心境
放たれた無数の矢が、アウレーリアの頭上に降り注ぐ。ロンメルスの位置から、アウレーリアの姿が矢の雨に掻き消された。
「普通なら……」
思わず声が震え、ロンメルスの背中が冷たくなった。
「放て! 間を空けるな!」
叫ぶトレンゲル! 訓練された弓兵は機械の様にアウレーリアの頭上に矢の雨を降らせるが、霞むアウレーリアの姿が倒れる事はなかった。
「トレンゲル……例の矢なのか?」
「ああ、掠っただけで絶命する猛毒が全ての矢じりに塗ってある」
息を飲みながら呟くギュンターに、トレンゲルは強い視線を向けた。
「剣で防御している様には見えない……」
「そうだな……だが確実に、こちらに近付いている……」
キッテルが目を凝らし、ヨーステンが震える声で呟いた。
「バカな、どうやって躱していると言うのだ」
険しい顔のエールラーが吐き捨てるが、ロンメルは身体の震えが止まらなくて茫然と呟くしか出来なかった。
「雨の様に降り注ぐ矢……だが、アウレーリアには掠りもしない……」
やがて、アウレーリアの姿が見える距離になった。
「……美しい……」
ロンメルスの口から、自然に言葉が漏れた。甲冑姿さえアウレーリアの美しさの糧であり、言葉では表現する事さえ出来ない”美”が目前にあった。だが、その鎧の胸元には逆さ十字の紋章が鈍く光っていた。
「長槍隊前へっ! 弓隊は正面に向けて放てっ!」
トレンゲルの号令で、身の丈の三倍以上ある長槍を構えた一団が前に出る。その隙間から、アウレーリアの正面に向かって矢が放たれる。その数は、正に横向きの”豪雨”だった。
だが、剣を下げ気味に歩いて来るアウレーリアを矢が避ける様に見えた。
「何故だっ?! 矢が避けると言うのか……」
「はっ……弓隊下がれっ!!」
唖然と呟くトレンゲルだったが、気付いたロンメルスが渾身の声で叫んだ。アウレーリアは見えない速度で長槍隊の間を抜けると、弓隊の背後に回る! そして、次の瞬間には切り裂かれた弓隊兵士が無数に地面に転がっていた。
一瞬の出来事で、ロンメルス達は何が起こったのかさえ分からなかった。その茫然としていた僅かな時間に、今度は長槍隊が長槍ごと斬り倒されてた。ロンメルス達は、その凄惨な光景を目前としても、棘の鎖に繋がれた様に体もココロも動かなかった。
「……何なんだ……」
長い時間を消費して、やっと掠れた声がロンメルスの口から零れた。そして周囲を見回すと、五家宝剣と、騎馬隊百名程を残すだけになっていた。
そして、表情が見える近さになるとロンメルスの心臓は鷲掴みにされる。少し怒った様なアウレーリアの顔は、話に聞いていた微笑みを浮かべる姿とは違っていた。だが、その怒った様な表情も背筋が震える程に美しかった。
「き、騎馬隊……」
騎馬隊に攻撃を指示しようとしたロンメルスだったが、馬も騎士も彫刻の様に固まっていた。
「バビエカ……来て」
耳が癒される程の心地よいウィスパーボイス、アウレーリアがバビエカを呼ぶと輝く漆黒の馬が姿を現した。
「何だ?」
やって来たバビエカが他の騎馬を見ると、驚愕と恐怖に包まれ全身に鳥肌を立てていた。その気持ちは、バビエカにも手に取る様に分かった。それは、降臨した殺戮の女神の前では人も動物も分け隔てなく、殺戮の対象となる事だった。
アウレーリアはバビエカに跨ると、軽く手綱を引いた。それは神々しさを越え、見る者全てを恐怖で圧倒した。
「にっ、逃げろ……」
叫んだつもりでも、ロンメルスの声は喉の手前で空回りした。そのまま瞬きをする刹那の時間で、騎馬隊は人も馬も切り裂かれ長槍隊と弓隊の遺体に重なった。
「そんな……」
ロンメルスの常識を遥かに超えたアウレーリアの戦闘力、それは自我さえ崩壊しかねない衝撃だった。そして、自分が言った言葉が脳裏で木霊した……”アウレーリアにとって、我々は虫みたいなモノだ”。
「援護しろっ!」
最初に呪縛から解き放たれたのはギュンターだった。直ぐにキッテルとヨーステンが左右から続いた。
「待てっ!!」
今度は叫べたロンメルスだっが、目前の光景がスローモーションみたいに、網膜の上で踊った。渾身のギュンターの剣をアウレーリアはバビエカを降りながら躱すと、次の瞬間には左から迫るキッテルの後ろにいた。ヨーステンが何か叫んだ瞬間、キッテルの首が地面に落ちた。
そして、剣を構え直すヨーステンが瞬きをする間に、ギュンターが体の真ん中から真っ二つになって血の噴水を上げた。
「ロンメルス様を連れて逃げろ!」
「お前はっ?!」
「時間を稼ぐ!」
トレンゲルに叫んだエールラーが、ヨーステンの元に走り出すが二三歩進んだ所で、ヨーステンの身体が飛散した。
「化物め……何故、ヴィルヘルム陛下を狙う?」
「……誰、ですか?」
震えるながらも、剣を構えたエールラーは少しでも時間を稼ごうと、アウレーリアに問い掛けた。
「ロンメルス様、お早く!!」
「しかし!」
トレンゲルが叫んでロンメルスの腕を引くが、振り返るとエールラーも肉片に変わっていた。
「とにかく、早く!!」
「無理だな……」
ロンメルスが呟いた瞬間、トレンゲルの首が空に舞い血の雨が降った。そして、間髪入れずにロンメルスは天地が逆さまになり、上半身の無くなった自分の下半身が噴水みたいに血を吹きだしているのを霞む視界で見た。
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聞いてみるか一瞬悩んだが、バビエカは意を決して聞いてみた。
「……怒ってるのか?」
「……怒る?」
一滴の返り血さえ浴びてないアウレーリアは、無表情で答えた。
「ああ、今までに無い位に……凄かった……」
アウレーリアと出会って時間は経ってないが、神さえ超えたアウレーリアの戦いを見て来たが、今回は確かに感じた……”怒り”みたいな感情を。
暫く考えたアウレーリアは、消えそうな声で呟いた。
「邪魔したから……」
「そんなに、魔法使いに会いたいのか?」
「……うん」
微かに頬を染めるアウレーリアが俯くと、美しい髪がハラリと落ちて目元を隠した。だが、その光景の向こう側には夥しい死体の山が存在し、改めてバビエカは背筋を凍らせた。
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「十四郎……」
「分かっています」
部屋に入るなりローボは強い視線を向け、十四郎も同じ様に強い視線を返した。
「数百の人、百を超える馬も一瞬で殲滅した」
「……はい」
「今のお前では、あの女に勝てない……」
「多分、そうですね」
他人事みたいに言う十四郎に、ローボは大きな溜息を付いた。
「不思議だ……確かに、あの女が手に入れた剣は凄まじい妖力があるはずだが……」
「はい。アウレーリア殿は、その力を押さえています」
十四郎も、遠い場所でのアウレーリアの戦いを感じていた。
「そうよ……使いこなす……と、言うより……完全に従わせてる」
ふいに窓辺に舞い降りた、ライエカが声を落とした。
「……全く、とんでもない奴だ」
同じ様に声を落とすローボと、ライエカを交互に見た十四郎は穏やかに微笑んだ。
「この刀を見て下さい。この刀は実は魔剣なのです……使い手を破滅に導く。ですが、一方では破邪顕正の刀でもあります……つまり、使い方次第で……」
「十四郎……でも、どんなに上手く使っても、その剣ではアウレーリアの剣に敵わないのよ」
十四郎の言葉を遮りライエカが溜息交じりに言うが、十四郎は穏やかな表情を崩さなかった。
「……何か、策でもあるのか?」
その表情を見てローボが視線を強めるが、十四郎は苦笑いした。
「その、ありません」
「これだ……」
「全く……」
ローボとライエカは顔を見合わせ、大きな溜息を付いた。




