老骨
その老人は笑顔を浮かべ、十四郎に近付いて来た。武器も持たず、鎧さえ身に着けてない姿は、あまりにも戦場と場違いだったが、その佇まいには堂々とした迫力があった。
十四郎も刀を仕舞うと笑みを浮かべ、その場で待った。直ぐに気付いたビアンカも、老人と十四郎を交互に見ると小さな溜息を付きながら同じ様に刀を仕舞った。
「十四郎様! どうしました?!」
驚いたのはツヴァイで、思わず声を上げた。
「十四郎が剣を仕舞った……」
「何落ち着いてるのよっ! 周囲は敵だらけなのよっ! 十四郎様! 剣を抜いてっ!」
唖然と呟くリルの横でノインツェーンが悲鳴を上げた。
「私、アドリアーノ様にお仕えする執事のセバスと申します」
「柏木十四郎です」
老人は近付くと笑みを浮かべたまま、軽く会釈した。十四郎は背筋を伸ばすと、深々と頭を下げた。
「失礼ですが、先程の戦いかを見ていますと、とても同一人物とは思えません……魔法使い様」
セバスは近くで見る十四郎の小柄さと、柔和さに驚きを隠し得なかった。
「それ程でもありませんが……」
「十四郎、褒めてないですよ……」
嬉しそうに頭を掻く十四郎に、苦笑いのビアンカが囁いた。二人の様子は殺伐とした戦場の中で、セバスに違和感と共に不思議な感覚をもたらせた。
「お願いがあるのですが……」
そんな雰囲気に後押しされ、セバスはいきなり本題に入る。
「はい、何でしょうか?」
笑顔を浮かべたまま、十四郎は言き返した。
「私共は撤退いたします。そこでお願いなのですが、追撃をしないで頂きたいのです」
「分かりました」
十四郎は即答した。セバスは驚いて、次の言葉が中々出なかった……何故なら、十四郎の戦いぶりを見ていると自分達の軍勢が撤退すれば、追撃で簡単にアドリアーノを補足撃退するのは容易に思えたからだった。
「どうかしました?」
驚きの表情のまま固まるセバスに、十四郎が心配そうに声を掛けた。
「……どう、してですか?」
セバスが声を絞り出す、そう聞くのが精一杯だった。
「戦いを止め、皆さんが無事に帰って頂ける……それは、私達も望む所ですから」
「……あなた様も、何かの……目的があって戦っていたのでは……ないのですか?」
言葉を途切れさせるセバスは、ワナワナと震えた。
「はい。戦いの無い世界。平等で、皆が幸せな世界を作る為に……」
十四郎は穏やかな笑顔を浮かべるが、セバスにとって十四郎の語る世界は夢物語でしかなかった。
「お分かりなのですか? それは、全ての逆らう者達を廃絶しないと出来ない事です。即ち、王制や貴族、騎士と言う”身分”を無くし、全ての人々が平民になる事なのですよ……」
「はい」
「簡単に仰るが、特権階級の人々が従うとは思えません……従わせるのなら、”力”で制圧するしか道はないのでは?」
「そうは、したくないのですが……正直、どうしてよいかはよく分かりません」
十四郎は正直に答える。
「……あなた様は、本当に不思議な方ですね」
飾らない、真っ直ぐで正直な十四郎の態度は、セバスの混乱した思考を穏やかに包み込んだ。
「十四郎が言う様に、方法は分かりません……ですが、ご覧になって下さい。私達と志を同じくする者達を……」
それまで十四郎に寄り添い、黙って聞いていたビアンカが口を開いた。その戦場に場違いな容姿と、そよ風の様な美しい声はセバスでさえ魅了する。そして、十四郎達の後方には”命を奪わない戦い”を続ける集団がいた。
そこには、様々な人種、様々な国、様々な階級の人々がいた。改めて見ると、それはとても不思議で、何故が心が揺れた。
「私達が十四郎の目指す戦いを続ければ、何時しか賛同する人々が増えて行きます……その輪は次第に大きくなり、やがて……それが、方法かもしれません」
「魔法、なのですか?」
紡ぐ様に話すビアンカに、セバスが聞いた。
「……多分」
ビアンカは隣の十四郎を見て微笑んだ。
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馬を走らせるアドリアーノに、副官が並び掛けた。
「殿部隊を向かわせました。早めの移動を!」
「数は?」
振り返ったアドリアーノは、擦れ違う軍団に目を向けた。
「約、二千程、かなりの時間が稼げます」
「セバスはどうした?!」
何時もなら傍にいるセバスが、近くにいない事に気付いたアドリアーノが声を上げる。
「セバス殿は残りました」
「何だと!」
急停止したアドリアーノは、後方を見据えた。
「自体は深刻なのです、セバス殿は身を挺して……」
直ぐ様引き返そうとするアドリアーノだったが、副官は馬を寄せると道を塞いだ。
「セバス殿のお気持ちを無駄にしないで下さい」
「しかし……」
「お気持ちは分かります。セバス殿はアドリアーノ様が幼少より仕えた、言わば身内……だからこそ、その思いに答えるべきかと」
「……お前に何が分かる……」
肩を震わせるアドリアーノの脳裏には、セバスの笑顔が浮かんだ。怒った顔など一度も見た事はないが、アドリアーノが迷った時や、道を外そうとした時は穏やかな笑顔で諭した。
「あなた様は、軍団の長……全ての兵に対して責任があります」
副官は撤退する兵達に視線を向けた。
「……」
「我々は敗残ではないのです、一時退却するだけなのです」
言葉を失うアドリアーノに、強い視線の副官が語尾を強めた。
「分かった」
身を翻すアドリアーノは、肩越しに後方に視線を向けた。
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「十四郎様、新たな敵軍です」
新たな敵の動きを察したツヴァイが十四郎に報告するが、十四郎は穏やかな表情を崩さなかった。代わりに、ビアンカがセバスに聞いた。
「撤退するのではないのですか?」
「本隊を撤退させる為の殿軍です」
セバスが答えると、敵軍の先頭集団が視界に入ってくる。
「十四郎様、敵は鎧はおろか、剣さえ持ってない者もいます」
直ぐに視察して来たココが報告する。
「奴隷部隊です……身を犠牲にして、本隊を撤退させる……」
俯いたツヴァイは、小さな声で言った。
「彼らは撤退が成功して生き残れても、次の撤退戦が待っているだけです」
ココが補足すると、十四郎の笑顔が消えた。
「セバス殿、私は……」
「仕方のない事なのです……」
セバスやこの世界の人々にとって、撤退の為の殿軍団は普通の事だが、十四郎には理解出来なかった。十四郎も経験上、殿は味方を逃がす為に勇敢な武将などが努める事は知っていた。
だが、この世界では人の”命”を防御柵として使っているのが普通だった。
「こんな事、許せません……」
十四郎はセバスに背を向けると、殿軍に向けて歩き出す。ビアンカも寄り添うように従い、ツヴァイやココ、ノインツェーンやリルも後に続いた。




