アウレーリアは周囲には全く目もくれず、真っ直ぐに十四郎の元に歩いて行く。だが、その前にビアンカが立ち塞がった。
「止まって……」
「どいて……」
睨み付けるビアンカなどに目もくれず、アウレーリアは呟く。その視界には、十四郎以外は入ってなかった。
「十四郎様!」
「えっ?」
顔面蒼白のツヴァイが十四郎の背中を押すが、十四郎はポカンとしたままだった。
「行かせない……」
十四郎を尻目に立ち塞がるビアンカだったが、刀は捨てており丸腰だった。そんな理解出来ない状況でアウレーリアに毅然と立ち向かうビアンカを見て、ズィーベンは唖然と呟いた。
「武器も持たないでどうするつもりだ? 相手が誰だか分かってるのか?」
「様子がおかしい……」
「そうだ、何か変だ……」
その横ではアハトとナインも顔を強張らせた。
「何が変なんだ?!」
思わず声を上げるズィーベンに、ナインが震える声で言った。
「……普通なら、瞬殺だ……アウレーリアが、あの状態で待つなど……あり得ない」
確かに戦う意思を持って正対する者が、アウレーリアの前で生存する可能性なんて常識ではあり得なかった。
ビアンカとアウレーリアは、手を伸ばせば触れられる距離に近付いた。ビアンカからは突き刺すような視線が放たれるが、アウレーリアは胸の奥底から湧き出す熱いモノが更に沸騰していた。
「全く……シルフィーの速さは風以上だな……」
気付くと十四郎の横でローボが溜息をついていた。
「そうですね、シルフィー殿は速いですね」
「お二人とも、この状況で……」
十四郎とローボの会話に、ツヴァイは驚く前に呆れ声で言った。
「そうだよ、どうすんのさ十四郎様。このままじゃ、ビアンカ様が……」
泣きそうな顔のノィンツェーンに、十四郎が笑顔で振り向いた。
「多分、大丈夫ですよ」
「そんな訳ないでしょ! 見て! 一触即発だよ!」
思わずノィンツェーンが叫ぶ。その大声で落ち着きを取り戻すと言うか、我に返ったツヴァイが十四郎に聞いた。
「どうしてアウレーリアが此処にいるのです? そのご様子だと、訳をご存知なのですね」
「それが、その……」
頭を掻きながら、十四郎は苦笑いした。
「このボンクラが付いて来ていいと言った。決して、命を奪わないと約束できるならとか言ってな」
呆れた様に、横のローボが解説した。瞬時にツヴァイに作戦が浮かぶ、アウレーリアに向かって大声で叫んだ。
「アウレーリア! 十四郎様と居たいなら、命を奪わず敵を倒せっ!」
その声に、アウレーリアが反応した。対峙していたビアンカに背中を向けると、剣をゆっくりと抜いた。
「ツヴァイ! アウレーリア剣を抜いたよっ! どうすんのさっ!?」
叫びながらノィンツェーンが、ツヴァイの胸元を掴んで激しく揺さぶった。言ってみたもののツヴァイにも自信がなく、唯一殺傷を防げる十四郎も丸腰だった。
「十四郎様……」
「大丈夫と思いますよ……多分」
真っ青になって十四郎を見るツヴァイに、十四郎は苦笑いした。
「多分って……」
ノィンツェーンも蒼白になって、目をテンにした。だが、ツヴァイの言葉はビアンカにも衝撃だった。
「……十四郎……」
振り向いた十四郎の顔が、何故か霞んでよく見えなかった。
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マントを翻し、アウレーリアが十字騎士達にゆっくりと向かう。胸元の”逆さ十字”の紋章が無言で強烈に威嚇して、近付く度に後ずさる。
「怯むな! 悪魔を前にして十字騎士に後退などない!」
壮年の男が剣を抜いて鼓舞する。その声が引き金となり、四方から一斉に十字騎士が襲い掛かった。一瞬、大勢の十字騎士の体でアウレーリアの姿が消えるが、次の瞬間にその場に立っているのはアウレーリアだけだった。
「何が起こった……」
「全く見えなかった……」
「しかも見ろ……」
ズィーベンが目を見開き、アハトが声を震わせ、ナインが指さした。そこには夥しい数の十字騎士が地面に平伏すが、誰もが激痛に唸っていた。
「まさか……誰も死んでないと言うのか……」
それはズィーベンにとって、奇跡と同義だった。
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「見たか?」
「ええ、剣が当たる瞬間に手首を返して剣の横で打ちました」
ローボの問いに、十四郎は普通に答えた。
「だが、あの剣は相当暴れてるな……血を吸いたくて仕方ない様だ」
鋭くなった視線で、ローボが牙を光らせる。
「アウレーリア殿も、よく抑えてますが……」
口籠る十四郎は、アウレーリアの持つ剣が発する異常な殺気に眉をひそめた。
「私にだって分かる……何? あの燃えるような殺意……」
「確かに物凄い殺意と悪意……あんなの押さえられるのでしょうか?……それにしても、アウレーリアはあの剣を十四郎様と戦う為に手に入れたんでしょう?」
物凄い殺気にノィンツェーンは背筋を凍らせ、ツヴァイは真剣な眼差しでローボに聞いた。
「押さえられるとしたら、あの女の力は以前より格段に増している……使いこなせるのなら、十四郎の剣では到底敵わないだろうな……」
「それでは……」
ローボの宣言はツヴァイを凍らせるが、横目で見た十四郎も真剣な顔になっていた。
「もう一つの質問は?」
ノィンツェーンは、ツヴァイのもう一つの質問が気になった。
「ふん、知るか。戦うつもりで剣を手に入れたくせに、一緒に居たいだと? 本当に女って奴は分からん」
吐き捨てるローボだっが、ノィンツェーンは少しだけ笑った。
「もしかしたら……戦う為なんて、ただの口実かも」
「何の口実だ?」
不思議そうにローボがノィンツェーンを見て、ツヴァイも顔を寄せた。
「決まってるでしょ……一緒に居たいのよ……十四郎様と」
そう思ってアウレーリアを見ると、鬼人の様なアウレーリアの戦いも何故が健気に見えたノィンツェーンだった。
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だが、魔剣の力は次第に増加した。アウレーリアは、相手を斬らない様に剣の向きを必死で変えるが、その凄まじい力に腕力が負けだす。片手から両手に持ち替えても、その加速する力を押さえる事は難しくなっていた。
「そろそろ限界だな……」
「ええ、長くは持ちそうにありませんね……」
ローボが呟き、十四郎が飛び出そうとした瞬間! アウレーリアは何の迷いもなく魔剣を地面に突き刺した。
「まさかな……」
唖然と呟くローボだったが、十四郎は穏やかに微笑んだ。
「アウレーリア殿は、約束を守ろうとしています」
「……これで、あの人も丸腰ですよ……」
「はぁ、その様ですね……」
何時の間にか隣に立つビアンカが、十四郎を斜めから見上げた。十四郎は、苦笑いするしか出来なかった。
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「待て、ズィーベン!」
アハトが止めるが、ズィーベンは瞬間に駆け出して魔剣を握った。
「これは……」
物凄い力が全身に漲った。そして、思考は魔剣に支配された……”血が欲しい”と。
「アイツでは押さえられないな」
言うが早いか、ローボが飛んだ! そして、暫くの後に十四郎とビアンカの刀を咥えて戻って来た。
「使い手があれなら、お前の剣でもなんとかなるだろう」
「分かりました」
素早く刀を腰に差すと、十四郎はビアンカに振り向いた。
「ビアンカ殿、アウレーリア殿頼みます」
「……でも、あの人……強いから……」
目を背けるビアンカだっが、十四郎は続けた。
「剣がなければ、アウレーリア殿と言えでも十字騎士に苦戦しますよ……お願いします」
そう言うと、十四郎は一礼してズィーベンに向かった。ビアンカは仕方なさそうに刀を持つと、アウレーリアの方を見た。
アウレーリアは剣などなくても、十字騎士を蹴りやパンチで平気で倒していた。
「苦戦? あれで……」
大きく溜息をついたビアンカは、物凄く嫌そうにアウレーリアの元に向かった。
「ローボ、大丈夫でしょうか?」
「どっちがだ? いや、誰がだ?」
心配そうなツヴァイに、ローボが溜息交じりに言った。
「十四郎様とビアンカ様に決まってるでしょ……それと、アウレーリアも」
ノィンツェーンの答えに、ローボはまた大きく溜息をついた。
「知るか……」




