葛藤
表情に出さない様にしても、直ぐにビアンカには悟られる。
「どうしました?」
「いっ、いえ何も……」
ビアンカはツヴァイに近づくと、顔を寄せる。甘くて、とろける様な切なくも愛しい香りがツヴァイを包み込む。
「ココもノインツェーンも何処にもいないし……知ってますか?」
「あの、ゼクスの妻と娘が……その、人質になりまして……その、助けに……」
上手く言葉が出ないツヴァイは、ビアンカの真っ直ぐな瞳を見返せなかった。
「十四郎に知らせなくては!」
聞いたビアンカの顔色が変わるが、ツヴァイは大声で止めた。
「お待ち下さい!」
「何故です?! 直ぐに助けに行かないと!」
「いけません……十四郎様に知らせれば必ず自分で行くと言います。十四郎様が、今この場を離れれば、せっかくローベルタ様から取り付けたお力添えも水泡に帰すやもしれません……」
「……でも、放っておけない……」
ビアンカの長い睫毛が伏せられると、ツヴァイの心臓は鷲掴みにされた。だが、ツヴァイは脳裏で超高速の演算をする。ビアンカを十四郎の元に行かせない、それはビアンカと十四郎を守る為に絶対に徹底しなければならない鉄則だった。
「ビアンカ様……」
「はい?」
伏せていた瞳が濡れてる様に見えたツヴァイの胸には、また鋭い剣をが突き立てられる。
「我々だけで行きましょう」
「十四郎には内緒にするんですね?」
「はい、助け出した後に報告します」
ビアンカはマントを翻し、シルフィーの元に走って行った。その背中を見送りながら、ツヴァイは嘘をついた事に対する葛藤に苛まれた。だが、その張り裂けそうな気持を救ったのは、マルコスの声だった。
「どうした?」
ツヴァイは捲し立てる様に全てを話した。黙って聞いていたマルコスは、暫くの沈黙の後に少し笑った。
「賢明な判断だ……なんせ相手は、アウレーリアだ。十四郎にとって、ビアンカ様はハンデになる……万が一、目の前でビアンカ様が……」
「マルコス殿!!」
マルコスの言葉を遮り、ツヴァイが声を荒げた。
「すまない、失言だ……どうした?」
声を荒げた後、急に俯くツヴァイを、マルコスが覗き込んだ。
「……私がもっと強ければ……十四郎様について行って……お守りする事が出来るのですが……」
「お前さんは十分強いさ。だがな、あの女は別格だ。なんせ十四郎でも、苦戦する相手なんだからな」
「そうですね」
「とにかく後を追え、ビアンカ様を頼む」
「分かりました」
一礼したツヴァイは急いでビアンカの後を追いかけ、今度はその背中を見送るマルコスが何も出来ない自分を呪った。
そして、声に出して呟いた。
「多分、違うんだろうな……我々が命を落とすのと、ビアンカ様が命を落とすのでは……」
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「シルフィー!」
「ダメっ!」
厩舎に駆け込んだビアンカビアンカが叫ぶと同時に、シルフィーが叫び返した。
「えっ?……まだ、何も言ってないよ」
「あっ、ごめんなさい……」
慌てて口籠るシルフィーだったが、ビアンカは気付かずに詳細を話し出す。話の内容を直ぐに理解した賢いシルフィーは、鎌をかけてみる。
「分かった。ところで、十四郎には知らせるの?」
「それは……ダメ……」
俯きながらも呟く、そのビアンカの一言がシルフィーに決断させた。
「行こう、ビアンカ」
「うん」
小さく頷くビアンカの肩が、とても小さく見えたシルフィーは喉元まで出た言葉を飲み込んだ。本当は行かせてあげたい……十四郎の元へ。例え、世界が滅んでもビアンカは望むだろう……そう、十四郎の傍に行く事を。
だが、その想いと同じくらいシルフィーにはビアンカが大切だった。シルフィーは背筋を伸ばし、ビアンカに触れる事で想いを振り切った。
「どうしたの? シルフィー」
「別に……」
鼻を寄せるシルフィーを、そっと撫ぜたビアンカが呟いた。何故かシルフィーの言葉が震える……細くて小さな手、柔らかな髪、抱き締めたくなるほどに愛しい香り……シルフィーは改めて決意した。どんな事をしても、必ず守ると。
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走り始めたアルフィンは、やがて疑問に気付いた。
「十四郎、場所は分かるの?」
「ええ、まあ……」
曖昧な返事をする十四郎だったが、アルフィンは普通に返した。
「……ねえ、十四郎。あの人、何で十四郎を追ってくるの?」
「何ででしょうか……」
愛想笑いの十四郎だっが、アルフィンは首を傾げた。
「不思議な感じなんだ……あの人、十四郎の目を治してくれたし……」
「そうですね、不思議な人ですね」
十四郎もアウレーリアの不思議な雰囲気を思い出す。今まで戦ったどの相手とも違う雰囲気には、正直十四郎も戸惑っていた。
「何かね、あの人、ビアンカに似てるの」
「ビアンカ殿に、ですか?」
ポカンとする十四郎に、アルフィンは笑顔を向けた。
「うん。可愛いし、強いし、何より十四郎の事が大好きだから」
「えっ?」
最後の言葉に十四郎は赤面する。
「でもね、あの人は簡単に命を奪う……それは、十四郎が直してあげないといけないよ」
その言葉と同時に、アウレーリアが表情を変える事無く命を奪う光景が脳裏に浮かんだ。十四郎は、一旦目を閉じると囁いた。
「やらないと、いけないですね……」
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「今の見たか?」
「ああ、見事な馬だ。きっと、名馬に違いない……高く売れるぜ」
「どこ見てんだよ?」
物陰から髭だらけの薄汚れた男達が小声で囁く。
「お前等、あの女の価値が分からないのか?」
盗賊にしては身なりの良い男が、口角を上げた。手下とは違い、高級そうな甲冑に身を包み、髭も清潔に整え、端正な顔立ちは正体を曖昧にしていた。
「価値ですか? 確かに美しい女ですけど……」
「あの美しさ……どんな宝石より貴重だ……挟み撃ちにする、前衛に連絡しろ。いいか、決して傷付けるな」
「分かりました」
手下の一人が伝令に走り、甲冑の男は満足そうに頷いた。
「これは偶然ではない、神に与えらえれた奇跡だ……」
既に男の網膜にはアウレーリアの姿が焼き付けられ、なびくマントに見え隠れする”紋章”は視界には入らなかった。




