青い鳥
そこにはリズの心配するビアンカの姿はなかった。たった数日でビアンカの動きは見違える様になっていて、十四郎の刀を受けるだけではなく時折攻撃さえ見せていた。
「ビアンカ……」
買い出しから戻ったリズは茫然と呟いた。二人の動きは、まるでシンクロしたダンスを踊っている様で、ビアンカの顔からは苦痛の色が消えていた。それどころか、微笑みさえ浮かべている様にも見えた。
「驚いたか?」
足元に来たローボがキラリと牙を光らせた。
「凄すぎます……昨日までとは全然違う」
「私も驚いた。元々素質はあったが、これ程とはな」
更に目を見開くリズだったが、ローボも少し呆れた様な口調になった。
「本当に凄い……」
傍に立つアリアンナも唖然と呟く。そして、ビアンカを見詰めながら静かに話し出した。
「イタストロアでは”魔法使いは青い鳥の化身”なんです。幼い頃、母によく聞かされました……何時か青い鳥が、私を盗賊の世界から救ってくれると……だから必死で探しました……イタストロアには結構青い鳥がいて、私は何羽も飼いました……最初に捕まえた時なんて、嬉しくて眠れなくて……でも、全て”ただの青い鳥”でした……でも、ほら……」
アリアンナは風にたなびく青い旗を指差した。
「十四郎様は青い鳥なんですかね……」
呟くリズの目には十四郎の背中に青い羽根が確かに見え、アリアンナは笑顔を返す。
「そして青い鳥はまた”幸せの女神”とも言われています」
今度はビアンカの背中にも羽ばたく羽根が見える。だが、その羽根は輝く純白で、それはリズの小さな抵抗なのかもしれない。
「フン……青い鳥か……」
小さく鼻を鳴らしたローボは、青い大空を見上げた。
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訓練が終わると十四郎は一人、小さな丘の上で横になっていた。ビアンカの上達は嬉しかったが、葛藤もまた存在した。
傍で戦えば少しは安心だが、必ず守り切れるのか? 決して油断や隙は無いのか?……そして、もしも……考えるだけで、十四郎は胸の底に激痛が走った。見えないはずの視界に、倒れているビアンカがフラッシュバックする。
飛び起きた十四郎は全身の汗と震えで、大きく呼吸を乱していた。
「どうして、あの娘をイジメてるの?」
ふいに小さな女の子の様な可愛らしい声が聞こえた。その声は、十四郎の激しい動悸を押さえる良薬の様に耳に優しかった。
周囲の”気”を探す十四郎だっが、人気? などは感じられず、首を傾げた。
「どこを見てるの? ココだよ」
声は確かに前方の地面から聞こえた。だが、その”気”はとても小さくて十四郎は思わず笑顔になった。
「すみません、私は目が見えないもので」
「えっ、あんなに激しく動いてたのに?」
声は驚きの色をを隠さなかった。
「あっ、はい」
「なら、ワタシの事も見えないね」
「ええ、そうですね」
「仕方ないなぁ」
声がそう呟くと、十四郎の漆黒な視界に小さな光が差して来た。その光は周囲をボカしながら次第に大きくなり、輪郭が霞んだと思った瞬間に小さな青い鳥が像を結んだ。その羽根は蒼空の様に青く、見ているだけで勇気や元気が湧いて来るようだった。
「……これは……」
「話してても相手の姿が分からないと、つまらないでしょ?」
小鳥は小さな目をカモメみたいな形にして微笑んだ。
「そうですね」
つられて笑顔になる十四郎だったが、小鳥は急に腕組み? した。
「それで、さっきの質問の答えは?」
「その、別にイジメてた訳では……ビアンカ殿に強くなって欲しいと思いまして」
「何故?」
困った様に口籠る十四郎に対し、小鳥は首を傾げた。
「私では……守り切れないかも、しれないので……」
十四郎の声は消え入りそうだった。
「あの娘、ビアンカだっけ……あなた……名前は?」
「十四郎です」
「十四郎、ビアンカは違う気持ちで剣を振るっていたよ」
「どんな、気持ちですか?」
「自分が生き延びたいって事じゃなく……十四郎を守りたいって」
その言葉は十四郎の胸に突き刺さった。ビアンカの気持ちが雪崩の様に押し寄せる、それは訓練中の集中力と決意みたいなモノに強く後押しされていた。
何も言えなくなって俯く十四郎を見ると、小鳥は小さく羽ばたいた。
「十四郎……またね。あっ、ワタシはライエカ」
顔を上げた十四郎の視界からライエカはゆっくりとフェードアウトして、視界はまた元の闇に戻った。残された十四郎は、直ったはずだった胸の傷から暖かな血が流れ出すのに気付いた。
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「上達したな」
部屋に戻る最中、ローボは静かに声を掛けた。ビアンカは小さく首を振って、腰の刀に視線を落とした。
「……まだです」
「十四郎は、あの女には勝てない……決定的な差がある」
ビアンカにとって、ど真ん中の危惧をローボはポツリと言った。
「負けない……十四郎は……」
唇を噛むビアンカは肩を震わせた。
「あの女は十四郎の命を奪う事に躊躇は無いが、十四郎は違う……一瞬の迷いが十四郎の命取りになる」
ローボの真剣な目はビアンカを追い詰める。どうしていいか分からず、速くなる動悸と脂汗がビアンカを包んだ。
「ローボさん、何と言ってるの?」
追い込まれるビアンカを救ったのは、リズの声だった。記憶の彼方がチクッと痛んだ。何度も経験した事のある様な感覚は、ビアンカを優しい気持ちで支える。
「あの女の人に、十四郎は勝てないだろうって……十四郎は迷うけど、あの人は躊躇しないって……」
消えそうな声のビアンカは自然と俯いてしまうが、リズは優しく肩を抱いた。
「なら、ビアンカが助けなきゃ」
「私が?」
「そう。それが出来るのは、あなただけ」
リズの言葉がビアンカの何かを呼び覚ます。それは体中から湧いて来る……血液は頭の芯に集中し、腕や脚に力が漲った。
「悔しいけど、その通り」
今度はラナが笑顔でビアンカの元に来た。
「ビアンカ様なら、きっと十四郎様を守れます」
「十四郎を助けたいなら、ビアンカが頑張るしかない」
ノインツェーンも笑顔を向け、リルはボソッと言った。
「皆……」
ビアンカは確かに感じた。背中を支える沢山の”手”の存在を。
「全く……簡単に言う……」
呆れ声のローボだったが、顔には笑みが浮かんでいた。そして、最後にアリアンナがやって来て、ビアンカの手を取った。
「あなたは一人で戦うのではありません。皆の気持ちは一つです……」
「……はい」
顔を上げたビアンカの表情には、もう迷いも不安もなかった。
「そうだ……もしかしたら、味方が増えたかもしれない」
「本当ですか?」
急に話しを変えたローボを見て、ビアンカが少し身を乗り出した。
「ああ、気まぐれな奴だが、頼りにはなる」
「誰なんですか?」
”頼りになる”と言う言葉がビアンカの胸の中で踊る。どんなに些細な力でも十四郎の為になるのなら、ビアンカにとっては朗報だった。
「そのうちに現れるだろうな……なんせ、気まぐれな奴だから」
またローボは”気まぐれ”と言った。ほんの少しの不安も脳裏を過るが、今のビアンカにとって”味方”と言う言葉の前では取るに足らない事だった




