現れた悪夢
「ブランカっ!!」
ローボの声が森を震わせた。その声は森の隅々まで行き渡り、木々は震え、葉や枝が空に舞った。
「何ですか? 騒々しい」
純白のブランカが、森の緑と見事なコントラストを描いてローボの前に姿を現した。
「何をしてた?」
全身の力が抜けた。それまで張り詰めていた糸が、プツンと切れてローボは大きく溜息を付いた。
「何をしてた? それは、こちらのセリフです。こんなに長く森を留守にするなんて、どう言うつもりなんですか?」
ブランカもまた、小さく溜息を付いた。十四郎に付いて行ったのは知っていたが、ブランカはワザと拗ねてるフリをした。
「災いが近付いてる。直ぐに身を隠せ」
「災いですか?」
首を傾げるブランカだったが、真剣なローボを見て瞬時に察する。
「十四郎でも手を焼く相手だ」
「狙いは私ですか?」
「済まない。私が招いたのだ……」
「分かりました。姿を隠します……十四郎に伝えて下さい。くれぐれも無理はしないようにと……それに、あなたもですよ」
「伝える」
森に消えたブランカの背中を見送ると、ローボは特大の溜息を付いた。短い会話で全てを悟るブランカの賢さ、そして大きな手の中に抱かれる様な感覚はローボを少しは楽にした。
だが、精神を集中してもアウレーリアの気配は掴めない。
「あれは、本当に人なのか?……」
呟くローボは経験した事の無い感覚に包まれる。亜神としての自覚はある、人など気にも留めない存在だと、今も思っている。
だが、十四郎に出逢いアウレーリアに出会った事で、ローボの中で何かが変わり始めていた。
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「ビアンカ様! シルフィーに付いて行ける馬などございません!」
「後から、来て下さい!」
叫ぶツヴァイに対し、ビアンカは振り向きせずに叫び返す。何度も繰り返して来た光景に、ツヴァイは思わず笑みを漏らした。
「……全く……困ったものだ」
「何を笑ってる!」
横に並んだココも笑顔になっていた。
「そうだよ! 笑ってる場合か!」
「お前も笑ってるぞ」
笑顔で叫ぶノインツェーンにリルが、つっ込む。当然、無表情のままで。
「……こいつら……」
マリオは呆れ顔で呟いた。今向かってるのは、あのアウレーリアの元だ。十四郎でさえ苦戦する難敵、自分達が全力で向かっても瞬殺される事は分かり切っているのに……それで、どうしてあんな笑顔でいられるのか。
「あなたも、直ぐに分かりますよ」
首を傾げるマリオに向かい、ココは笑顔を向けた。
「あまり、分かりたくないな」
独り言の様に呟くマリオの顔は、自然と笑顔になっていた。
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「なんて速さなの……」
息を切らせたライエカが、十四郎の肩に止まった。
「ライエカ殿、しっかり掴まってないと振り落とされますよ」
前方に意識を集中したまま、十四郎は呟いた。
「確かに……」
十四郎は笑顔を向けるが、アルフィンの速度は常識の範疇を越えていた。しかも、全く見えないのに十四郎は見事な手綱捌きで障害物を避け、最速で走れるコースに誘導していた。
「ゴメンね! 急いでるから!」
アルフィンは集中していた。自分の限界を超えたスピードでも、十四郎が乗っていれば安心して速度を出せた。
「十四郎! 大丈夫?! あの娘は危険だよ」
「はあ、多分……」
アウレーリアの事はライエカも驚いていた。人など遥かに超えた脅威、それは獣をも凌ぎ、亜神とて油断出来ない強さ。だが、それさえ超える何かを、感じていた。
「ワタシも行くから」
「ありがとう、ございます」
十四郎は否定しなかった。半分は”お構いなく”と言われると思っていた。
「行こう、十四郎」
頼られた事が嬉しくて、ライエカも笑顔になった。
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気配や殺気など微塵も感じない。だが、嫌な予感がローボを包み込む……そして、その予感は悪夢を伴い訪れた。
「白い狼を探しています。ご存じないですか?」
突然だった。予想も出来なかった。身構える前に、アウレーリアはローボの目の前に立っていた。薄笑みを浮かべ、全ての”美”をまとったアウレーリアは突然現れた。
「白い狼をどうするつもりだ?」
「知ってるのですね」
ローボの質問など、まるで気にしてないアウレーリアは更に口元を綻ばせた。
「知ってても……」
ローボが言い掛けた瞬間! 目の前を風圧が過ぎ去る。咄嗟に屈んで避けるが、ローボの銀色の毛が宙を舞った。
「教えて下さい」
次の瞬間には、アウレーリアは触れる事の出来る距離にいた。
「くっ!」
刹那! アウレーリアの剣を牙で受け止めるが、物凄い衝撃が全身を超高速で通過する。同時に前脚の爪でアウレーリアの顔を横薙ぎにするが、最大に伸ばした爪は宙を切った。
「剣を持たない獣にしては……」
なんとか距離を取り、前屈みで戦闘態勢を取るローボに対してアウレーリアは無表情で呟いた。
「ローボ様!」
そこにレオが駆け付け、アウレーリアに飛び掛かろうとするがローボの声が炸裂した。
「動くなっ!!」
叫ぶと同時にアウレーリアの周囲を残像を残しながら、ローボが神速で跳んだ。レオの目にはアウレーリアは全く動いて無い様に見えた。
だが、一旦距離を取り、呼吸を乱すローボの全身は鮮血で覆われていた。
「……ローボ様が血を流すなど……」
全身が硬直し、言葉を途切れさせるレオは悪夢に包み込まれていた。




