鉄の女 3
ゆっくりと鯉口を切り、刀を正眼に構えた十四郎は静かに言った。
「お相手致します」
十四郎が戦闘態勢に入った事は分かったが、聖守護者達は何故か動けなかった。一見隙だらけに見える力の抜けた構えの奥に見え隠れする”殺気”。それは、手練れの者にしか分からない”聖域”の様なモノだった。
『何だ? この威圧感は……』
庭師は両手の鎌が汗に滑る違和感と共に、脳裏で呟いた。そして、咄嗟に視線を向けた執事も同じ様に構えた剣を小刻みに揺らしていた。だが、馬番だけは炎の様な激しい視線で十四郎を睨み付け、稲妻の様な雄叫びを上げた。
「魔法使いよっ!! その力を見せるがよい!!」
「十四郎、手加減は無用だ。そ奴らは人ではない」
そんな凄まじい雄叫びを前にしても、ローボは十四郎に向い静かに言った。
「人ではない?」
眉を顰める十四郎だったが、確かに聖守護者の放つ”気”は人とは異なる感じがしていた。
「獣も年月が経てば妖術くらいは使える様になる」
「我等を獣と呼ぶか?」
執事が剣を構え、ローボに詰め寄った。
「ほう、猿が剣を使えるのか?」
牙を光らせたロボが口元で笑う。
「まずは、その減らず口を塞いでやる」
二本の鎌を頭上に振りかざし庭師が鋭い視線を投げつけるが、ローボは鼻で笑った。
「フンッ、猪は土でも掘っていろ」
「ローボ殿、猿に猪……何の事ですか?」
気は感じるが見る事の出来ない十四郎が首を傾げる。
「奴らの正体だ。こっちのデカイ奴は狼だ……同族として情けない、人に姿を変えるなど……」
最後の方は吐き捨てる様に言ったローボは、馬番を軽蔑の眼差しで見た。その瞬間、馬番の脳裏に過去の映像がフラッシュバックした。
「あなたは、まさか……フェンレル」
銀色に輝くローボを、馬番は震えながら驚愕の表情で見返す。
「その名で呼ぶな! 我が名はローボだ!」
ローボは馬番に怒号を浴びせ、その剣幕に馬番は直ぐ様後退った。
「何を臆する! それでも聖守護者かっ!」
「ならば、私がっ!」
庭師が馬番に叫んだ瞬間、執事がローボに剣を振るった。だが、その剣は十四郎の刀に阻まれ執事は咄嗟に距離を取った。
「余計な事を……」
牙を光らせるローボに対し、十四郎は静かに言う。
「いけませんローボ殿。私達は交渉に来たのですよ」
「交渉は、こ奴等とではあるまい? 人ならざる者なら、始末する事に何故躊躇する?」
首を傾げるローボに対し、十四郎は穏やかに微笑んだ。
「私はこの世界に来て、アミラ殿やシルフィー殿、アルフィン殿やルー殿、ブランカ殿……そして、ローボ殿……色々な方々と知り合いました。言葉が通じると言う事は、分かり合えると言う事です。最早そこには、人や動物の区別はありません」
「戯言をっ!!」
執事は、まるで自分達を見下ろす慈悲を受けてる様な感覚に怒りを覚え、思わず声を荒げた。
「十四郎が止めなければ、お前の喉を咬み切っていた」
声を上げる執事に向かい、ローボは炎の様な視線を投げた。その視線は、まるで絶対神に睨まれてる様な強烈なインパクトで執事を圧倒した。
「ローボ殿、手出しは無用です」
落ち着いた十四郎の声はローボの炎を、まるで朝霧が静かに消える様に鎮めた。それはとても不思議な感覚で、思わず牙を隠しながらローボは微笑んだ。
「全く……お前って奴は……もう、好きにしろ」
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皆とは離れた場所でビアンカは一人、ぼんやりと遠くの山々を見ていた。この場所に辿り着くまでの狂おしい気持ちを瞬間冷却され、頭と体は脱力感に包み込まれていた。
「どうしたの?」
心配そうにシルフィーが覗き込み、ビアンカの頬を鼻先で撫ぜた。
「……何も考えられないの……」
ビアンカは一言だけ答えると、膝の間に顔を埋めた。シルフィーはビアンカの耳元で囁く、それはまるで”天使”の声の様に耳に心地よかった。
「……あなたは願うの? 十四郎に逢いたいと……」
「……うん」
顔を埋めたまま、ビアンカは小さく頷いた。
「強く願えば必ず叶う……あなたは強く願う?」
「……願います……強く、強く……」
シルフィーの問い掛けは、ビアンカの中の何かを呼び覚ました。お腹の底の辺りが熱くなり、全身の血液が沸騰して、胸が心地よい痛みに覆われた。
「立って、ビアンカ」
言われるまま立ち上がると、シルフィーはビアンカに鼻先を摺り寄せた。
「ワタシはビアンカの味方……世界の全てを敵に回しても、ワタシは最後までビアンカと一緒……行こう、十四郎の元に」
「でも……」
行きたい。ビアンカはココロからそう思ったが、脳裏では”弱点”という言葉や”足でまとい”と言う負い目、そして遠くから見守るツヴァイの視線がビアンカの背中に刺さった。
「行きたいんでしょ?」
「……皆、心配するから……計画、ダメになるから……それに……十四郎は……」
最後の言葉は、そっと地面に落ちる。ビアンカには踏み出す勇気が無かった。思考はネガティブに支配され、思い浮かべる十四郎の顔は……困り顔だった。
「それでも、行きたいんでしょ?」
シルフィーの言葉はビアンカの胸の中のモヤモヤを一掃した。誰に何と言われても、正直なココロは隠せない。
”行こう”と思うだけで、ビアンカの背中には純白の羽根が羽ばたいた。
「本当にいいの?」
「あの陰で見張ってる人……ビアンカの事を心底心配してるけど、ワタシが本気を出せば決して追い付けない」
心配そうに見詰めるツヴァイを見てシルフィーは少し済まなそうに言うが、覚悟は決めてる様な口ぶりだった。
「……お願い」
ほんの一瞬の間を置いて、ビアンカはシルフィーに跨った。
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「何処に行くのですか?」
部屋を出ようとするアリアンナの背中に、ローベルタの穏やかな声が刺さった。
「私は自分の意志に従います」
「あなたの意志は尊重します。しかし、私は領主として領民を守る義務があるのです。行かせる訳にはいきません……私が何と呼ばれてるか、知ってますか? ”鉄の女”ですよ……全く、女性として有り難くない二つ名です……ですが、私はこの名に誇りを持っています。鉄の意志で領民を守る……内外に知れ渡った、この呼び名に賭けて信念を貫きます」
ローベルタの凛とした言葉を聞くと、アリアンナは笑顔で振り返った。
「私は、あなたの”血”を受け継いでいるのですね……私は、この世界を変えたい……その夢を十四郎に託したのです……ですから、全てを賭けて十四郎と一緒に戦います……これが私の信念です」
アリアンナは胸を張り、ゆっくりと言葉を紡ぐ様に話した。真っ直ぐにローベルタを見詰めながら。二人の間に無言の時間がゆっくると流れる……その間も二人は決して目を逸らさなかった。
「それでは、失礼します」
先に言葉にしたのはアリアンナで、見事なカーテシーで深々と頭を下げた。
「お待ちなさい」
言葉とは裏腹にローベルタは微笑んでいた。
「私は……」
言葉を詰まらせるアリアンナは懇願する様にローベルタを見るが、その微笑みを続けたままローベルタは静かに言った。
「そのドレスでは戦えません。我が家に伝わる鎧と装備を授けます……私が身に着け、理想の為に戦った鎧です。きっと、あなたに似合うでしょう」
「大お婆様!」
「血は争えませんね」
アリアンナを抱き締めながら、ローベルタは溜息交じりに呟いた。