序幕
「リヒト様、狼に邪魔され黄金騎士への援護に向かえません」
「そうですか……」
リヒトは七子に聞いた事を、ぼんやりと思い出した。
『七子様、魔法使いは狼や獣を操れるのでしょうか?』
『操る……とは少し違うな。例えば意志の疎通が出来ない異人とでも、言葉が通じれば味方にする事も出来る。魔法使いは、動物の言葉が話せるのだよ。つまり、動物には知性や理性があり話し合いが出来ると言う事だ』
『動物達に知性や理性が……安易には信じ難い事ですね』
リヒトは家で飼っていた犬や猫を思い浮かべる。
『何、我々が知らなかっただけだ……そもそも意志疎通における最大の道具、言葉が通じないからな』
笑みを浮かべた七子が、リヒトには頼もしくも神秘的に見えた。
『ならば、動物達を味方に付けたは魔法使いは難敵ですね』
『そうだな。動物は、その戦闘力に於いて人を上回る……武器があってこそ、人は強いのだ……知恵の点では、人に匹敵する動物もいるしな』
『七子様も動物の言葉が分かるのですか?』
『ああ、分かりたくもないが……』
『ならば、魔法使いの様に……』
『私は人の力だけで戦いたいのだよ……動物の力など借りぬ』
椅子に深く腰掛けた七子は、不敵な笑みを浮かべていた。全てを超越した何かを七子に感じたリヒトは、その瞬間に七子に付いて行こうと決心したのだった。
「援護の必要はありません。前線には全力で敵の殲滅を指示、護衛隊は本陣の死守を徹底させて下さい。数の面でも我々が破れる要素などありません。魔法使いさえ倒せば、こちらの勝利です」
「了解しました。ただちに指示を出します」
凛としたリヒトの指示は、副官や側近に強い安堵感を抱かせ士気は向上した。
『さて、後は彼女が来ない事を祈ろう……』
ココロで呟くリヒトの脳裏には、金色に輝くアウレーリアの姿があった。
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十四郎の正眼の構えは一見隙だらけの様に見えるが、ノヴォトニーは生まれて初めて躊躇していた。
『何だ? この感じは……』
経験した事の無い違和感。ノヴォトニーは必死に思い起こしても、通ずる感覚など皆無だった。
十四郎は正眼のまま、摺り足で距離を詰める。その迫り来る圧力はノヴォトニーの正面から見えない壁の様に威圧した。だが、剣を握り直したノヴォトニーは、大きく息を吐くと先に仕掛けた。
全力で地面を蹴ると、十四郎との距離が一瞬で詰まる。その速さは十四郎の反応速度を上回り、受け流したはずの剣は十四郎の腕を掠めて上着を切り裂いた。傷は腕にまでは届いていないが、その鋭利な剣先は確かに次を予感させる。
「その程度か!」
至近距離から剣を返すと、ノヴォトニーは横向きに剣を一閃! 十四郎辛うじて腕を畳んで受けるが、その衝撃は身体を浮かせるくらいだった。受けると同時に次の攻撃! 十四郎の腕が畳まれている所に今度は上段から斬り降ろす。
咄嗟に横に跳ぶ十四郎は、ノヴォトニーの剣が振り下ろされた位置から鋭角に角度を変えて迫る剣先を察した。更に横に跳ぶ動作もままならず、刀の柄で剣先を上から叩く。しかし勢いのある剣先は少し角度が変わるだけで、十四郎の腰の辺りにヒットした。
「ほう……」
ノヴォトニーは剣先に硬い”何か”の手応えを感じ、一旦下がった。十四郎は左手で鞘を抜いて剣先を受けたのだった。
主導権は完全にノヴォトニーが掴んでいた。防戦一方の十四郎は鞘を戻し、刀を構え直すと大きく息を吐いて呼吸を整えた。その姿には微塵の不安も躊躇もなく、ただ落ち着きと冷静さを持ってノヴォトニーを銀色の瞳で見据えていた。
「見えないと言うのが本当なら、大したモノだ」
上から言葉を向けるノヴォトニーだったが、気になる事もあった。経験上、格下の相手は戦いの最中に必ず気持ちを乱し、焦りや苛立ちが見えるものだ。だが、十四郎の落ち着き払った態度はノヴォトニーを苛立たせた。
急に斬り掛かるノヴォトニーは、格下相手の様に十四郎に向け剣を振るった。十四郎も受け流すが、明らかに今までの相手とは剣筋が違う。速さも重さも、そして剣の軌道の奇抜さ? も一線を画していた。
「黄金騎士か……まあ、厄介だな」
ビアンカの傍に走りながらもローボは十四郎の動向を見ていた。だが、その顔には余裕の笑みさえ浮かべていた。
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「七子か……」
気配に気付いたアインスは口元だけで呟いた。
「思い付いたか? 魔法使いとアウレーリアを戦わせる方法」
部屋に入るなり、七子は明るめの声で聞いた。
「……難しいね。魔法使いに味方しろって七子は言うけど、あの女騎士を人質に取るしか思い浮かばない……でも、それは魔法使いを味方にするのとは逆だし……」
「お前が、そんな事を言うとはな」
声を潜め俯き加減で話すアインスを見て、七子は笑った。
「ここに来たと言う事は、七子にはあるんでしょ? 策が」
アインスは見えない目で、七子を追った。七子は一呼吸置くと、静かに話し出す。
「魔法使いの性格をよく考えろ」
「性格?」
「ああ、黄金騎士やアルマンニの騎士達とアウレーリアを戦わせればいい」
「どう言う事?」
薄々は気付いたが、アインスは口元を緩めた。
「アウレーリアが戦えば多くの死人が出る。それを魔法使いが黙って見ていると思うか?」
「そうだね……ねぇ、七子」
小さく頷いたアインスは上目遣いで七子の方を向く、当然姿ではなく気配を感じながら。
「何だ?」
「魔法使いはさ、ボクがアウレーリアに殺されそうになったらどうするかな?」
「フン、例え敵だとしても、目の前で殺される者を見過ごさないだろうな」
笑顔の消えた七子が呟く。だが、その表情の変化を見れないアインスは更に口元を緩ませた。
「さて、そろそろ行くよ……七子……」
立ち上がったアインスは、ドアに向かいながらも一度立ち止まった。
「まだ何かあるのか?」
「何でもない」
背中を向けたままアインスは呟いた。その背中を見送りながら、七子は部屋を見回す。まるで生活感の無い部屋の片隅には、ツヴァイやフィーア達の剣が無造作に置かれていた。
「本当に変わったのか?……アインス」
ドアに視線を戻した七子は、独り言みたいに呟いた。
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「物資を置いて下がれ、距離を取るんだ」
食料や物資を運ぶアリアンナ達に、ルーは強い視線で言った。
「そろそろなのか?」
手を止めたアリアンナは、ルーに視線を返した。
「ああ」
ルーはアリアンナ達を遠く丘の傍まで下がらせると、遠吠えをした。暫くすると、木々や岩の間から無数の動物達が姿を現した。熊を筆頭に、キツネや鹿、リスやウサギなど大小様々な動物達が食料に群がった。
その勢いは凄まじく、大量の食料があっと言う間に消えて行った。
「そう言う事か」
腕組みしたアリアンナは、動物達の様子を見ながら満足そうに笑った。
「で、どうするんだ?」
ルーは縄で縛られた大勢の敵兵を見て笑った。
「脚の縄だけ切って解放します」
リズはアリアンナが言う前に声を上げた。片隅でラナはもう、敵兵の縄を切っていた。
「解放します。出来るなら家に帰って下さい」
「帰れるものか! 俺達は食料と物資を失った! 帰れば懲罰が待ってるだけだ!」
縄を切りながら話し掛けるラナに向い、敵兵は大声で怒鳴った。
「ならば、身を隠せ。何、ずっとではない。戦いが終わるまでだ」
怒鳴る敵兵の前で仁王立ちのアリアンナは、上から見下ろした。
「どう言う事だ?!」
傍にいる他の兵達も、アリアンナの言葉に動揺を隠せなかった。
「我々は世界を変える。そうすれば戦いもなくなる……自由と平等の世界だ」
「そんな事、出来るはずはない……」
明らかに声を落とす敵兵の脳裏には”もしかして”との思いが存在した。
「やるんだよ」
腕組みしたアリアンナの周囲では、笑顔の手下やラナにリズ、そして狼達がいた。
「……」
アリアンナ達の笑顔は敵兵を戸惑わせる。脚は解かれたが、後ろ手で縛られたまま敵兵達は方々に消えて行った。見送ったアリアンナが、視線を移動させると山の様な食料も完全に消えていた。
「さあ、荷物を運ぶよ! その後は仕事が残ってる」
「何だ? 仕事って?」
嫌な予感に包まれたルーは、満面の笑顔のアリアンナに聞いた。
「決まってる。十四郎の援護だ」
「待て、お前……」
言い掛けたルーの前には、決心した面持ちのリズやラナが立ちはだかった。
「どうなっても知らんぞ」
言葉とは裏腹に、ルーも口元を綻ばせた。




