鉄の女 6
十四郎は今までに無い不思議な感覚を体験していた。それはまるで鏡に向き合い、その中の自分と戦っている様な感覚だった。
それ以上に違和感があるのは、アウレーリアには無かったのだ……闘争心や戦いに対する貪欲さが。それなのにアウレーリアは、眉一つ動かさずに相手の命を奪う。混乱する十四郎は刀を握る手に、初めてとも言える汗を滲ませた。
『初めて会った時に比べれば十四郎は格段に強くなった……そして今も尚、強くなり続けている……だが、この女は何なんだ? 決して十四郎を凌駕しない……十四郎が強く速くなった分だけ合わせる様に力を増す……』
混乱していたのは十四郎だけではない。ローボもまた脳裏でアウレーリア掴み所の無さに思考を乱していた。今までの強敵とは何かが違う……その答えを見出す為、ローボは二人の戦いを睨み続けた。
刀を振るう速度を変えながら十四郎は打ち込み続けるが、アウレーリアはその自由自在な剣筋を完全に見切っていた。流れる様な動きで十四郎の刀を受け、時には受け流しながら反撃も織り交ぜる。
まるで最初から決まってる剣舞の様に、二人は剣を交わらせ続けた。
疲れを知らない戦いはローボ達狼にとっては茶飯事だったが、その戦いのレベルはローボでさえ驚愕であり、見ているだけなのに悪寒に包まれた。
永遠に続くかと思われた戦いだったが、ローボは十四郎にとって不利な気配に気付く。戦いを見ていたい衝動はあるが、小さく舌打ちすると無言でその場を離れた。
十四郎はローボの後姿を見て敏感に察知する……ビアンカが近付いている事を。
「アウレーリア殿。そろそろ、この辺りで……」
一旦間合いを開けた十四郎は刀を仕舞い、態勢を低くして抜刀術の構えを取る。
「どうしました?」
初めて見る構えにアウレーリアは首を捻るが、穏やかな笑顔を向け剣を下げた。十四郎はスッと息を止めると、その体制のまま神速ダッシュする。アウレーリアから見ると、剣を抜かないまま身体ごとぶっかってくるイメージだった。
至近距離で瞬間に剣を抜く……アウレーリアは咄嗟に判断、と言うより自然と身体が反応する。見えない速度で抜刀される十四郎の刀は、やや下方から斬り上げる形であり、アウレーリアは正面から受け止めようと、見えない速さで剣をカウンター気味に振り下ろす。
鈍い金属音が遅れて鼓膜に届き、アウレーリアの腕に嫌な感覚が駆ける。それは腕の一部である剣が、鋭利ではない刃物で斬られる感覚……。急に軽くなった剣に視線を移したアウレーリアは、身も凍る微笑みを十四郎に向けた。
「この剣、有名な宝剣なんですよ……」
真っ二つになった剣を見ながら、アウレーリアは呟いた。
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「止まれ」
全速で走るビアンカの前に突然ローボが現れた。シルフィーは急停止するが、アリアンナはかなり行き過ぎて慌てて戻る。
「どうしたの? ローボ」
分かってはいたが、ビアンカはそっと目を伏せながら聞いた。
「十四郎は今、戦ってる。今までに無い強敵だ」
初めて聞くローボの沈む声がビアンカの胸を貫き、反射的にシルフィーの手綱を引く。
「止まれと言っている!!」
だが、ローボは地鳴りの様な声を上げた。加速しようとしたシルフィーは、態勢を崩しながら止まるしかなった。
「行かせて!!」
揺れるシルフィーの背中でビアンカも叫ぶ。
「あの女は、アウレーリアと言うそうだ」
急にトーンを落としたローボを見て、アリアンナの顔色が変わった。当然、ローボはアリアンナも分かる様に人の言葉で話していた。
「本当ですか、ローボ?」
「ああ、本当だ」
震える声のアリアンナは、ローボの返答を聞くとビアンカに駆け寄った。
「相手が悪い。アリアンナは黄金騎士NO,1の……」
「どんな相手だって……」
アリアンナの言葉を遮ったビアンカが強い視線を向けると、アリアンナは更にビアンカの言葉を遮った。
「アウレーリアは違うのよ! 例え十四郎でも敵わないかもしれない!……アウレーリアは、神さえ殺す……」
叫んだアリアンナだったが、、最後は闇に吸い込まれる様に消えた。ビアンカはその様子を穏やかに見ながら、胸の奥で燃え滾る何かを押さえるのに必死だった。そして、小さく息を吐くと凛として言った。
「だからこそ、私は十四郎の傍に行きます」
「何も分かってない! あなたが行けば十四郎に不利になるのっ!」
「不利にはなりません」
興奮するアリアンナを見詰め、ビアンカは優しく笑った。
「……そいつの言う通りかもしれないな…」
傍に来たローボはアリアンナを見上げた。
「ローボまで……」
「戦いの最中そいつがいれば、確かに十四郎が不利になる場面もあった。だが、十四郎はその度に強くなった……」
ローボの言葉の意味がアリアンナの胸に突き刺さる。暖かい血が流れる感覚に、アリアンナはそっと胸に手を当てた。
「ごめんなさい……」
小さく呟いたビアンカがシルフィーの手綱を引き、風の様に走り去った。残されたアリアンナは力なくローボに視線を落とした。
「私には出来そうにないです……」
「そうだな、出来るとしたら唯一……ビアンカだけだろうな」
見上げたローボの目は、とても優しかった。
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折れた剣をダラリと下げ、アウレーリアは微笑みを絶やさなかった。十四郎も終息の予感がして、一旦刀を仕舞った。
だが、その終息感は長くは続かない。普通の馬を遥かに凌駕したシルフィーの速度は、遠く離れていても痛い程に肌や五感に突き刺さる。
「来たみたいですね」
アウレーリアの目が一瞬光る。微笑みは続けているが、明らかに瞳の色が違っていた。
「十四郎!!」
ビアンカは女と対峙する十四郎を視界で捉えた途端、自分でも驚く大声を発した。その瞬間、アウレーリアは手にした剣をビアンカに向けて投げた。
剣は物凄い回転でビアンカに迫る! だが十四郎もアウレーリアが剣を投げると同時に刀を投げていた。剣と刀は一直線にビアンカに向かう! その速度は常人で見えない程だったが、ビアンカはシルフィーに跨ったまま、神速抜刀! 剣と刀を同時に弾き飛ばした。
剣は後方に飛び、刀はアウレーリアに向けて弾き飛ぶ。そして、アウレーリアは身動き一つせずに刀を片手で受け取った。
「見かけより重いですね」
マジマジと刀を見たアウレーリアは、刃こぼれ一つない輝く刀身に自らの顔を映した。驚いたのはビアンカで、咄嗟の事とは言え十四郎は丸腰になり、相手は十四郎の刀を持っている。
「私が相手!!」
シルフィーから飛び降りたビアンカがアウレーリアに全力疾走するが、十四郎の目の前にいるアウレーリアはゆっくりと近付いた。
刀を構えている訳ではないが、ビアンカの心臓は爆発しそうだった。だが、アウレーリアは十四郎の寸前で刀を持ち替えると、十四郎に手渡した。
「返します」
一言だけ言うと、アウレーリアは微笑みを引き摺って背中を向けた。一瞬固まったビアンカだったが、直ぐに十四郎に駆け寄り思い切り抱き締めた。
「ビアンカ殿……」
甘くて切なくて、優しい香りと感触が十四郎を包み込み、それ以上言葉が出なかった。
「……」
ビアンカも言葉が出なかった。嬉しさと恥ずかしさ、後悔と喜びがビアンカの胸と頭の中で複雑に、しかも高速で駆け巡り思考は沈滞する。
アウレーリアは背中越しに抱き合う二人の気配を感じていた。そして、歩いて行くうちにお腹の底辺りから鈍痛が沸き起こった。
それは初めての感覚……経験した事のない感覚はアウレーリアを戸惑わせるが、自分でも気付かないうちに爪の後が付く程に拳を握り締めていた。