魔法使いの弟子
また急に手綱を引かれ、アルフィンは驚いて急停止した。
「十四郎?……」
「……」
十四郎の脳裏では混沌し始めた戦場の様子が、黒い靄を引き摺っていた。
『どうした? 行かないのか?』
直ぐに頭の中にローボの声が響く。ローボは一旦ビアンカの元を離れ、ロメオ達の支援に来ていた。それは的確な判断で、気配を察知していた十四郎も何の異存もなかった。
『ローボ殿、動きが変わりました……』
十四郎は戦場の動きを見切っていた。アウレーリアの参戦で一旦は混乱した状況は、ビアンカと対峙した事で一瞬だが動きが止まっていた。
『全てを守るのは無理だぞ……』
ローボの声は十四郎に選択を迫るが、答える声には悲壮感などなかった。
『……いえ、守ります』
アルフィンの向きをロメオ達の方へ向けた十四郎の背中には、迷いなど微塵もなかった。
『まったく……』
口角を上げ、呟いたローボは直ぐにルーに指示を出した。
『この場は任せる……』
『父上は?』
『十四郎の頼みだからな』
『どうしてそこまで? ビアンカは大丈夫なのでしょ?』
ビアンカの元に行こうとする事を察したルーは、疑問を口にした。大丈夫と思ったから、こちらに来たのではないのか? まるで十四郎の命令でローボが動いている様に感じ、ルーは少し嫌な感じがした。
『何だ? どうした?』
明らかに様子のおかしいルーに、ローボは逆に聞く。
『父上が十四郎に従う理由が分かりません』
『さあな、私にも分からん……』
正直なルーの問いに正直に答えるローボは、ビアンカの元に走りながら口元で笑った。
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「後方がっ!」
ロメオ達を攻めていた指揮官に、悲鳴に近い報告が入った。
「何だっ?! 正確に報告しろ!」
怒鳴り返す指揮官の背中に、激しい悪寒が走った。
「まっ、魔法使いですっ!!」
返答の悲鳴は、更に指揮官の心拍を上昇させた。そして、振り返って見た光景は指揮官の瞳孔を開かせた。
白い馬に跨り信じられない速度で周囲の兵を駆逐する、その姿は既に指揮官の常識を超えていた。振るう槍は速度が速すぎて半分は霞み、切裂く空気の音が周囲を徘徊した。
「全軍反転!! 後方の敵に向かえ!!」
敢えて”魔法使い”という言葉は使わない。指揮官は状況打破の為には、それしかないと判断した。だが、十四郎はゆっくりとアルフィンを降りた。
「アルフィン殿、暫く離れていて下さい」
「分かった」
アルフィンが離れると十四郎は槍を地面に突き立て、ゆっくりと刀を抜いた。
「敵は一人だ! 臆するなっ!」
近くにいた騎士長は、周囲の兵を鼓舞する。一斉に数十人が十四郎に襲い掛かる! しかし刀が届く間合いの外から、十四郎は見えない速さで横薙ぎを一閃した!。
物凄い風圧が空気の”刀”となり、迫る兵達に激突する。それは、まるで見えない”棍棒”に殴られたかの様に打撃を与えた。兵達は足が止まり、息を飲んで目を見開いた。
刹那! 十四郎が跳んだ! 立ち尽くす兵達の間を風の様に駆け抜ける! そして、兵達の意識は空の彼方に消えた。
一瞬で十四郎の傍に立つ兵がいなくなった。刀を低く下げ、俯き加減の十四郎が更に取り巻く兵達の網膜に焼き付く。人知を超えた”恐怖”に支配された者は口を開く事さえ出来ず、動く事も忘れていた。
その動きが止まった集団に、十四郎は襲い掛かる。見えない切先には間合いも何もない、ただ振り下ろされる度に敵兵は地面に倒れた。
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「敵後方に魔法使い! 物凄い勢いで殲滅しています!!」
叫ぶナダルを見たロメオは、静かにアリアンナの方を向いた。
「抗い様の無い強大な力……私は見てみたい……十四郎殿がどこに行くのか?……どこまで行くのか」
「そうですね……しかし、如何に十四郎と言え、あの数が相手では……まるで、力の温存など考えていないみたい……」
アリアンナには、あまりに壮烈な十四郎の戦い方が不安だった。
「あれで、いいのです……十四郎殿がやってるのは”恐怖”の具現化です……全てを相手にする必要は無いのです」
「恐怖……」
改めてアリアンナは十四郎の戦いに目を移す。そこには確かに恐怖に目を見開き、身体を硬直させる敵兵の姿があった。やがて、十四郎を取り巻く輪が出来た……その輪は次第に大きくなり十四郎の行く方向に形を歪めた。
「でも……」
アリアンナは倒れた敵兵の中から、苦しそうだが起き上がる者がいる事に不安感を抱いた。
「命を奪わない限り……また、敵兵は挑んで来ます」
振り向くとリズがいた。だが、言葉と裏腹にその表情は曇ってなかった。
「十四郎は間違ってないと思うの?」
「はい……十四郎様は前に言ってました。何度でも倒すと……」
不安げなアリアンナの問いに、リズは笑顔で答えた。
「不思議でしょ? この世界に於いて戦いとは相手の命を奪う事……王族の私だって知ってる……でも十四郎は違う……十四郎は、命とは何なのかを教えてくれる」
俯き加減のラナの言葉は、アリアンナの胸刺さった。
「命とは何か……」
アリアンナは声に出したが、ロメオは心の中で呟いていた。
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シルフィーの速さに走って追い付くの至難どころではないが、ツヴァイは必死で走りビアンカの姿を見付けた。だが、同時に視界に飛び込むアウレーリアの姿を見ると体が硬直した。
瞬時に脳裏に浮かぶビアンカが切り裂かれる光景……それは、自分が切り裂かれるより何千倍も恐ろしい事だった。叫びたくても、走りたくても体は反応せずにツヴァイは息をする事さえ出来なかった。
「何をしてる?!」
後ろから肩を叩かれたツヴァイは、やっと息が出来て驚いて振り返った。
「ココ……」
そこには険しい表情のココがいて、マリオやリルも身構えていた。
「あれがアウレーリア……」
初めて見るアウレーリアの美しさに舌を巻くマリオだったが、対峙するビアンカも決して負けていないと感じた。それどころか美しさの指標こそ違うが、男が求めるモノを全て持ち合わせているのはビアンカ方だと素直に思った。
「やめろっ!!」
リルは反射的に矢を放つが、ツヴァイは本能的に叫ぶ……その結末が脳裏に炸裂して。
「えっ?……」
矢を放った瞬間、リルの視野は銀色の光に包まれた。それは紛れもなくアウレーリアの剣で、命のキラメキが周囲に広がった……。
ココの心臓が止まり、ツヴァイやマリオの息が止まる……そして、リルの命が消えると思われた、刹那の間……空に鳴り響く金属音が空間を支配した。
「どこを見てる?」
アウレーリアの剣を、ビアンカの刀が受けていた。反射的にアウレーリアは剣を横方向に薙ぎ払う、普通なら相手は真っ二つだがビアンカは刀で受け流しながら後方に跳んだ。
間髪入れず超高速のアウレーリアの突きでさえ、ビアンカは簡単に受け流した。
「あなた……何なのですか?」
思わずアウレーリアの口から零れる言葉に対し、ビアンカは刀を構え直すと低い声で返答した。
「あなたこそ……」
今のビアンカを形容するのは、それしか思い浮かばないツヴァイは声にならない位に小さく呟いた。
「まるで……十四郎様だ……」




