微笑み
素早く移動した十四郎はリーダー格の男の耳元で囁いた。
「私が時間を稼ぎます。その隙に逃げて下さい」
「あんた、魔法使いだろ? 何を恐れてるんだ? 確かに嫌な雰囲気だが女一人だ、あんたが恐れる様な相手じゃ……」
そこまででリーダー格の男は絶句した。視線を移した女は微笑みを浮かべてはいるが、その美しさと正対する様な違和感は言葉にするなら”恐怖”だった。
「何故なんだ? どう見ても美しいだけの只の女だ……でも、あの女の剣が俺の首を落とすイメージが頭の中から離れない」
体を震わせる大柄な男は目を見開いて呟く。
「……俺には、あの女が人とは思えない」
中肉の男も呟き、もう一人の男も真剣な顔で頷いた。
「そうだ、あの微笑みは決して慈悲や優しさの微笑みではない……あれは、虫けらを見て笑っているんだ」
魂が抜けた様な顔でリーダー格の男は呟いた。
「多分……それが当たってる……」
大柄な男も同意し、他の男達も思わず後退った。
「十四郎! この人達何と言ってるの?」
異様な雰囲気を察したアルフィンが尋ねるが、十四郎は何時もの様に明るく答えなかった。
「人ならざる者……物の怪の類だと言ってます」
「怪物……」
声を震わせるアルフィンも、それ以上の言葉を失った。十四郎は女と正対すると、少し腰を低くして刀の鯉口を静かに切った。
「待て魔法使い……あの女、もしかしたら……銀の髪、碧の瞳……そして、逆さ十字架の紋章……」
「そうだ……あいつだ……」
リーダー格の男が声を震わせ、大柄な男が声を枯らせた。
「知ってるんですか?」
「聞いた事がある……あいつは、黄金騎士NO,1……」
振り向いた十四郎の問いにリーダー格の男が口を開いた瞬間、目を見開きながら前向きに倒れた。
「どうした!?」
大柄の男が抱き起すが、リーダー格の男は既に事切れていた。その胸からは血が溢れ出し、心臓は一突きにされていた。
「まさか……」
十四郎は精神を研ぎ澄まして女の気配を追っていた。だが、気配は確かに正対する正面にあるはずだった。
「何でだよっ!」
大男が叫んだ瞬間、首筋から血を吹き出し中肉の男も、もう一人の男も続け様に血に塗れ地面に倒れた。
「アルフィン殿、女は何処に?」
気配でしか女を感じられない十四郎は、アルフィンに低い声で聞く。
「じゅ、十四郎……分からなかったの? あの女の人、笑いながら、ゆっくり歩いて盗賊の人を……」
言葉の途切れるアルフィンは震えが止まらなかった。何故十四郎が気付かないのかとの疑問より、女の微笑みが怖くて堪らなかった。
「邪魔者は始末しました」
十四郎が気配を感じた時は、女は直ぐ傍にいた。
「何故、ですか?」
自分の声が微かに震えるのが分かった。
「あの人達は私の事……知ってたから」
薄笑みを浮かべる女の声は、その美しさとは反比例して十四郎の耳を妖しく撫ぜた。十四郎は直ぐにジリジリと下がり、距離を取ろうとした。
「何処に行くの?」
距離を取ったつもりだったが、女は息が掛かる位に顔を近付けていた。その甘い香りが十四郎の鼻腔で踊る、そして暖かい体温までも感じた。
その瞬間、十四郎は横薙ぎで刀を一閃した! 至近距離での一撃! だが、あるはずの手応えは空気を切り裂いた。
「十四郎! 何処見てるの?! 女の人は遥か先だよ!」
アルフィンの悲鳴にも近い声で十四郎は我に返る。だが、アルフィンが叫んだ瞬間、女はアルフィンに氷の様な視線を向けた……その氷の微笑みは、アルフィンの全身に鳥肌を立たせた。
「確かに気配は目前だった……」
「本当に見えないんですね」
声が耳元でした瞬間、十四郎の手に暖かい感触が触れた。刀の柄を握る両手に、まるで羽毛でも掛ける様にそっと……。
「あなたの目的は何ですか?」
刀を仕舞いながら十四郎は独り言みたいに呟いた。
「それは……あなた次第……」
声は穏やかにフェードアウトした。
「アルフィン殿、彼女は何処に?」
「……消えた……よ……煙みたいに……」
十四郎の問い掛けにアルフィンは震えながら答えた。さっきの女の目が、まだアルフィンを薔薇の鎖の様に締め付けていた。その言葉を聞いて大きく深呼吸した十四郎は、気付くと背中が汗でびっしょりになっていた。
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「本当ですか!!」
戻った十四郎が報告すると、マリオは大声を上げた。
「ええ、まぁ」
照れた様に十四郎は頭を掻いた。
「銀の髪に碧の瞳、それに逆十字の紋章……間違いなくアウレーリアだ……」
「そうなんですか?」
マリオは呪文の様に呟くが、十四郎は他人事みたいに首を傾げた。
「十四郎殿! アウレーリアが去り際に手に触れたとは本当ですか!!」
「ええ、まぁ……」
興奮したマリオが詰め寄るが、十四郎は気まずそうに照れ笑いする。
「いいですか十四郎殿。アウレーリアに触れて生きてる者は皆無なのです! しかもアウレーリア自らが触れるなんて! 絶対に有り得ない!」
更に興奮するマリオを、他の者達は唖然と見詰めていた。ただ、それは尋常じゃない事だけは分かった。
「そのアウレーリアとは何者なのですか?」
ラナは興奮が収まらないマリオに真剣な眼差しを向けた。
「噂には聞いた事があるだろ? アルマンニの黄金騎士……そのNO,1に君臨する世界で一番怖い女さ」
茶化す様に話すアリアンナだったが、顔は笑っていなかった。
「聞いた噂なんて、人じゃなくて化物の話しだ」
リルは十四郎を心配そうに見ながら言う。
「青銅騎士の連中、居なくてよかったな……居たら、ションベン漏らしてたかもな」
他人事みたいなランスローだったが、やはり顔は深刻だった。
「黄金騎士だか知らないが、十四郎様に掛かれば……」
周囲の沈む雰囲気の中、ダニーは鼓舞しようと声を上げた。
「それが、気配さえ感じられず……目の前の殺生を止める事が出来ませんでした」
沈む声の十四郎は、埋葬した時の盗賊達の身体の重さが腕に蘇った。
「十四郎様。どんな相手でも、あなたは大丈夫ですよ」
「バンス殿……」
優しい笑顔でバンスは言った。その言葉の意味が十四郎に覆い被さる。それは”責任”……ここに集う人達だけではなく、全ての人々の未来が自分次第だと。
何が出来るかではなく、何をするか……改めて十四郎は背筋を伸ばした。
「すみません……頑張りますから」
笑顔の十四郎の顔には嘘も偽りもなく、そこに居る人々のココロを穏やかに包み込んだ。だが、少し離れて聞いていたローボは、ゆっくりと脚元に近付くとポツリと言った。
「十四郎……本当に大丈夫か?」
「ええ、多分……」
「そうか……」
口元だけで笑ったローボは、そう言い残すと背中を向けた。
「ローボ殿、何処に?」
「用が出来た。暫くここを離れる」
十四郎の問いに、振り向かないままローボは呟いた。
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「アウレーリアが戻りました」
報告するドライの顔は蒼白だった。
「そうか、連れて来い」
七子は当然の様に言うが、ドライの顔は更に白さを増した。
「それが……」
「何だ?」
面倒そうな七子に向かい、ドライは消えそうな声で呟いた。七子に否定されれば、次はどう動けばいいかさえ分からなかった。
「こちらが出向けと……」
七子はドライの態度が気になった。いつも自信に溢れ、本当は自分さえ利用されてるのではないかと勘繰ったぐらいだった。それがこの恐れ様……七子は席を立つと静かに言った。
「何処に行けばいいのか?」
深々と頭を下げたドライは、背中を丸めながら七子を案内した。
「お前がアウレーリアか?」
豪華なベッドには、七子でも気後れする様な美しい女が優雅に髪を梳いていた。
「あなたは?」
「私は七子……ドライから聞いてるだろ?」
自分では堂々としたつもりでも、七子の声は上ずっていた。
「あなたがアルマンニの魔法使いですか?」
「そうだ」
アウレーリアの微笑みは、同性である七子でさえ不思議な感覚で包む。
「魔法使いはどうだった?」
単刀直入で聞く事で七子は自分の動揺を隠そうとするが、アウレーリアは天使の様に微笑んだ。
「……だめですよ、あの人は誰にも渡しません」
その言葉の意味を、七子はどう解釈していいか分からなかった。それ程アウレーリアの微笑みは不思議で神秘的だった。
「魔法使いを殺すのか?」
「……さあ、まだ分かりません……」
七子の動揺など全く気にもせず、アウレーリアは笑顔のまま脳裏に十四郎を思い浮かべていた。