やるべき事
十四郎やビアンカ、ツヴァイ達の訓練する姿を見ながらリズは、どうしようもない不安と苛立ちに包まれていた。剣の腕には自信があったはずだったが、本当の戦いに於いて自分の腕など何の役にも立たないと思い知らされた。
「ふぅぅ……」
意志とは関係なく、リズは大きな溜息を付いた。
「どうしました?」
顔を向けたアリアンナに対し、リズは小さく返事した。
「いえ、別に……」
「それでは、私も部下の訓練に行ってきます……最も、私などリズさんに比べれば剣の腕など無い様なモノですけど」
「そんな、アリアンナさんには統率力がありますし、私は……」
「あなたにも出来る事はありますよ」
俯くリズにアリアンナは笑顔を向けると、訓練に向かった。残されたリズは、もう一度大きな溜息を付いた。
「どうしてそんな溜息を付くのか、当ててみましょうか?」
俯くリズの背中にラナの明るい声が届く。
「えっ……」
「私なんか……自分の身さえ守れない……剣など、持った事もありません……」
「ラナ様……ですが、イアタストロアに来る為の船はラナ様の手配です。私達の誰にも、そんな事は出来ません」
笑顔が消えたラナの言葉をリズは優しく支えた。
「リズさんこそ、十四郎の剣を見付けて来たのはあなたです。剣が無ければ、幾ら十四郎でも戦えません」
「私は……」
言葉にならなかった。リズは自分も少しは十四郎の役に立っていたのだと思うと、胸の中の閊えが少しは楽になった気がした。
「何か見付けたいですね……十四郎の為に出来る事」
「そうですね」
自分自身に言い聞かせる様に呟くラナの言葉にリズも小さく頷いた。
「ラナ様、リズ様、お暇ですか?」
二人が振り返ると、そこには笑顔のダニーがいた。
「えっ、まぁ……」
二人が顔を見合わせると、笑顔のダニーが続けた。
「僕は兵站を担当してます。よかったら、お手伝いして頂けませんか?」
「兵站?」
ポカンとするラナにリズが説明した。
「戦場で後方に位置して前線の隊の為に武器や食糧、馬などの供給に補充、後方連絡などの任務です……」
「はい、つまり買い出し係りです」
ダニーは嬉しそうに言った。
「私に出来ますか?」
「勿論、特に買い出しに綺麗な女性がいると交渉が上手く行きますから」
目を輝かせたラナに笑顔のダニーが答える。リズも少しは気持ちが晴れるが、引っ掛かるモノも存在した。だが、そんなリズの気持ちもダニーの言葉で解放される。
「リズ様には僕たちの護衛をお願いします。なんせ僕らは商人や農民ですから、剣の方はからっきし……それに、護衛がバンスさんだけでは少し……」
「分かりました、近衛騎士団の名に懸けて守ります」
ダニーは訓練の最中に座り込むバンスを見て苦笑いした。リズはラナの方を見て笑顔を向け、ラナも微笑み返した。
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十四郎はビアンカを休ませなかった。次第に鈍るビアンカの動きに対しても、十四郎は無言で打ち込み続ける。
刀を持つ手が震えはじめるが、ビアンカは歯を食い縛り十四郎の刀を受け続けた。疲労は腕から腰を過ぎて膝や足首を襲い、比例して速度は落ち反対に呼吸が速くなる。
汗が全身を滴るが、ビアンカは流れる額の汗が美しい金髪を伝うのさえ感じていなかった。
だが、傍目からもビアンカは十四郎の動きに追従しているのが分かった。一見、超高速で互いに打ち込み合っている様に見えるが、十四郎は見えない糸でビアンカを導いている様だった。
「凄い……十四郎の動きに付いて行ってる」
木陰で見ていたアルフィンは目を丸くした。
「でも、十四郎酷いよ。少しも休ませないで……ビアンカ可愛そう」
シルフィーは息を弾ませるビアンカを見て、代わってあげたいと思った。
「大丈夫だよ。十四郎はビアンカの事、大切に思ってるから」
鼻を寄せたアルフィンは、シルフィーの首筋を撫ぜた。その暖かさにシルフィーの心配はゆっくりと消えた。それは、まるで十四郎に撫ぜられているかの様に穏やかで優しかったから。
ツヴァイ達の訓練は、十四郎とビアンカの傍で行われていた。ツヴァイ達は途中何度か休憩したが、十四郎とビアンカは休憩など取らなかった。
「朝からずっと……ビアンカ様、大丈夫かな……」
「よそ見するな!」
思わず呟くノインツェーンに向かい、ツヴァイの大声が跳ぶ。ノインツェーンには、よそ見をするなと叫ぶツヴァイだったが、その視界の片隅には何時もビアンカを捉えていた。
「アンタこそな……」
小さく呟くマリオの剣を躱しながら、ツヴァイは少し赤面する。
「心配ない。ビアンカ様は今、十四郎様に鍛えられてるのだ」
打ち込んで来たゼクスは、すれ違い様に耳元で囁いた。
「そうだよな」
ゼクスの剣を身体ごと躱したツヴァイは小さく呟いた。
訓練が終わったの夕暮れを過ぎて、視界が濃いオレンジに染まる頃だった。
「それでは、また明日」
刀を仕舞った十四郎が背中向けると、ビアンカは膝から地面に崩れ落ちた。
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意識が戻ると、リズの泣きそうな顔が覗き込んでいた。
「どうしたの?」
「あなた、訓練の後に倒れたのよ」
朦朧としたビアンカの頬を撫ぜ、リズが声を震わせた。
「……悔しい……」
ビアンカは顔を背けると唇を噛んだ。
「そっか……頑張ってるもんね。でもね、誰だって直ぐには無理だよ……十四郎様と同じに戦うなんて」
「時間が無いの」
起き上がったビアンカは、立て掛けてある刀に手を伸ばそうとした。だが、リズは止める様子もなく、ゆっくりと話し始めた。
「今日ね。ダニー達の手伝いにね、ラナ様と一緒に補給物資の調達に行ってきたの。凄いんだよ、ラナ様。流石に皇女殿下、値段交渉の時の凛とした態度で相手の商人なんか直ぐに値引きに応じてね……ダニーも感心してた……でも、なんか変な感じだったよ。ここは敵地で、私達は敵から物資を買い、敵国の商人達は普通に売ってくれるんだ」
「……そうなんだ」
刀に伸ばした手を引っ込め、ビアンカは呟いた。
「私なんか、今日の仕事は”護衛”だよ……でも、何の役にも立てなかった」
「そんな事ない……あなたが居たから……」
急に目を伏せるリズを慰めようとビアンカが声を掛けるが、リズは途中で遮った。
「私が一番、何も出来ない」
「リズ……」
言葉が掛けられなかった。そして、暫く沈黙が続いた後、リズがまた話し始めた。
「私は嫌な女……ずっと、あなたに嫉妬していた……近衛騎士団に入る前から、あなたは有名だった……綺麗で強くて……でも友達になった、あなたは本当は優しくて、可愛くて……誰もが振り向き、誰もがあなたを好きになる……誰もが……」
リズは溢れる気持ちを言葉にしたが、その先の言葉だけは無理やりに飲み込む。
「私は……そんなんじゃ……ない」
リズに言われた言葉が、他人の事を言ってるみたいに聞こえた。今のビアンカにとって、十四郎の訓練を熟す事だけしか頭になかったから。
消えそうなビアンカの言葉を受けたリズは、お腹の底に黒いドロドロしたモノが溜まるのを感じて暫く言葉が出なかった。だが、粗末なベットなのにビアンカが座るだけで、光を放つ事に大きな溜息が出た。
眉を下げ、目を伏せるビアンカの横顔は同性のリズでさえ胸がドキッとした。
「ビアンカ……」
「……」
呼ばれて顔を向けたビアンカの睫が蕾が開くように開き、宝石の様な瞳がリズを見た。
「十四郎様が、あなたを鍛えるのはね……傍で戦いたいから……あなたを、傍に置いていたいからなの……そしてね、万が一にもあなたを死なせない為にね……唯一、あの十四郎様が取り乱すのはね……あなたの事」
リズの言葉がビアンカの胸に刺さり、頭の中で十四郎の笑顔が破裂する。そして、十四郎の声が耳の奥で小さな和音となった”私が心配してるのは……その、ビアンカ殿の事です……”。
抱き締められた感触が蘇り、心臓が止まりそうになる……体中の血液が沸騰し、ビアンカの大きな瞳からは真珠の様な涙が零れた。
「……本当に敵わないな……」
リズはその姿を見ると、全てが浄化された様にココロが晴れた。そっと、抱き締めたビアンカは細くて柔らかくて、良い香りがしてリズの荒んだ精神はそっと癒された。




