白い狼
初めて経験する流血は、ローボの怒りをメラメラと沸騰させた。
「人の分際で……」
呟いたローボは全身から光を放った。傷は瞬時に消え、銀色の体毛は輝きを増し全身に躍動感が蘇った。
「教えて下さい」
剣を下げ、アウレーリアは小さく呟く。
「それが、頼みごとをする態度か?」
地面を蹴ったローボがアウレーリアに牙を向ける! だが残像を残してアウレーリアは身を翻した。
「傷が消えてますね」
反対側まで跳んで振り返ったローボの目の前に、首を傾げるアウレーリアがいた。
「……」
瞬時に後ろ向きに飛ぶが、アウレーリアとの距離は離れない。アウレーリアはその態勢のまま、軽く剣を振る。ローボの肩先を霞めた剣先が”ブン”と言う音を後から連れて来た。
肩を走る激痛、生暖かい血の臭い。ローボの脳裏に、地面に転がる自分の首が一瞬浮かんだ。
「ローボ!」
その声にローボの血が凍る。振り向いた先には、純白に輝くブランカの姿があった。
「何故来た?! お前は……」
「白い狼……」
ローボの言葉を遮り、アウレーリアが口元を綻ばせる。
「ブランカ様!!」
直ぐにレオに率いられた集団がブランカの前に飛び出すが、アウレーリアは見向きもしなかった。
「見付けた……」
そのままゆっくり、アウレーリアはブランカに近付く。ローボはその後ろから飛び掛かろうとするが、ブランカに一括された。
「お止めなさいっ!」
「コイツは、お前を狙ってる!」
飛び出そうと縮めた後ろ足を戻しながら叫んだ。
「それは、この人の目を見れば分かります」
落ち着いた声でそう言うと、ブランカはアウレーリアに視線を向けた。
「何故私を狙うのですか?」
「あなたの血で、十四郎の目が治るのです」
「十四郎の目……どうして、あなたが?」
「……十四郎が、私を見たいと言ったから」
ブランカの問いに、アウレーリアは頬を染めた。
「……そうですか」
アウレーリアの様子を見たブランカが、小さな溜息を付いた瞬間! アウレーリアが跳んだ!。
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「ブランカ!!」
見えない程の速さであるはずのアウレーリアの動きが、ローボの視界でスローモーションになる。だが、アウレーリアの影がブランカに重なる瞬間! 稲妻の様な金属音がローボを現実に引き戻した。
「……十四郎……」
声を枯らすローボの目にはブランカの寸前で、アウレーリアの剣を刀で受ける十四郎の姿があった。
「ブランカ殿、お久しぶりです」
「十四郎、元気でしたか?」
とても緊迫した状況の中の会話ではないが、ローボは背中の汗が引く様に感じた。
「……何故です? あなたが、私を見たいと……」
「すみません。確かにそう言いましたが、大切なブランカ殿の命とは代えられません」
茫然と呟くアウレーリアは剣を小刻みに揺らすが、十四郎は丁寧に謝った。
「……そんな事……」
アウレーリアは剣を返すとブランカの首筋を狙う。十四郎は、その剣を神速で防ぐと、鍔迫り合いの態勢に持ち込んだ。
「……十四郎……」
ローボには十四郎が不利である事は分かっていた。前回の戦いで、アウレーリアを下がらせたのは、十四郎の目を直しアウレーリアを見ると言う事だったのだ。
その大前提を覆すなら、アウレーリアを止める事は最早不可能だった。
「十四郎! なんとか隙を作れ! 私が飛び込む!」
ローボはその一点に賭けた。二人同時なら、アウレーリアに勝てるかもしれない……だが、それも希望的観測に過ぎないと、心の片隅で思っていた。
「隙と言っても……」
それは十四郎も同じだった。鍔迫り合いから、攻撃を仕掛けてもアウレーリアは簡単に避ける。もしも、アウレーリアから攻撃を仕掛けて来れば躱せるのか……そんな思いが脳裏を駈ける。
とても隙を作るなど、この状況では難しかった。鍔迫り合いは、ゆっくりと時間を消費した……そして、アウレーリアの表情は物悲しそうになった。
「あなたが私を見たいと言ったのに……」
「……すみません」
「……私は……」
謝る事しか出来ない十四郎に、アウレーリアは決心した……ならば、と。鍔迫り合いの力を一瞬緩め、十四郎が押し返した瞬間! アウレーリアは身を屈めた! そのまま横薙ぎで十四郎の胴を見えない速度の剣が襲う!。
十四郎は刀の柄で間一髪受け止めるが、次の瞬間! 頭上からまたも見えない剣が振り下ろされる! 横薙ぎを受けた態勢では両腕は畳まれた状態であり、真上から振り下ろされる剣を防ぐには刀の動かせる範囲は限られた。
「双方! お止めなさい!!」
空間全体に響き渡る声! アウレーリアの剣が十四郎の頭上で止まった。それはブランカの声で、十四郎やローボでさえ動きを止めた。
「私の血で、十四郎の目が治るのですね?」
「はい……」
剣を降ろしたアウレーリアは、小さく返事した。ローボには信じられなかった、あのアウレーリアが素直に従っているのだ。
「それでは、薬草を出して下さい……レオ、器を……」
ブランカに言われ、慌ててレオが器を用意した。
「十四郎、薬草をよく混ぜて下さい。細かく潰すのです」
「あっ、はい」
ブランカに言われるまま、十四郎はアウレーリアが持って来た薬草を枝を使い器の中で混ぜた。独特の臭いが漂い、十四郎は一心不乱に薬草を混ぜた。
ついさっきまでの緊迫した状況は、何故がブランカを中心に跡形も無く消えていた。
「ここに置いて下さい」
十四郎が言う通り、ブランカの足元に置いた。
「ブランカ! 止めろ!」
急に我に返ったローボが叫ぶが、ブランカは静かに言った。
「あなたは、勘違いしてますよ。血が必要と言っても全部ではありません、ほんの少しです。それに、私も十四郎の目を直したいですし」
「しかし……」
口籠るローボ、十四郎やアウレーリアさえも全ての者がブランカの掌の中だった。ブランカは前脚を自分で噛み、一滴の血を器に垂らす。そして、穏やかに言った。
「さあ、十四郎お飲みなさい」
「はい」
その薬草はブランカの血を混ぜた途端、全ての臭いが消えていた。
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鼻の奥が一瞬、きな臭くなる。目の底が瞬間痛む。そして、猛烈な頭痛が十四郎を襲い、本当に頭が割れるかと思った。そして、その頭痛が次第に収まると、漆黒の世界が四隅からぼんやりとした光に包まれる。
その光はやがて、十四郎の目に視界を甦らせた。
「ブランカ殿、見えます……」
「そうですか、それはよかった」
狼であるはずのブランカの顔が、とても優しい母神の様に十四郎の瞳に映った。
「十四郎……」
十四郎の前にはアウレーリアが立っていた。その美しさは、十四郎の胸を貫く。だが、十四郎は何て言ったらいいか分からなかった。
「アウレーリア殿、ですか?」
「……はい」
俯き加減のアウレーリアは小さく返事するが、その時! 遠くから十四郎を呼ぶビアンカの声が響き渡った。
「十四郎!!!」




