来襲
戦場の空気が変わった。その風は冷気を含み、透明な甘い匂いが周囲を包み込んだ。
「何だ、これは?……」
「どうしました?」
アラン将軍は隣にいるマルコスが、急に顔色を変えた事に首を傾げた。
「いえ……別に……」
「ご心配なく、魔法使い殿の援護は出来てますよ」
数の上では劣勢だが、士気の上がったフランクル軍は実際に優勢に戦っていた。最後尾に位置した場所からでも、味方が押しているのは一目瞭然だった。だが、マルコスを包み込む悪寒は現実のモノになっていた。
『まさか……あいつが……』
ココロで呟くマルコス脳裏には最悪の事態が渦巻いて、全身を流れる汗が急激に体温を奪う。
「直ぐに撤退は可能ですか?」
「今、何と?」
考えるより先にマルコスは撤退を示唆する。それは、友好国のフランクル兵士に訪れる最悪の事態を防ぎたい一心からだった。驚くアランはマルコスの顔を覗き込んだ。
「万が一の為です……アウレーリアが……来る可能性があります」
「アウレーリア? あの黄金騎士の?」
アランもアウレーリアの噂は知っていたが、急な撤退の理由とは結び付かない様だった。
「はい。もし、来れば被害は甚大になります」
「解せませんな。確かに噂は聞いてますが、たった一人で何が出来ます?」
「あれは……魔物です……人では太刀打ち出来ません」
不思議そうに聞くアランの目を、真剣な表情のマルコスが見返した。その深刻さが伝わると、アランは背筋を伸ばした。
「そうですか……仰る事は分かりました……ですが、我らはフランクル最強の騎士団、敵がどんなに強くても後ろを見せる事など出来ません」
アランの言葉がマルコスの胸に響き渡る……”騎士”とは何かと。
「私は……フランクルの同志達を……」
「我等は,決して死を恐れたりはしない……モネコストロの同志よ、感謝します」
俯くマルコスに対し、アランは優しく笑った。
『そうか……』
ココロで呟いたマルコスは、初めて十四郎の気持ちが分かった気がした……”誰も死なせたくはない”それは、こんな気持ちなんだなと。
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アウレーリアは戦場を見渡す丘の上に立っていた。戦場に充満する数えきれない程の”死”も、憎悪や悲しみ、痛みさえも、アウレーリアにとっては何の関心もない事だった。ただ、アウレーリアが求めるのは十四郎の姿だけで、その美しい氷の瞳は戦場を彷徨っていた。
そして、アウレーリアは戦場の”気”を感じ取っていた。数えきれない程の憎悪と恐れが十四郎に向かっている事を……。
胸の奥が経験した事の無いモヤモヤとした気分で満たされる。だが、それが不快なのか? 昂揚感なのか? アウレーリアには分からなかった。
「遅かったね」
アウレーリアが振り向くとアインスが立っていた。
「あなた、十四郎を……」
その美しいウィスパーボイスがアインスの胸に氷の剣を突き刺すが、アインスは心臓の高鳴りを押さえて言った。
「まさか……ボクは十四郎を助けに来たのさ」
「そうですか」
その声のトーンからアウレーリアの心理を推し量る事は出来ない。ただ、風に揺れる銀色の髪が光を反射しているみたいに輝くだけだった。
「どうするの?」
「……」
アインスの問いには答えないアウレーリアだったが、右手を剣に添えた。アインスにはアウレーリアの表情は見えない、そして”気”の乱れも感じなかった……が。
そして、次の瞬間……アインスの右腕が地面に落ちた。
「これが……答えか……」
薄れる意識の中でアインスは呟いた。
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「ア、アウレーリアが来ました」
体を震わせ報告する副官に、魂の抜けた様な顔のリヒトが振り向いた。
「来ましたか……」
「一体何が起こるのか……」
震える副官の脳裏には、最悪の事態しか思い浮かばなかった。
「……黄金騎士でありながら、国王陛下に対する忠誠も国を守る使命もアウレーリアにはありません……誰も彼女には命令など出来ないのです……ですから、今までアウレーリアが戦場に来る事はありませんでした……解き放たれたアウレーリアがどうなるのか……誰にも分かりません」
声を震わせ、目を見開いたリヒトは呪文の様に呟く。だが、アウレーリアを見た事のない副官は疑念が無い訳ではなかった。どんなに凄くても所詮は一人、大勢を狂わせる程の影響があるものだろうかと。
「知らない事は、幸せですよ」
そんな副官の考えを見透かす様に、リヒトは引きつった口元を歪めた。その言葉は暫くの沈黙を誘うが、副官は耐えられずに声を出す。
「如何致しますか?」
「……そのまま……」
「えっ?」
リヒトの声が聞き取りにくくて、副官は聞き返した。更に小さな掠れる声でリヒトは呟いた。
「私達はもう……入ってしまったのです」
「入る?」
「……ええ……」
顔を上げたリヒトの表情に血の気は無かった。
「ど、何処にですか?」
「……魔界に……」
確かに戦場の景色は変わっていた。改めて振り返る副官の目には、空と大地の境が妖しく揺らめいていた。
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「十四郎が呼んでる!」
急に耳を立てたアルフィンが叫んだ。
「行ってあげて!」
直ぐにシルフィーが背中を押した。
「でも」
「ワタシは大丈夫、ココでビアンカが呼ぶまで待ってる」
シルフィーもビアンカの元に飛んで行きたかったが、今はまだその時ではないと分かっていた。
「流石だな……」
護衛の狼は、シルフィーの冷静さと賢さに思わず呟く。
「行ってくる」
アルフィンが物凄い速さで走り出す、護衛の狼も追おうとするが直ぐに諦めた。
「全く……天馬とは、よく言ったものだ」
護衛の狼が呆れた様に言った時には、アルフィンの姿は見えなくなっていた。
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「十四郎殿……」
突然現れた十四郎を見て、マリオは愕然とした。
「魔法使い……」
初めて見る十四郎の容姿は、バラッカを驚かせた。
「マリオ殿、敵が押し寄せて来ます。皆を率いて一旦、引いて下さい」
「何ですって?」
「十四郎はどうする?」
驚くマリオを押し退けリルが前に出るが、空かさずノインツェーンも十四郎に寄り添った。
「私は十四郎様に付いて行く」
「お前、離れろ!」
直ぐ様リルがノインツェーンの腕を掴み、二人は何時もみたいに火花を散らす。
「お前らなぁ~」
呆れ顔のココが仲裁すると、マリオは真剣な目を向けた。
「分かりました……しかし」
視線を流すと、そこには怒りに肩を震わせたバラッカが物凄い形相で睨んでいた。
「失礼しました」
頭を下げた十四郎は、バラッカに向き直る。飛び出そうとするリルをココが押さえ、ノインツェーンはマリオに押さえられた。
「放せっ!」
「見ていろ……」
暴れるリルだったが、聞いた事の無いココの声に思わず動きを止めた。
『何だ? こいつは……』
ココロで呟くバラッカは、剣さえ抜かない十四郎に対し自らの身体が石化した様に動かなかった。殺気などはまるで感じない、だが脳裏では斬り掛かった自分が血に染まる光景だけがリフレインしていた。
「参ります」
ココは驚いた。十四郎が先に仕掛けるなんて、予想もしてなかったから……十四郎は抜刀と同時に跳んでいた、そしてバラッカが剣で十四郎の刀を受けた様に見えた。
鈍い金属音が後から耳に届く。見ていたはずなのに事態がまるで飲み込めなくて、横目で見たマリオとノインツェーンも目を見開いていた。
「十四郎……」
リルが呟くと、止まっていた周囲の時間が動き出した。バラッカは、ゆっくりと前向きに倒れ、十四郎が刀を仕舞った。
「ビアンカ殿をお願いします」
一礼した十四郎の元にアルフィンが駆け寄った。口には十四郎の槍を咥えている。十四郎は槍を手に取ると、アルフィンに跨った。




