紅い騎士団
「全く、尋常じゃないな……」
見下ろした大鷲は、アルフィンの速さに驚愕に近い溜息を漏らした。森の中の道は曲りくねり、大木や岩が行く手を阻む。だが、普通に走るだけでも難しい道をアルフィンは飛ぶ様に走っていた。
一歩間違えば、超高速で激突は必至! 命の危険さえ漂う空間でも、アルフィンは風の様に走る! その秘密は十四郎の手綱捌きであり、そこしかない最適のコースを瞬時にアルフィンに伝えていた。
手綱から伝わる絶体の安心感と信頼感、アルフィンは十四郎の指示を受けるだけで最高速で走れた。怖さや不安など微塵も無い、あるのは超高速で頬と擦れ違う空気と、楽しさだけだった。
「十四郎! 楽しいねっ!」
「……そうですね」
嬉しさのあまり、思わずアルフィンは叫んでしまうが、十四郎の声は重かった。
「ごめんなさい」
「いえ、それよりアルフィン殿、まだ走れますか?」
「大丈夫!」
直ぐに気付いたアルフィンが声を落とすが、十四郎は優しく言った。アルフィンは失言を取り消すべく、更にスピードを上げた。
「あれが最高速では、なかったのか……」
殆ど飛んでいる自分と同じ速度に達するアルフィンの走りを見て、大鷲は更に大きな溜息を付いた。
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砦と言っても、大きく口を広げる洞窟の入り口を、塀で取り囲んだ様なモノだった。一応、高さはそこそこあり、塀の上は人が歩ける位の幅はあった。戦闘が始まっても塀の補強工事は同時進行で続いており、ロメオは忙しく指示を出していた。
「状況は最悪です。敵兵力は我が方の三倍、十重二十重に取り囲まれて脱出は不可能です。偵察に出た者の殆どは帰って来ません」
「それだけ分かれば十分だ。恐らく、敵は我が方の人数や兵站は把握済みだ……なら、我等はどうすればいい?」
深刻な顔で報告するナダルに、笑みを浮かべたロメオが聞いた。
「それは……」
「……素人考え何ですけど、前にミランダ砦で使った手が……」
口籠るナダルの横で、リズが小さく呟いた。
「門を開き、敵を少数ずつ入れて数を削るてすね……それも良い作戦ですが、あの男には通用しないでしょう」
「あの男?」
笑みを向けるロメオは少し顔を曇らせ、リズの背中に嫌な予感が覆い被さった。
「アドリアーノです。私とは腐れ縁で……ですが、切れる男です。本来なら、力攻めを得意とするところですが、幸い私の事を買い被っていて、今は様子を窺っている」
「どうして分かるのです? 偵察に行った者は何も……」
「あの紋章だ」
アドリアーノの知略と力押しの凄さはナダルも聞き及んでいたが、言い切るロメオを信じられないと言う顔で見る。マリオは、遠くに翻る旗を指差した。真紅の旗には交差する剣が描かれ、その剣には二匹の蛇が巻き付いていた。
「あれは……」
「そうだ、奴の性格を物語ってる様な紋章だ」
剣と蛇、リズには容易にアドリアーノと言う男の性格を想像出来た。
「では、どうするのが最適なのですか?」
「そうですね……何もしません」
「えっ?」
考えがまとまらないリズは、聞き返すがロメオはまた笑顔になった。
「奴は私の策の上を行こうと、考えを巡らしているはずです……ならば、私は何の策も用いない。無い策の上など行けないですから」
ロメオの言葉に周囲は納得するが、リズの中には納まりの悪い違和感が残った。
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「アドリアーノ様。どうか、ご指示を……」
「待てと言ったはずだ」
副官は動かないアドリアーノに具申した。配下の兵達は痺れを切らし、抑えが利かなくなり始めていた。何より力押しの軍団は、その力を解き放ちたくて爆発寸前になったいた。だが、アドリアーノからは何の指示も出なかった。
「これ以上、兵を抑える事は出来ません」
「抑えるのが、お前の仕事だ」
更に頭を下げる副官に、アドリアーノは言い放った。何の動きも見せないロメオが、不気味だった。そして、考えれば考える程、その意図は闇の彼方に霞んだ。
「ならば、出方を窺う許可を」
「何を……」
「敵は袋の鼠なのです。敵の意図が分からない以上、こちらから仕掛けるのは愚策ではないはず……待つだけでは、何も分かりません」
副官の言葉がアドリアーノを動かす。確かに一理ある……客観的に見ても、敵が不利なのは間違いない。試してみるかと立ち上がったアドリアーノに、駆け込んで来た兵が叫んだ。
「報告! 所属不明の軍が後方より強襲!」
「所属不明だと?!」
「報告! 旗は真紅の十字に白い竜! 竜の背中には人魚!」
「まさか、アングリアンの軍勢と言うのか……しかし、アングリアンの紋章は赤い竜のはず……」
唖然と呟くアドリアーノに、更に報告が入る。
「兵力は約千、物凄い勢いです!」
「応戦をっ!」
副官は勇ましく立ち上がるが、アドリアーノは強い語気で諌める。
「待て! アングリアンだとの確証を得るのだ」
「確証を得たら?」
「手出しは無用だ。今、アングリアンに参戦されては不味い」
「私が確認します!」
副官は、その場を走り去った。
「何故だ?……」
呟くアドリアーノだっが、その思考は混乱の渦に巻き込まれて初めていた。
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「我はイタストロア騎士団、アドリアーノ配下! 貴軍はアングリアンかっ?!」
不明の軍団は戦いを止め、一人の騎士が近付いた。紅の鎧には白い竜のレリーフ、その背中には金色の髪の人魚が乗っていた。
壮年の騎士は見事な髭をたくわえ、精悍な顔立ちの騎士は凛とした野太い声で言った。
「我等、アングリアン近衛騎士団! 我が姫殿下を、お救いに参った! 行く手を阻む者は全て殲滅する!」
「お待ち下さい! 何処に姫殿下がおいでなのです?!」
「あの砦だ!」
「あれは、イタストロアに刃向かう反乱軍の砦、姫殿下などおられません!」
副官は叫ぶが、紅い鎧の騎士は剣を振りかざした。
「それは、我等の目で確かめる! 邪魔立てするなら、アングリアンが敵になる事を覚悟せよ!」
赤い鎧の騎士を先頭に、騎士団は砦へと向かった。道を開けた副官は、その勢いに押されるが、直ぐにアドリアーノへの報告に向かった。
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「確かに白い竜の紋章でした」
「……待て、アングリアンでは皇女によって、竜の色が違っていたはず……白は確か第三皇女の紋章……まさか、反乱軍の中に……」
副官の報告を受けたアドリアーノは、記憶を思い起こした。
「しかし、報告ではその様な方は、おられません。いたとしても、護衛も無しに……」
「その護衛が今、到着したのかもな……」
「如何致します?」
「とにかく、アングリアンには手出しは出来ない……様子を見るのだ」
「分かりました。見張りを増やします」
その場を去る副官の背中を見ながら、アドリアーノはまた嫌な予感に包まれた。イタストロアの反乱兵だけでなく、フランクルやモネコストロの兵、そしてアングリアンまで加われば大陸中の国が敵になる事を示唆していた。
「流れなのか?……」
嫌な奴だが、愛国心の強いロメオが祖国に反旗を翻し加担する程の勢力……その根源にいる魔法使い……アドリアーノは、何故が会ってみたいと思った。




