恋心
十四郎は鍔迫り合いの状態から、急に刀を引いた。そのまま後ろに飛ぶが、アウレーリアは神速で間合いを詰める。そしてまた、鍔迫り合いの状態から顔を近付けた。
「くっ……」
苦悶の表情を浮かべたビアンカは、地面から刀を抜くと肩を小刻みに震わせた。
「駄目です」
前に立ち塞がったツヴァイの顔は、ビアンカ以上に苦悶の表情だった。
「そこをどいて下さい」
低く掠れる声を絞り出したビアンカの瞳には、微かに涙が滲んでいた。ツヴァイの胸に炎の矢が突き刺さる、ビアンカの涙はツヴァイにとって最も見たくないモノだった。
「……出来ません」
目を逸らせたツヴァイは同じく声を絞り出す。だが、ビアンカは立ち竦むツヴァイを押し退けようとする。
「見ていろ」
震えの止まらないビアンカの背中に、ローボの太い声が突き刺さった。振り向いたビアンカは大粒の涙を溜めたまま、ローボを睨んだ。
「十四郎に任せろ。お前は十分戦った」
急に穏やかになったローボの声だったが、ビアンカは更に強い視線を向けた。ローボには、どうしてもビアンカの気持ちが分からなかった。
「ビアンカ様が悔しいのは、戦い途中だってからではないの」
ローボを見詰めながらのノインツェーンの言葉は、更にローボを混乱させる。
「なら、何だ?」
「見て……あの女を……」
ノインツェーンに促され改めてローボはアウレーリアを見るが、その動きは十四郎さえ凌駕して主導権を握ってる様に見えた。
「押されてるな……だが、何か様子がおかしい」
アウレーリアの動きに違和感を感じたが、やはりローボには分からなかった。
「……あんなに顔を近付けて……頬が触れるくらいに……」
少し震える声のノインツェーン。更にローボは分からなくなった。
「何なんだ?」
苛立ちを隠せないローボはノインツェーンを睨むが、その返答は曖昧だった。
「……人には分かる……女なら尚更……」
「だから、何だと言っている!」
思わず声を上げるローボだったが、今度はリルが悲しそうな目を向けた。
「……好きな人が……違う女と……あんなに近くに……」
「言ってる意味が分からん」
消えそうな声でリルは呟くが、明らかに不機嫌そうにローボは吐き捨てた。
「ローボもブランカさんが好きでしょう?」
今度はノインツェーンが呟いた。
「何を言ってる! 状況を見ろ! 十四郎が戦ってる時にっ!」
牙を剥いてローボが叫ぶ。だが、二人は悲しそうな目でローボを見た。
「ローボ殿……どんな状況でも人は……」
「どんな状況でもだとっ?! お前達は何の為に此処に来たっ!? 十四郎は何の為に戦ってる!?」
二人を庇うように前に来たツヴァイに向かい、ローボが怒鳴った。
「ローボが怒るのは無理も無い。お前達、少しおかしいぞ……こんな時に色恋なんて」
呆れた様な口調のマリオはローボに同調した。最強と言われる敵と、今まさに十四郎が戦ってる最中なのにと、首を傾げてビアンカを見た。目を逸らせたビアンカは、震える肩を隠そうともせずに十四郎の背中だけに視線を向けた。
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『どうした? さっさと片付けろ』
『速くなってます……前に相対した時より』
ローボの声が十四郎の脳裏に響くが、十四郎は顔を歪めてアウレーリアの剣を押し返した。
『確かに速い……ならば、前の様に剣を斬れ』
『試してみましたが、斬れません……』
既に十四郎はアウレーリアの剣を斬ろうと何度か試していた。だが、経験した事の無い手応えがあるだけで、アウレーリアの剣は斬れなかった。
『剣も変わった様だな……』
ローボはアウレーリアの持つ剣に、嫌な感じを受けた。
『剣の速さだけではありません。動きの全てが……』
十四郎は抜刀術を繰り出したかったが、距離を取ろうにも十四郎を凌駕する動きでアウレーリアは距離を取る事を許さなかった。
それは見ているローボにも分かった事だった。十四郎の技を封じ込め、全ての先を読む様なアウレーリア動作には驚くしかなかった。打開策を考えるローボだったが、初めて見る苦戦する十四郎の姿に考えがまとまらない。
「あの女、どこが変なのだ?」
溜息交じりのローボは、ノインツェーンに聞いてみた。
「……変と言うより……あれは、十四郎様の事……」
俯くノインツェーンは言葉を濁す。
「分かる様に言え」
「……好きなのかも……」
消えそうなノインツェーンの声。ローボは思わず聞き返した。
「何だと?」
「その可能性はある」
リルは小さな声で頷いた。
「訳が分からん……人って奴は……」
独り言のように呟いたローボは少し冷静に考えた後、十四郎に策を告げた。
『もう一度お願いします。それをしなければいけませんか?』
『打開策はそれだけだ。今は、この状況を早く終わらせる事だ。今なら、戦況は我らに有利だからな』
仕方なさそうに頷いた十四郎は、鍔迫り合いで顔を近付けるアウレーリアに済まなそうに告げた。
「アウレーリア殿、お願いがあります」
「何ですか?」
口元を緩ませ、アウレーリアは十四郎の目を見詰めた。
「私は毒で視力を失いました……それは、アルマンニに伝わる毒です。その、ですね……出来れば、解毒薬を探してはもらえませんか」
「私がですか? 何の為に?」
「それは、その……あのですね、私はですね、その、今のですね、アウレーリア殿を見てみたいんです」
しどろもどろの十四郎だったが、急にアウレーリアの剣が力を無くした。呆気にとられた十四郎は少し距離を取ると、おずおずと聞いてみた。
「あの……如何でしょうか?」
「……分かりました」
剣を収めたアウレーリアは、背中を向ける。当然、十四郎には見えなかったがアウレーリアは耳まで真っ赤になっていた。
「……まさかな……あいつも、人だと言うのか?」
自分で発案したローボも呆れ顔で呟く。しかも、アウレーリアが即答した事で更にローボを混乱させた。ノインツェーンやリルも唖然とし、ツヴァイやマリオはポカンと口を開けていた。だが、ビアンカだけは口を真一文字に結び、アウレーリアと入れ違いで十四郎の元に駆け寄った。
擦れ違う時もアウレーリアはビアンカを見向きもしなかった。そして、まさに擦れ違う瞬間に薫風と甘い香りがビアンカを包んだ。だが、その嬉しそうな微笑みはビアンカの胸に氷の大剣を突き刺した。
「……あの人に、何と、言ったんですか?」
低く小さな声でビアンカは聞くが、十四郎は苦笑いで答える。
「その、解毒薬を頼みました」
「解毒薬?」
「はい、頼む事が打開策になるとローボ殿が……」
「ローボ……」
振り返ったビアンカが凄い形相でローボを睨むが、目を逸らすローボを見ると急に俯いた。
「やはり、そう、ですか……」
胸が締め付けられる。早くなる動悸は、軽い吐き気さえ伴った。
「えっ、何がですか?」
しかし、ポカンとする十四郎の態度が今のビアンカを少し楽にしてくれた。
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アリアンナ達の軍勢は敵を蹴散らしていた。十四郎によって骨抜きにされた軍勢は既に戦いのモードではなく、退却のモードに入っており趨勢は決していた。
「深追いはするなっ! 前に押し出すだけでいいっ!」
叫んだアリアンナは、遠くで攻勢に出るフランクル軍を見た。
「このまま押し返します。中央も総崩れです、勝機は我々にあります」
並んだロメオも戦況を有利と分析していた。
「後は十四郎……」
アリアンナは本体に突入した十四郎の事を思い出したが、その横をリズが凄いスピードで駆け抜けた。
「待って!」
叫ぶがリズの背中には届かない。泣きそうなリズは十四郎の事も心配だが、それよりビアンカの事が更に胸を覆っていた。泣いてるビアンカ、俯くビアンカが脳裏を駆け抜け馬に向ける鞭に力が入った。
「ビアンカ……直ぐに行くから……」
リズは遠い戦場のビアンカだけを一点に見詰めていた。




