嫉妬
『十四郎……』
その低いローボの声は、十四郎に全てを悟らせた。その瞬間、急に動きを止め十四郎は刀を下げながら周囲の敵を見渡した。
どこの国であろうと、指揮官は周囲の兵とは違う。その姿成りではなく、醸し出す存在感があった。十四郎は取り囲む兵の中に黒々とした髭を蓄え、不利な状況の中でも部下を鼓舞し続ける男の気配を察知した。
素早く刀を仕舞い、低い体勢で瞬時に走り寄ると指揮官らしき男は腰の大剣を抜いた。
「化物め……我らはアルマンニ騎士の誇りに懸けて、お前を討つ」
「あなたが、この場の指揮官ですか?」
低い十四郎の声に、指揮官らしき男は少し後退る。
「如何にも。私はアルマンニ……」
指揮官が言い終わらないうちに、十四郎は刀を一閃した。そして、地面に倒れると同時に周囲に兵に大声で告げた。
「引かぬ者は容赦しない!」
銀色の瞳が眩い光を放ち、その場でもう一度一閃した刀は空気を切り裂き、衝撃で前方にいた兵士達が後ろ向きに押された。
殆どの者は口を開く事はおろか、動く事さえ出来なかった。
「アルフィン殿!」
今度はアルフィンを呼ぶ。そして、疾風のごとく現れたアルフィンに跨ると十四郎は、その場を後にした。兵士達は魔法に掛かった様に、誰もその場から動けなかった。
「行先は?」
「ビアンカ殿の所にお願いします」
その声は迷いなど微塵もなかった。
「分かった!」
アルフィンは戦場を稲妻みたいに駆け抜けた。
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「ビアンカ様、アウレーリアに引けを取っていない……」
物凄い速度で剣を交えるビアンカを茫然と見ながら呟くツヴァイに、低いローボの声が被さる。
「本当にそう見えるか?」
「私には、そう見えます」
ツヴァイにはローボの言葉の意味が分からなかった。
「二人の顔をよく見て見ろ」
鋭い視線のローボが、神の様に戦う二人に向けられた。促され、ツヴァイは交互に二人の顔を見た。そこには歯を食い縛るビアンカと、無表情なはずのアウレーリアが眉を寄せ、唇を噛み締めている姿があった。
「……まさか……」
ツヴァイの心臓に氷の剣が突き刺さる。ビアンカの表情は、明らかに何かに耐えている様に見えた。
「ビアンカの糸は最大限に張りつめている。そして、あの女も多分張りつめている……だがな、糸の太さが明らかに違う……」
全てを理解したツヴァイの全身が雷に打たれた様な衝撃に包まれ、続けて激しい震えに襲われた。だが、動きたくても体は動かない。今、介入する事はビアンカの極限まで張り詰めた糸にとって、最悪の事態を招きかねないと……。
「分からないのは、あの女だ……あの表情……あれは、何なんだ」
ハッとして振り返ったツヴァイは、ローボが首を傾げる様子に驚いた。
「あなたでも分からない事が?」
「フン……人の事など分からぬ」
吐き捨てるローボだったが、身を乗り出すリルの様子が気になった。
「あんな女なんかに負けない」
「同感だね。ビアンカ様が負ける訳がない」
声を震わせるリルの肩を叩きながら、ノインツェーンは胸を張った。
「お前等、見て分からないのか? ビアンカ殿は限界だ、もう……」
「貴様!」
「よせ!」
声を落とすマリオの胸ぐらを、また凄い形相で掴むツヴァイをココが後ろから羽交い絞めにした。そして、大声でマリオに言い放った。
「ビアンカ様は負けない! 何故ならビアンカ様は、十四郎様の為に戦っているからだ!」
「十四郎殿の為?……」
マリオは不思議そうな顔をしたが、ローボもまた首を傾げてココを見た。
「全く……」
「ローボ殿もそう、お思いですか?」
「……さあな」
真剣な顔を向けるツヴァイから視線を逸らし、ローボは小さく呟いた。
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ビアンカの刀を弾き飛ばしたアウレーリアは、急に距離を取る。離されまいと地面を蹴ったビアンカの脚に激痛が走り思わず、よろめく身体を地面に突き刺した刀で支えた。
「まずいっ!!」
「待て」
飛び出そうとするツヴァイを、ローボが体で止めた。
「行かせて下さいっ!」
「お前など最初の一撃で真っ二つだ」
静かなローボの声は真剣だった。
「一瞬でも時間が稼げればいいっ!!」
叫びながらツヴァイはローボを押し退けようとするが、今度はココに腕を掴まれた。
「無茶言うな……」
「私はビアンカ様を守る!!」
叫ぶツヴァイの目には涙が滲んでいた。
「信じるんだ……何っ!」
ツヴァイの腕を強く掴んだココの目に、信じられない光景が激突する。そこには、アウレーリアに突進するリルとノインツェーンの姿があった。
「やめろっおっ!!!」
ココの激烈な叫びが大空に木霊した瞬間! アウレーリアは無表情のまま二人に剣を振り下ろす! ビアンカの目にも、その心臓を鷲掴みにする光景は激突した! 声なんて出ない、思考さえ停止して、瞳孔が開いた。
その場の全員を含め、ローボさえ動けなかった刹那の瞬間! 大空に金属音が響き渡った。
「十四郎様……」
声を絞り出すツヴァイは全身の震えに包まれる……それは勿論、恐怖の震えではなくて歓喜の震えだった。
「十四郎……」
剣を重ねたままアウレーリアが呟いた。だが、自分自身の声が他人の声に聞こえた。
「もう、止めて下さい」
悲しそうな十四郎の声は、深い位置でアウレーリアの胸に刺さる。そのまま、剣に力を込めると十四郎に顔を近付けた。
息が掛かる程の距離……アウレーリアの心臓は、経験した事の無い動悸に包まれる。
「……十四郎……」
その光景は、ビアンカの心臓もアウレーリアに負けない位に鷲掴みにする。一瞬で、空白の思考が激しく動き出す。それは、言葉にするなら……”嫉妬”が一番近いかもしれなかった。




