武闘大会 馬術4
「二人乗りって、あり得ない」
呆れた様に呟くリズに、ザインは小さく頷く。
「確かにな。だが、シルフィーは普通の馬じゃない。神速と呼ばれる訳を知ってるか? 速い馬なら他にも幾らでもいる。シルフィーの凄い所は際立って賢い事だ。前にビアンカに聞いた事がある。シルフィーは、自分でどうすれば速く走れるかを考えるそうだ。より走り易く速度の出易いコースを瞬時に見極め、更に乗り手の負担も減らすように考えながら走る……そんな芸当が出来るのは、シルフィーを措いて他に無い」
「でも、この難しいコースを四周ですよ。二人も乗せて」
普通に走るだけでも困難そうなコースに、リズは顔を曇らせた。
「確かにな。如何にシルフィーと言えど難しいだろう。だが、見たくないか? 十四郎殿が何故こんな事を受けたか……そして、どうするか」
「団長も名前で呼ぶのですね」
リズはザインが十四郎を名前で呼んだ事が、何故か嬉しかった。
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試走で初めて二人乗りしたビアンカは、誰かと二人で乗るなんてと、記憶を探る。まだ幼い頃、父と共に乗った記憶が鮮明に蘇る。初めての騎乗、ドキドキと緊張、視線の高さに驚き、揺れの気持ち良さに喜び、風の様に後方へ飛び去る景色に感動した。
何より父の体温が背中から優しく包み込む安心感が嬉しかった。今は、それに似た温もりが十四郎の背中から伝わる。直ぐ顔の傍に感じる十四郎の息遣いも、たまに触れる十四郎の腕の感覚も、ビアンカにとっては掛け替えのないモノに思えた。
「あの、シルフィー言ってないですか?……重いって」
「どうですか? シルフィー殿」
十四郎は大声で聞く。
「一二周は大丈夫ですが、全速で四周は厳しいですね。でも、何だか楽しいです」
息を切らせたシルフィーは、笑い? 声で言った。
「シルフィー殿は楽しいそうです、三人で走れて」
十四郎はビアンカの背中にそっと言う、とても良い髪の香りが十四郎を包む。それは不思議な感覚で、言葉にするなら……”守ってあげたい”そんな感じだった。
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スタート前、十四郎はシルフィーに耳打ちした。シルフィーは直ぐに同意し、大きく頷く。
「シルフィーに何と言ったんですか?」
「がんばろうって、言いいました」
背中越しに聞くビアンカに、十四郎は微笑んだ。スタートの合図と同時にシルフィーは猛ダッシュした。流石、神速のシルフィー、二人を乗せても簡単にルシファールを置き去りにした。
「最後まで持つはずはない」
ドナルドは確信し、ルシファールに鞭を入れる。出来るだけ差を詰め、勝負は最後の一周、作戦は即座に決まった……と言うより、他に選択肢はなかった。ドナルドは胸の底が激しく痛い気がして、更に鞭を入れた。
プライドが音を立てて崩れる。ルシファール中ではスタートで先に行くのは自分だった。手を抜いたつもりは無い、油断したつもりもない……実力の差? 認める訳にはいかない。ルシファールは、ドナルドの鞭を望んだ……もっと、もっと、と。
スタートして闘技場を一周、直ぐに庭門を潜り、城の外壁へ出る、その先急勾配を掛け上がり見張所の下に出る、そこの狭いカーブを曲がると目の眩む下り、だがシルフィーは速度を落とさない。
十四郎は若干腰を引き、身体を逸らせ坂に対処する。ビアンカも追随するが、試走の時とはスピードが違う、猛烈な速度で流れる視界、空気は壁になり呼吸さえ困難にさせる。
手を伸ばせば届きそうな壁や障害物に恐怖が顔を覗かせ、一瞬激突のイメージが脳裏を過り、全身を悪寒が駆け巡る。シルフィーの速さは知っているつもりだったが、初めての勝負と難解なコースがビアンカを威嚇していた。
「この一周だけ我慢して下さい」
ふいのに耳元の声、十四郎の背中が触れ、体温が胸一杯に伝わる感覚。安心感が押し寄せる、冷たい身体に熱い血液が循環する。ビアンカは大きく息を吐くと、強く前方を見詰めた。
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初めの一周で、かなりの差が開いた。前方にはシルフィーの影は見えない。ドナルドは改めてシルフィーの実力に驚愕する。特に前方の視界が開けないこのコースでは、先行逃げ切りに出られたらペースの配分すら出来ない。
焦り、そんなものがドナルドを襲う。とにかく背中を見付ける、それしか不安を払拭出来る要素は無い、鞭を入れる回数は必然的に増える事となった。
ルシファールの焦りは、ドナルド以上だった。ズタズタのプライドは見えないシルフィーの背中が更に傷付け、それに呼応する様に無意識のうちに無理を重ね、全身の筋肉は既に悲鳴を上げていた。
二周目、明らかにシルフィーは速度を落とす。ビアンカに最悪の状況が浮かぶ。
「速度が落ちてます、シルフィー大丈夫ですか?」
振り返る十四郎の笑顔が、安心感を満たす。答えなんて聞かなくても分かった気がしたビアンカには、直ぐに前方に目を移した。
三週目、坂を駆け下りカーブを曲がると一瞬シルフィーの背中が見えた。ドナルドに闘志が蘇る、見えた背中に向け更に鞭を入れる。ルシファールも同じだった、視界が捉えたシルフィーに向け、もう一度アドレナリンを増加させ全力で走った。
微かな気配、十四郎はルシファールに気付く。
「シルフィー殿、この速度を維持、呼吸を整えながらお願いします」
「分かりました」
「後にルシファールが見えました! 速度上げないんですか!?」
後を確認したビアンカが叫ぶ。
「勝負は最後の一周、直線です」
十四郎の意図がビアンカに届く、ゴール前の直線100m。そこが勝負だと分かったが、疲れた様子を見せないシルフィーが、更に頼もしく感じた。
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四周目中盤、10馬身の差にシルフィーを追い詰めた。ルシファールは脚が重く、呼吸が激しく乱れるが、直ぐ傍に見えるシルフィーの背中に闘志は更に燃える。ドナルドも同様に、手の届く距離に捉えた十四郎の背中に向け、鞭を振るった。
城壁の外周を回り、幾つかの城門を潜るとゴール前の直線が見えて来る。ルシファールはシルフィーの直ぐ後に迫っていた。最後の門を抜け、直線に入るとシルフィーに並ぶ、そのまま残り150mまで激しく並走した。
ルシファールが首を下げ加速体制に入った瞬間、十四郎が叫ぶ。
「シルフィー殿! 今です!」
声と同時にシルフィーはギヤを一気に落とす。有り得ない急加速、一気にルシファールを置いて行く。ドナルドも激しく鞭を入れ、ルシファールも力を振り絞るが……加速は、する。ちゃんと鞭に答え、速度は更に上がる……しかし、シルフィーの速さには到底敵わなかった。
目の前でシルフィーがゴールに飛び込む、その瞬間にドナルドは全てを悟る。まんまと策略に掛ったと……シルフィーの実力、そして十四郎の腕と戦略に脱帽した。
ドナルドが諦めた瞬間、ルシファールの全身を激痛が襲う。クールダウンしたくても怒りと後悔が混ざる複雑な思考は、何時までも胸の底で燻り続けた。




