鉄の女 2
「十四郎はどうした?」
戻ったローボは直ぐに異変に気付き、マルコスに強い視線を送った。
「……それが……キリー殿の母上を説得する為、アリアンナと共に……」
「……」
ローボは何も言わず踵を返す。その背中にマルコスは思わず叫んだ。
「ローボ! どうして私達を責めないのです?! 十四郎ばかりに頼ってとっ!!」
一旦止まったローボは、振り向かないで言った。
「人間に出来る事は決まっている……その先は任せるしかない……」
静かなローボの言葉はマルコスの胸を切り裂く。いっそ罵声を浴びせてもらえば、どんなに楽だろう……諦めの様な慰めの様な言葉は、自分達の力の無さを更に身に染みて感じるだけだった。
「人としての限界など、知れています……我々は頼り、祈ることしか出来ないのです」
膝から崩れ落ちたマルコスの背中に、ロメオは声を落とした。
「限界は自分で決めます」
凛とした声が傷心のマルコスの耳に届く。振り返ると、そこにはシルフィーに跨ったビアンカが太陽を背に佇んでいた。悲しげでもあり、怒っている様でもあり、ビアンカの美しい顔は不思議な感覚をマルコスに抱かせた。
「ビアンカ様……お聞きの通りです……」
「私は十四郎の傍に行きます」
深々と頭を下げるマルコスの言葉に、ビアンカは落ち着いた声で即答した。傍に控えるツヴァイ達も、直ぐに踵を返す。
「お待ち下さい! 今は危険なのです!」
「危険? 何がですか?」
叫んだマルコスの顔は悲壮感に満ち、思わずツヴァイが聞き返した。
「……アウレーリアです……現れました」
マルコスがそう言った瞬間、ツヴァイは顔色を変えビアンカの前に立ち塞がり、ノインツェーンやゼクスも道を阻んだ。
「ツヴァイさん、どうしたのですか?」
「ビアンカ様……今、この場所にいる全員で挑んだとしても……アウレーリアには敵いません……十四郎様でさえも、敵わないかもしれません」
見た事も無いツヴァイの怯えた表情に察したビアンカは、急いでシルフィーの手綱を引く。
「……ならばこそ、十四郎の所に……」
「一対一なら十四郎様にも勝機があるかもしれません……ですが……我々は、十四郎様にとっての弱点なのです……アウレーリアが、見逃すはずはありません」
静かな言葉だがツヴァイは拳を握り締め、ノインツェーンもまた唇を噛み、ゼクスも震えながら俯いた。
「ツヴァイの言う通りです……アウレーリアは今までの敵とは違います。その恐ろしさは青銅騎士であるツヴァイ達が一番知ってます」
マルコスも俯きながら言葉を絞り出す。今まで唖然としていたリズは急に記憶が蘇り、唖然と呟く自分の声が他人の声の様に聞こえた。
「まさか、黄金騎士NO,1のアウレーリア……」
モネコストロでも知らぬ者はいない。女神の美しさを備え、天使の微笑みを持つ究極の破壊神……。リズは聞き及んだ恐ろしさだけなのに、全身を冷や汗が滴った。
「……でも……」
ビアンカを取り囲む周囲の表情はどれも暗く、そして恐怖に包まれビアンカはそれ以上の言葉を失った。
「我等に出来る事は……見守るしかないのです」
悔しさを滲ませ、マルコスが言葉を絞り出した。茫然とするビアンカの脳裏には”弱点”という言葉が何度も繰り返し響いていた。
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「そろそろ魔物が出る辺りですか?」
十四郎は冷気に袖の辺りを摩りながら呟く。辺りは立ち枯れた木々がオブジェの様な佇まいで、薄ら靄まで掛かっている場所だった。前を歩く執事は、背中を丸めたまま返答しない。
「案内は執事殿だけのはずですが、他にもいらっしゃる様で……」
後ろにも気配を感じた十四郎は、頭を掻きながら声を掛ける。
「魔物ですか?……もう、出ていますよ」
振り返った執事は怪しく笑い、その手には血の様に赤い禍々しい剣を握っていた。
「その様ですね」
十四郎が言った途端、明らかに三方から囲まれる感覚に陥った。
「これは馬番殿に庭師殿……一緒においででしたか?」
「あなたは、目が見えないのでは?」
「はい、見えません。ですが、気配で分かります」
執事は薄笑みを浮かべるが、十四郎は全く動じていなかった。そして、一呼吸置いて背後から物凄い”気”が十四郎を襲う。だが、振り向かないまま十四郎は後方に刀を一閃! 気配は後方に飛びのいた。
「最初の一撃を躱したには、あなたが最初です」
後方から庭師の声がした。その声は少し笑ってる様ににも聞こえた。
「訳をお聞かせ願いますか? 私は戦いに来た訳ではありません故」
刀を収めながら、十四郎は執事の方に向き直った。
「あなたは危険なのです……ローベルタ様にとって」
「私が危険……」
執事の言葉は十四郎の胸を突き、今度は後方から庭師の声がする。
「あなたのやろうとしてる事により多くの血が流れます……」
「ローベルタ様は望まない……民が争いに巻き込まれる事を」
今度は斜め方向から馬番の声が、怒りを噛み締めてる様に響いた。
「ですから、その元凶であるあなたに、ここで消えて頂きます」
執事の声は低く暗かった。
「元凶、ですか?……」
俯く十四郎に、執事は更に追い打ちを掛ける。
「そうです。魔法使いの出現により、民は”夢”を描くのです……自らを亡ぼす悪夢を、幸せな夢と混同して」
その言葉は十四郎を維新の戦いへと引き戻す。正しいと信じて戦った維新も、多くの犠牲を生み出した。結果として自由と平等は勝ち取ったが、後には遺恨や後悔が山の様に残った。
「おや? あなたには反論出来ないようですね」
言葉を失う十四郎に対し、執事は薄笑みを浮かべる。十四郎の中では執事の言葉は正論であり、自分の行動に対する自信が大きく揺れた。その思考停止した十四郎の背中に庭師と馬番が襲い掛かる。
庭師は至る所に棘が突き出た鋭い鎌を両手に持ち、馬番は恐ろしい彫刻が刻まれた棍棒の様な槍を軽々と振り上げていた。
俯いたまま刀にさえ手を掛けない十四郎の背中で鈍い金属音がした。それはとても懐かしい気配をまとい、十四郎を背中から支えた。
「十四郎? こんな奴らの口車に乗るのか?」
「ローボ殿……」
素早く十四郎の元に移動したローボは、執事達に銀色の牙を剥いた。
「お前は忘れたのか? 今、目の前で苦しむ人々を導く事を……過去は捨てたはずだろ……全く、お前って奴は……」
ローボの言葉は穏やかだった。だが、十四郎の沈むココロは簡単には浮上しない。
「私は……」
「何を言われたかは想像出来る。だが、今まで通りに戦えば済む事だ……今更何を悩む……それにな、ビアンカが戻ったぞ。とても心配している……お前を助けに行くと聞かなかったが、皆で引き止めた……」
最後の言葉を少し嬉しそうに言ったローボだが、炎の様な鋭い視線で執事達を牽制していた。
「ビアンカ殿……」
「モタモタしてると、また駆け付けてくるぞ」
呟く十四郎の脳裏に泣きそうなビアンカの顔が浮かび、ローボの言葉が後押しした。十四郎はゆっくると鯉口に手を掛けると、大きく息を吐いた。その背中からは迷いは消え、取り囲む執事達に困惑の感情を植え付けた。
「その狼は?」
少し話しただけで十四郎を立ち直らせたローボを、執事は不思議そうに見た。
「魔物ごときに名乗る名など無い」
更に牙を剥いたローボが十四郎の前に出るが、その肩にそっと触れた十四郎は力強く言う。
「ローボ殿すみません、迷ってばかりで……もう、大丈夫です」
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「十四郎を殺すのですか?」
震える声で問うアリアンナに対し、ローベルタは少し声を落とす。
「仕方ありません……あなた方は”革命”をしようとしているのです。その為に多くの血が流れるのを見過ごせません……その中心となるのが魔法使い……魔法使いが消えれば、人々は夢から醒めます」
「それは……人々から、夢や希望を失う事になりませんか? 今、この瞬間にも盗賊や野党に愛する人を引き裂かれ、全ての財産を失う人がいます。死の物狂いで育てた作物を、眉一つ動かさず取り立てる役人がいます。そして多くの国では奴隷制度が存続し、国内外でも領土を巡り戦いは絶えません……今の世界は、弱い民が決して安心して暮らせる世界ではないのです」
噛み締める様にアリアンナは呟く。その言葉を受けたローベルタは、ゆっくりと立ち上がった。
「私にも夢はあります……平和で平等な世界……ですが、それは夢なのです。多くの犠牲が出る事が分かりながら、私は認める訳には参りません。それが、我が領民に対する私の責任なのです」
鉄の意志、それはアリアンナの夢や希望を打ち砕が、アリアンナは食い下がる。
「領民以外の人は、どうなってもよろしいのですか?」
「確かにそうです……詭弁に聞こえますよね。自分達さえよければいいと……ですが、それが私の限界なのです」
「限界……で、片付きますか?……少なくとも十四郎は、違います」
「何が違うと言うのです?」
顔を上げたアリアンナを正面から見詰め、ローベルタは静かに言った。
「十四郎は助けます……全ての人を」
「その自信はどこから?……アリアンナ……残念ですが、もう議論は終わりです。もう直ぐ、聖守護者が帰って来ます……あなたは、落ち着くまでこの屋敷にいて下さい」
「帰って来るのは十四郎です」
アリアンナは涙を浮かべながら、ローベルタの視線を跳ね返した。