鉄の女 5
「前に盗賊の女の人がいる!」
走りながらシルフィーが叫んだ。ビアンカにも近付くにつれ、アリアンナの姿が視界に入った。銀色の鎧に刻まれた牡羊の彫刻が、光を反射してビアンカは目を細める。
「アリアンナ!」
呼び止めたビアンカの声に、驚いた顔のアリアンナが馬を止めた。
「どうした? 帰って来たのか?」
「十四郎はっ?!」
止まったアリアンナは唖然と聞くが、ビアンカは大声を上げてストレートに胸の内を投げた。
「今は別の場所に……当然の質問をする。皆に止められはしなかったか?」
一瞬戸惑う素振りをみせたが、アリアンナはビアンカを見据えた。
「……それは……」
「よく考えた上での行動なんだな?」
口籠るビアンカに対し、更にアリアンナは言葉を強める。改めて言われたビアンカは言葉を失い俯いた。その様子を暫く見ていたアリアンナは、小さく溜息を漏らすと少し笑った。
「私も、あなたの事は言えない……こうして、駆け付けようとしているのだから……それに剣の腕では、あなたには遠く及ばない」
「あなたも?」
「託すだけは嫌なんだ……見守るだけって言うのも性に合わない。だから、私は行く事にした……”鉄の女”と言われた大お婆様と同じ様に、鉄の意志と信念を持って。そして、十四郎の足手まといには決してならない……その覚悟は出来ている……あなたにも、その覚悟はあるか?」
「覚悟……」
呟いたビアンカは力強く頷いた。
「場所は見当が付く、付いて来い」
走り出したアリアンナの後を、ビアンカとシルフィーは追った。走りながら、シルフィーはビアンカに告げた。
「話の内容は大体分かった。ビアンカ! 後戻りは出来ないよっ!」
「はい!」
ビアンカは大きく返事する。その顔には後悔や恐れは微塵も無かった。
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「ビアンカ殿は、私の大切な仲間です」
十四郎は落ち着いた口調でアウレーリアの問いに答えた。
「そうですか……所で、その者達はまだ生きている様です。何故止めを刺さないのですか?」
首を傾げなら微笑むアウレーリアは、横たわる聖守護者達を見て怪しく笑った。
「これは戦いではありません。命を奪う必要などありません」
「その者達は気が付けば再び、あなたを襲うでしょう」
剣に手を掛けアウレーリアは呟く様に言う。だが、その顔からは微笑みは消えローボでさえ背筋の凍る表情を浮かべていた。
「何なんだ? この女?」
唖然と呟くローボを制し、十四郎は言葉を強めた。
「向かって来れば何度でも倒します。ですが、決して命は奪いません。これは、私の信念です」
「信念? 何ですか、それは?」
剣に手を掛けたまま、アウレーリアは呟く。その顔は戸惑う様にも、笑ってる様にも見えてローボは首を捻った。
「強くココロに決めた、正しいと信じる自分の考えです」
「それなら……」
その瞬間、アウレーリアは光の速さで聖守護者達に襲い掛かる。ローボは瞬きすら出来ず、ハッとしただけだったが、アウレーリアの剣は寸前で十四郎の刀に押さえられた。
「何故です? 私はこの者達を殺します。それが、私の信念です……あなたに害を成す者は全て私が……」
激しい鍔迫り合いの最中アウレーリアは静かに呟くが、十四郎が途中で強く言葉を遮った。
「信念は人それぞれです。ですが、アウレーリア殿は間違っています」
手を伸ばせば触れられる距離で十四郎の言葉を聞いたアウレーリアは、急に力を緩めた。その瞬間が十四郎の油断に繋がる。アウレーリアの剣が緩むと同時に十四郎の刀も緩む、その刹那アウレーリアは剣を返して一番近くの馬番の首に剣を突き立てる。
ローボにはアウレーリアの剣が馬番の首に刺さったかの様に見えた。だが、実際は十四郎の刀が防いでいた。
「全く、何て奴等だ……この私でさえ見えないとは……」
唖然と呟くローボは十四郎の凄さは知っているつもりだったが、アウレーリアの剣筋に改めて驚愕した。
「止めて下さい」
十四郎の声は重かった。
「あなたが言ったのですよ……信念だと」
ゆっくりと下がったアウレーリアは、穏やかだが凄みのある口調だった。
「聞く耳身持たない様だな」
「狼は口を挟まないで下さい」
呟くローボをアウレーリアが見詰める。その瞬間ローボは目を見開いた、自分では何時もの様に話したつもりだった……人に伝わる言葉ではなく、狼の言葉で。
「十四郎! その女はっ!……」
ローボが口を開いた瞬間、アウレーリアの剣が目前に迫る! だが、また十四郎の刀がローボを救った。
「二度と目の前で死なせはしません」
また鍔迫り合いになると十四郎は声を押し殺した。今度は力を抜かず、アウレーリアは鍔迫り合いのまま薄笑みを浮かべた。
「邪魔をするのですね? 十四郎……」
「はい」
返事はしたが、十四郎は名前を呼ばれた事の違和感に取り憑かれた。ローボは、その様子を経験した事の無い感覚で見詰めていた。
どんなに精神が白濁した者でも、ローボには思考や性格を見抜く事が出来た。それは、人でも獣でも、例え魔物でも……だが、アウレーリアの全てがまるで霧に覆われている様に霞んでんいた。
「あなたの名前、アインスから聞いたんですよ……そして、あなたの目を見えなくした罰も与えました」
「命を奪ったのですか?」
静かに話すアウレーリアに向かい、十四郎は更に声を押し殺した。
「いいえ、名前を教えてくれましたから」
そのアウレーリアの微笑みは、ローボでさえ背筋に氷を突き立てた。
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「なっ、何の用だ……」
突然現れたアウレーリアに、アインスの思考と体が固まった。
「あなたは、あの人の命を狙っていると聞きました」
「……」
微笑みを浮かべてはいるが、圧倒的威圧感にアインスの口は開かない。
「分かっていますね?」
その穏やかだが胸を貫く言葉に、アインスは”死”を覚悟するしか出来なかった。そこに丁度、ツヴァイやフィーア達が部屋に入って来た。
「何をしているっ!」
青銅騎士に成り立てでアウレーリアとは面識の無いツヴァイが叫び、フィーアやフェンフが瞬時に剣に手を掛けた。
「止めっ……」
アインスの言葉が終わらないうちに、三人は血飛沫を上げ床に倒れた。青銅騎士が剣を抜く暇さえなく、即死だった。部屋中を覆う血の臭いと、一面を覆い尽くす真っ赤な視界……アインスは嫌いではない筈の臭いに咽た。
そして、あれだけの血飛沫なのにアウレーリアは全く返り血を浴びてなくて、その美しい顔は微笑んだままだった。
「アインス。あの人の名前を教えて下さい。そして、二度と狙わないと約束して下さい。そうすれば、今度だけは許します」
近付いて来るアウレーリアは、天使の様な微笑みを向けた。アインスに選択肢など存在しない、思考停止した脳は口元から言葉を零した。
「……十四郎……」
その瞬間、アウレーリアは剣を横薙ぎにした……アインスが最後に見たのはアウレーリアの身も凍る微笑みだった。だが、その視界は一瞬で暗黒に変わる。
「……目が……」
目元を触ると暖かい液体に触れ、かなりの時間が過ぎた時アインスは悟った……”生きていると”……そして、十四郎と同じになったと。