欲求
アウレーリアは俯きながら重い足を引き摺り、森の中を歩いていた。乗って来た馬にも乗らず、ただ茫然と少し前の地面を見て歩いていた。頭の中では十四郎の事が渦を巻き、ビアンカの存在がその渦を更に複雑化する。
分からない……アウレーリアには何も分からなかった。ただ、お腹の底の痛みは違和感となり、その違和感が胸の中全体を覆っていた。それは、とても不快で喉の奥から湧き出すドロドロとしたモノに自然と表情は固くなっていた。
「ほう、こんな所で何をしている?」
面倒そうに視線を上げたアウレーリアの視界に、数人の盗賊が映った。反射的に剣に手を掛けようしたが、そこにあるはずの剣は鞘を残すだけだった。
「見事な装飾だな」
金色の獅子が彫刻された鞘を見て、盗賊が妖しい笑みを浮かべる。しかし、その笑みの奥にはアウレーリアに対する欲望が溢れていた。伏せ目がちのアウレーリアの美しさは、男を惑わせる破壊力を数百倍にしていた。
「鞘だけ持って、こんな物騒なとこを一人で歩くなんてな……」
もう一人の盗賊も腕組みしながら笑う。その男も平静を装うが、心臓は破裂しそうなくらいに脈を打っていた。アウレーリアは、そんな男達を一目見ただけで完全に無視して歩いて行く。
「待てよ!」
最初に声を掛けた男がアウレーリアの腕を取ろうとするが、寸前で身を翻すと男の剣を瞬時に奪った。だが、俯いたままのアウレーリアはダラリと剣を下げて、背中を向ける。
一瞬呆気に取られた男だったが、直ぐに気を取り直し背中から覆い被さろうとした。
「何だ……」
もう一人の男が全身を震わせ、愕然と呟いた。最初の男は自分の足元に自らの首を転がし、頭の無くなった首からは噴水の様に血を噴き出していた。
アウレーリアが伏せていた目を上げた。その瞳は魔性の宝石みたいに光を反射して輝き、周囲の男達のココロを吸い込んで目前の悲惨な光景さえ霞ませた。
だが、アウレーリアは胸の奥が痛かった。何時も違う感じ……人を斬った後の恍惚感と言うか昂揚感と言うか、そんな感じが湧いて来なかった。苛立ちに近い感覚に包まれながら、アウレーリアは、そのまま残りの男達を斬った……唖然として動けない男達は悲鳴さえ忘れ、モノの様に斬られただけだった。
最後に残った男は、二番目に声を掛けた男で放心状態まま立ち竦んでいた。一度剣に目を移したアウレーリアは、血糊に紛れた刃こぼれを見て溜息を付いた。
「刃こぼれなどせず、相手の剣さえ切ってしまう剣を知りませんか?」
顔を近付けたアウレーリアの甘い香りが男を正気に戻すが、目前の仲間の惨殺の光景は男の声から水分を奪った。
「……お頭が……持っている……確か、アスカロン……伝説の魔剣だ……」
「魔剣?」
「ああ、伝説だがアスカロンは鎧ごと騎士を斬り、血を吸う度に切れ味を増す……石や鋼を斬っても刃こぼれどころか、更に……」
説明の途中で男はアウレーリアの表情に、違う意味での恐怖を抱く。その美しい顔は恍惚に揺れ、蕾の様な唇から甘美な果実酒の様な甘い溜息を漏らす。
「……ほっ、欲しいのか?」
やっと出た言葉さえ、男の喉を焦がした。
「……欲しい?」
欲望が存在しないアウレーリアにとって、その意味は出来なかった。首を傾げるアウレーリアの仕草は男を不思議な感覚で掴むが、それは恐怖が捻じ曲げていた。
「欲しいんだろ?」
聞き返す事が自分の精神を保つ事かもと、男は頭の片隅で考えていた。
「欲しいって、どう言う事ですか?」
もう一度聞いた男に、アウレーリアは小さな声で聞く。男は”欲望”をストレートに説明した。
「自分のモノにする事だ。金でも女でも、自分だけのモノにする事だ……そうすれば、満たされる」
「満たされる……」
呟いたアウレーリアの胸の中に、気持ちのいい何かが溢れた。
「連れて行って下さい。剣のある場所に」
その言葉は”お願い”ではなく、命令だった。アウレーリアの手にダラリと下げられた剣からは血が滴り、男には選択の余地など無かった。
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アジトは山裾の谷にあり、然程遠くはなかった。男に続いて歩くアウレーリアの神秘的な美しさは、他の男達はどうした? という一番最初の疑問さえ彼方に追い遣る。
出迎えた首領は髭だらけの顔を、快楽に歪ませた。
「でかした。こんな女、見た事もない」
頷く事さえ出来ない男を余所に、アウレーリアは首領に聞いた。
「何故そんなに嬉しそうなんですか?」
「何故だと? 決まってる。女神を手に入れられたのだからな」
高笑いの首領を無視して、アウレーリアは本題を口にした。
「魔剣をお持ちですね? それが欲しいのです」
「欲しいだと?……」
首領は更に高笑いし、周囲を取り囲む大勢の男達も波が同化する様に笑いの渦となった。
「……やめろ……」
男は目の奥底に激痛が走る位に力を入れて、呟く……悪夢が再び蘇った。男が気付くと周囲は血の海で、元は人の一部だった部位が散乱していた。その中心で一滴の返り血も浴びて無いアウレーリアが男を見ていた。
心臓が止まりそうだった。そのまま気絶しそうだった……だが、男を引き留めたのは愛らしいアウレーリアの声だった。
「剣は、何処にありますか?」
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魔剣を手にしたアウレーリアは、穏やかに微笑む。その横顔は天使や女神さえ道を譲るだろうなと、男はボンやり見ていた。
鞘から抜くと、その刀身は鈍い銀色に輝き、根元に彫られた双頭の獅子が光を吸収した。アウレーリアは自分の鞘の彫刻と見比べ、視線を男に移す。
「ほら、同じ……」
何と答えていいか分からない男は、小さく頷く。アウレーリアは自分の鞘に剣を仕舞うと、まるで専用品の様に剣は収まった。パチンと言う金属音はアウレーリアの鼓膜を心地よく刺激するが、胸の真ん中にある空間は閉じる事はなかった。
「……これでは、満たされない……」
目を伏せ呟くアウレーリア。男は後退りながら、声を絞り出した。
「欲しい物は手に入れただろ? もう、いいだろ……」
「……欲しい物……」
言葉に出すと同時に脳裏を占領するのは、十四郎だった。
「俺は、もう行くから……」
男が逃げようと下半身に力を込めた瞬間、意識は闇に消えた。男の身体は真ん中から真っ二つになり、洪水の様な血が噴き出していた。だが、想像さえ及ばないに鋭利な切れ味は、暫くの時間を置いて体を左右に分かれさせた。
「……これで、対等に戦えるかしら」
血を吸い、銀色の輝度を増す魔剣に頬を寄せながら、アウレーリアは微笑んだ。