魔剣
夥しい血痕、鼻腔を占拠する猛烈な死臭……バビエカは呼吸をする事さえ躊躇った。
「こいつ等が魔物なのか?……」
呟くバビエカは、殆どが真っ二つとなった死体の前で呟いた。森に入った途端、一斉に襲い掛かって来た”影”は巨大な猿や猪だった。
アウレーリアは、これだけの激しい戦闘の後でも返り血すら一滴も浴びずに、目の前を歩いている。森の入り口で、アウレーリアはバビエカを降りると一言だけ呟き、その声がバビエカの脳裏に木霊していた。
『ここで、待ってて下さい……』
だが、どう見ても不気味な森は嫌な予感でバビエカを圧倒し、仕方なくアウレーリアの後を付いて行った。そして、見たのが地獄の様な光景だった。
血の滴る剣を撃造作に持ったまま、アウレーリアはゆっくりと歩く。そして、昼間だというに日の光さえ届かない大木に覆われた場所で、小山の様な何かが行く手を阻んでいた。
「目的は何だ?」
掠れた声と言うより、濁音みたいな言葉がアウレーリアの前に響いた。
「魔剣を取りに来ました」
「取りにだと?」
姿を現したのは、今までより更に巨大な猪だった。その牙は剣の様な鈍い光を放ち、その眼はガラスみたいに無機質だった。しかし、誰が見ても恐怖心で体が固まるだろう、その姿を見てもバビエカは震える事はなかった。
何故なら、目の前には女神とでも呼べる美しいアウレーリアの存在があった。心の底から、アウレーリアの方が何倍も恐ろしいと、バビエカは心から思った。
そして、その恐怖は直ぐに現実となる。アウレーリアは巨大な猪など目に止めずに、歩いて行く……そして、擦れ違う瞬間! 咆哮を上げる猪を切り裂いた。鮮血と死臭が周囲を包み込み、巨大な体が真っ二つになって動かなくなった。
「……聞いてから倒した方が……」
言葉など出るはずはなかった。だが、自分の意志とは関係なく言葉は出た。震える声でバビエカが問い掛けると、振り向いたアウレーリアは静かに言った。
「そうでしたね」
その声は、バビエカの常識を覆す。恐ろしくて、低くて、怖い声なら納得も出来るがアウレーリアのウィスパーボイスは、優しくて清らかな薫風みたいだった。そして、口元を少し綻ばせたその表情には究極の”美”が確かに存在していた。
そのまま森を抜けると、目前の稜線に岩に突き刺さる剣を見付けた。その剣は形的にはクレイモアの様だが大剣と言う大きさではなく、柄の部分の複雑な模様、長い年月が経過したにもにも関わらず錆一つない輝く刀身が、異様感を周囲に漂わせていた。
そして、その前不思議な剣の前には小さな老猿が、真紅の目でアウレーリアを見ていた。
「あの魔物共は、この剣を護る言わば守護者……それを全て斬り捨てて……」
呆れた様に猿は呟く。しかし、アウレーリアは呟く猿など全く無視して剣に近付いた。
「その剣、本当に魔剣なのか?」
「お前は?」
横からバビエカが聞くと、老猿は目玉だけで見た。
「俺は、その……」
掠れるが威圧感のある声に、圧倒されたバビエカは口籠る。だが、そんなバビエカを尻目にアウレーリアは真っ直ぐ剣へと向かった。
「それは”人”には扱えぬ」
「……」
老猿の警告も無視して、アウレーリアは持っていた剣を地面に突き刺すと、魔剣の柄を握った。
「無理だ……」
剣を握るアウレーリアの背中に、老猿は強い口調で言った。だが、片手から両手に持ち替えたアウレーリアは、無心で腕に力を込める。
「それは”神”が封印したのだ。人などに……」
老猿が溜息交じりで言い掛けた時、剣が少し揺れた。
「まさか……人が……」
「あいつは多分、人じゃない……と、思う」
「何、だと?……」
唖然と呟く老猿に向かい、バビエカが声を潜めた。それでも、少し動いただけで剣は容易には抜けなかった。だが、動くこと自体が信じられない老猿は、言葉を詰まらせる。
「動いた様に見えたが……」
確かにバビエカの目にも、剣が動いた様に見えた。
「……あの剣は、世界の全てのモノを斬った……善も悪も……だが、あまりにも斬れ過ぎた……やがて、神でさえ斬ろうとした……」
「神を斬れるのか?」
老猿の言葉は、バビエカを震撼させた。
「……それは、分からない……だが、封印される程だ……可能性は……」
老猿がそう言葉を絞り出した時、再び剣が動いた。
「……」
アウレーリアは無言で剣を握る。そして、一心不乱で力を込める。
「お前は、その剣をどうしようと言うのだ?」
だが、老猿からの問い掛けにもアウレーリアは無言だった。
「魔法使いと戦う為に、その剣がいるそうだ」
「魔法使いだと?」
「ああ、そう言ってた」
バビエカは溜息交じりに言う。魔法使いと言う言葉が老猿の脳裏で木霊し続けるが、今のアウレーリアの頭の中は、ただ純粋に剣が欲しい、折れない剣で十四郎と戦いたい……それだけだった。
「どんな目的があるにせよ、その剣は神でも抜けぬ。それに既に剣の持つ魔力は失われている」
アウレーリアの背中に近付いた老猿は少し寂しそうに言うが、ゆっくりと振り向いたアウレーリアは静かに言った。
「折れない剣が欲しい……それだけです」
そして、地面に突き刺した自分の剣を取ると、大きく振りかぶる。そのまま真っ直ぐに岩を目掛けて振り下ろした。
老猿は目を疑う。魔剣が突き刺さる大岩は真っ二つの割け、アウレーリアの手にした剣も根元から折れて地面に落ちた。アウレーリアは割けた岩に近付くと、そのまま魔剣を握る……そして、ゆっくりと岩から抜いた。
「そんな……ばかな……」
唖然と呟く老猿を余所に、アウレーリアは刀身を眺める。その刀身は周囲全ての光を吸収する様に輝いた。アウレーリアが片手で一振りすると、空気さえ切り裂く太刀筋にバビエカは心臓を鷲掴みにされた。
そのままアウレーリアは剣を腰の鞘に収める。まるで最初から剣と対だった様に剣は綺麗に鞘に収まった。
「帰りましょう」
アウレーリアはバビエカに跨ると、背を向けた。
「お前は何者なんだ?……」
背中に声を掛ける老猿に、アウレーリアは言った。
「私は、アウレーリア」
その横顔は、微笑みを浮かべ女神の様に美しかった。
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「こんな事が……」
呟くセバスの目前には、辺り一面に兵士達が地面の色さえ隠す程に倒れていた。それも全て屍などではなく、気を失ってる状態だった。
しかも更に驚いたのは、十四郎達の介抱で気を取り直した兵士達が、誰も戦いを続ける事はなく、大人しくしていた事だった。
砦から出たロメオ達も加わり、周囲は広大な野戦病院と化していた。
「俺達も、同じだ……剣闘士に自由や未来はない。だが、魔法使いと一緒に戦う事で、自由と未来を手に入れる事が出来る」
ラディウスは抱き起した兵士にぎこちなく語り、兵士も神妙に聞いていた。他の者達も介抱しながら、自分の言葉で語っていた。
「直ぐに決めなくてもいい。暫く私達と一緒にいればいい」
手当しながら、ロメオも一人一人に声を掛ける。
「あなた達は、もう自由です。だから、お願いします……私達と一緒に戦って下さい。自由と平和の為に……」
ラナも倒れた兵士に語り掛ける。
「十四郎様は、魔法使いなんですよ。私達を良い未来に導いて下さいます……」
穏やかな笑顔でリズも兵士達に接した。
「どうなりますか?」
「さあな……ただ、決めるのは奴等だ……」
セバスはローボの背中に聞くが、ローボは振り向かないで呟いた。
「これは、魔法なのですか?」
「魔法?……対等に話し合う事が、お前達には魔法なのか?」
”対等”と言うローボの言葉が、セバスの胸の中で激しく揺れた。
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「十四郎様、此処は我々に任せてお急ぎ下さい」
「何をですか?」
忙しく解放する十四郎に、片膝を付いたツヴァイが言った。
「ローベルタ様の元に行くのです」
「忘れてました」
「全く……」
苦笑いの十四郎に、ツヴァイは大きな溜息を付いた。
「魔法使い様……お教え下さい、本当に自由で平等な世界が出来るのですか?」
十四郎の傍にやって来たセバスは、真剣な眼差しを向けた。
「元々、生まれた時から人は自由で平等なのですよ」
十四郎はセバスに笑顔を向けた。




