悪夢
ノヴォトニーの視界に不思議な光景が映った。突然大空から舞い降りた青い小さな鳥が、十四郎の肩にとまった。その瞬間、ノヴォトニーの身体は動けなくなり、言葉さえ出なくなった。
『何だ? これは……』
脳内で呟く事しか出来ずにノヴォトニーはその不思議な光景を、ただ見詰めた。
「気付いてるでしょ? どうするつもり?」
十四郎の耳元でライエカが囁いた。
「はい」
返答には驚きなど微塵も無くて、ライエカは少し首を傾げた。
「物凄い数が、あなたに向かって来てるのよ」
「その様ですね」
他人事みたいな十四郎に、ライエカは溜息を漏らす。
「自信があるのかな、それとも違うモノを見てるのかな?」
「えっ、あっ、はい」
肯定なのか、否定なのか十四郎の曖昧な返事はライエカを更に大きな溜息で包む。
『どうした? 何を怒ってる?……』
脳裏にローボの声が割り込むが、十四郎は同じ様に言葉を濁す。
「いえ、そんな事は……」
「怒ってる? どう言う事なの?」
とても怒ってる様には見えない十四郎の様子を見て、ライエカは不思議そうに呟き、ローボに問い掛けた。
『ああ、分かりにくいがな……見ろ、正面の戦いを』
ローボは声を落とした。促されライエカが正面を見ると、そこは血で血を洗う戦いが繰り広げられていた。
「確かに、物凄い数の命が失われている……でも、あなたとは何の関係も無い名も無き兵士達よ」
「一人一人に名はあります。一人の死は、家族や恋人や友人を巻き込み多くの悲しみを……」
急に肩を震わせ、声を詰まらせる十四郎。ライエカは、その十四郎のココロが分からなかった……何故、知らない人々の為にココロを痛めるのか。
その時、突然十四郎は険しい顔になり、遥か彼方へ意識を向けた。
『まさか、お前……』
少し遅れて異変に気付いたローボは、自分より先に十四郎が気付いた事に驚きを隠せなかった。
「ローボ殿、皆を頼みます」
「えっ、どう言う事?」
全く意味の分からないライエカは、更に首を傾げた。
『女盗賊だ。あいつ等もやって来た様だ……全く、ルーの奴め』
「自分に降り掛かる目の前の事より、大事な事なの?」
「はい」
ライエカの問いに即答する十四郎は、遠く戦場の先を見ていた。
「この人、どうするの?」
動けないノヴォトニーを見たライエカ。十四郎は刀を仕舞うと左足を引き、鯉口を切って姿勢を低くした。
「分かった」
ライエカが十四郎の肩から飛び立つと、ノヴォトニーの呪縛は溶けた。
「参ります」
言った瞬間、十四郎は見えない速度で抜刀する。ノヴォトニーは思考を蹴飛ばし臨戦態勢を取るが、間合いも何もない……気付くと十四郎は遥か後方にいた。
意識が遠くなる、空が回る……ノヴォトニーはその場に倒れた。
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「アリアンナ殿、何故ここに?」
右翼で戦うロメオの元に、アリアンナが率いる一団が合流した。驚いたロメオに対し、アリアンナは強い視線を向ける。
「援護に来ました」
その強い言葉を遣り過ごし、ロメオは後方にいるリズやラナに視線を向ける。
「分かってます」
言われる前に、ラナは真剣な目でロメオを見た。
「足手まといには、なりません」
リズもまた決心した目で、ロメオを見た。
「待って下さい。あなた方に何かあれば、十四郎殿に顔向け出来ません」
険しい顔のロメオは低い声で言った。
「でも、見て下さい」
しかし、アリアンナ臆する事無く戦場を指差す。そこは視界の全てを覆い尽くす戦いの場だった。風に乗って流れて来るのは、咽る血の臭い……そして、動いている者と地面に倒れ動かない者が同じ位の数に見えた。
「だからこそです。戦いが始まって時が熟して来ました。今、戦場は沸騰しています、今が一番危険なのです」
ロメオは次第に熱くなる戦いの状勢を危惧していた。そこにアリアンナ達が現れ、動静が読めなくなっていた。
「ロメオ様、敵が深追いを始めました」
そこに副官のナダルが耳打ちした。
「何だと?」
本格的交戦ではなく、押せば引き引けば押すの敵を引き付けておくだけ作戦は突然終わろうとしていた。主戦場ではない側面での戦闘は、任務としては敵の侵入を防ぐ防御戦闘であり、通常は深追いなど有り得ない、側面に本隊までの通路を開ける様なものだから。
戦いは人を極限状態にする……この状況は敵の思考力が低下してきた証とも言えた。そして、現時点での後退は疲れの見え始めた味方にとって、不利にしかならない。だが、広い場所での応戦は、戦闘力に劣る味方には更に不利だった。
「後方の森まで退避、防御陣地とする!」
瞬時に判断したロメオは号令を掛けた。アリアンナは直ぐに事態を察知し、謝罪の言葉が口から零れる。
「申し訳ありません。何の考えもなく、来てしまって……」
撤退戦が不利な事は誰でも知ってる。その不利な戦いに、リズやラナを巻き込んだ事を後悔した。震え出す身体と共に声も震え、脳裏に浮かぶ十四郎を真っ直ぐ見れなかった。
「いいえ、防御戦には人数が多い方がいい。私とて、この展開は予想外、救援感謝します」
反対に頭を下げるロメオだったが、数多くの不安材料が脳裏で溢れ返っていた。
「アリアンナ、あなたのせいじゃない」
「撤退戦なら、数が多い方が味方の損害も少なくなる」
リズは背筋を伸ばし攻め込む敵を睨み付けながら呟き、ラナはそっとアリアンナの手を握った。
「そうね……」
顔を上げたアリアンナが目配せすると、赤い仮面が音も無く現れた。
「二人を守れ」
その声は懇願している様にも聞こえた。赤い仮面は、小さく頷いた。
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「君、運が悪いね」
剣を下げたアインスは、不敵に笑った。
「何だと?」
言葉の意味がグラーフを更に苛立たせ、筋肉が痙攣する程に握った剣に力が入る。
「今までの君は、運が良かっただけなんだよ」
「何が言いたい?」
ジリジリと、にじり寄るグラーフの脳裏には自分の剣に引き裂かれ、血に染まるアインスの姿しか浮かばなかった。
「君はアウレーリアと戦って生きてるんだもん……まあ、運が良かったのは今いる黄金騎士全員だけどね」
薄笑みのアインスの顔が、急にアウレーリアと重なりグラーフは悪寒に包まれた。そう、今まで考えもしなかった事……それは、アウレーリアと順位戦を戦い生きてた事。
順位戦でアウレーリアは、時に相手を二度と戦えない体にし、時に簡単に命を奪った。しかし、何故自分が五体満足で生きているのかは分からない。互角に戦えたから? それともアウレーリアの怒りを買わなかったから? グラーフは背中に流れる汗の冷たさも忘れ考えた。
「答えは簡単……」
考え込むグラーフに向い、アインスは氷の様な微笑みを向けた。
「……」
「”運”なんだよ……アウレーリアは気分次第で生かすか殺すかを決めたんだ。それは相手に選ぶ権利など全く与えない完全で一方的な”判決”なんだよ……だから、生きてた君は運が良かっただけなのさ」
「それが、どうした……」
核心はグラーフの胸に氷の刃を突き立て、言葉が震えた。
「でもね、君の”運”も、これでおしまい……魔法使いの仲間はね、君の命など狙ってなかった……むしろ、生かそうとしていた……」
「何だと?」
恐怖が怒りに変わる。全身の血が逆流する、それは黄金騎士のプライドをズタズタにした。
「最初に運が悪いねって言ったの、覚えてる?」
アインスの心地よいボーイソプラノが耳元で弾けた瞬間、グラーフは腹部に熱い何かを感じた。それは限り無い”赤”で、ドロドロと両足を伝って地面に流れていた。
「……えっ……」
それがグラーフの最後の言葉だった。ゆっくりと突き刺さった剣を抜いたアインスは、倒れるグラーフの背中に囁いた。
「ボクは魔法使いとは違うんだよ……」




