天使の様な悪魔
「七子様、アウレーリアが……」
珍しく顔を曇らせたドライが報告した。
「どうした?」
椅子に凭れたまま顔を上げた七子は、ドライの方にやや強い視線を向けた。
「それが……居なくなりました……おそらく、魔法使いの所だと……」
初めて聞く歯切れの悪いドライの言葉。七子は意味有り気に斜め上から見下ろした。
「何か問題でも?」
「あれは違うんです……アウレーリアは……」
初めて見る動揺したドライの顔。七子はその動揺した顔に悪寒を感じるが、敢えて落ち着いた態度を見せた。
「確かに噂には聞いている。だが、我等にはアインスという異端児もいる……」
「アインスなどとは次元が違います。アウレーリアは……」
小刻みに体を振るわせるドライは、その溜息さえ苦し気だった。そして、その長く大きな溜息の後、ドライは声を絞り出した。
「アウレーリアはアルマンニ随一と言われた騎士、アクタミロスとの会見で……アクタミロスがその手に触れようとした瞬間、首を刎ねました……当然アクタミロスは噂を知っており、自らの剣に手を掛けたままでしたが……剣を抜く暇もなく、一瞬で……国王は激怒し、近衛兵にアウレーリアを倒せと叫びましたが、精鋭の近衛兵でさえ簡単に……一瞬で倒されました……私は黄金騎士を仲間に引き入れ様とはしましたが、アウレーリアだけは……」
「ほう、では何故アウレーリアを味方に出来た?」
七子はドライの言葉に対する疑問を口にした。
「アウレーリア自らが望んだのです……」
「それ程に強いなら、味方にした方が都合が良いのではないか?」
否定するドライは、まだ震えていた。
「最初はそう思いました……ですが、実際にアウレーリアを操るの無理かと……」
「仕方ないでは済まされそうにないな……とにかく、監視を徹底しろ」
実際に会った事はないが、動揺するドライの様子は七子の胸を圧迫した。
「はっ……」
一礼の後に部屋を出て行くドライを見送りながら、七子は嫌な感覚に包まれていた。そのモヤモヤした感覚を表すなら、一番近い表現は”嫉妬”なのかもしれない。
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「十四郎! 早く助けないと!」
アルフィンは叫ぶが、十四郎は静かに見守る……見えない目で。女は鎧こそ着けてはいないが、身体にぴったりとした見事な装飾のギャンベゾンをまとい、胸の辺りには逆さまの十字架の紋章が刻まれていた。
「どうしたのよ十四郎! 何故動かないの!」
それでも動かない十四郎に向かい、アルフィンがまた叫んだ。
「助けないといけないのは盗賊の方です」
落ち着いた声の十四郎の様子を見て、アルフィンは更に声を上げた。
「何言ってるの! 盗賊は五人、囲まれてるのは女の人の方だよ!」
だがそんなアルフィンを尻目に、十四郎は鞍から降りると盗賊の方にゆっくりと近付いて行った。
「何だぁお前は?!」
当然、盗賊の一人が大声で威嚇する。大柄で髭だらけの顔は怒り満ちている。それでも平気な顔で近付く十四郎を見て、小柄な盗賊が顔を曇らせた。外国人の風情に青いマント、商売柄乗っている馬にも目が行く。
アルフィンは輝く艶やかな毛並みと、一目で分かる素晴らしい馬体は普通の馬とは一線どころか二線も三線も隔していた。
「あの馬……ただの馬じゃない……まさか、噂に聞く天馬……」
盗賊の目が爛々と輝いた。最早アルフィンが世紀のお宝にしか見えない。
「馬もそうだが、あの男……」
中肉の盗賊は、アルフィンと十四郎を重ねて見る。その合わさる答えは……。
「まさか、お前……噂に聞く天馬を愛馬とするモネコストロの魔法使い……」
一番体格の良いリーダー格の盗賊は、背中に冷や汗を流しながらも鋭い視線を十四郎に向けた。
「噂かどうかは知りませんが、一応そうみたいです」
頭を掻きながら十四郎は微笑んだ。その瞬間、微笑んでいた女の目が眩い光を放った。アルフィンはその光に気付くと、全身に悪寒が走った。何故かと考える前に、女は十四郎に歩み寄った。
「魔法使い……」
女の声は、その場の男達の全員の耳を溶かす様に甘くてしなやかだった。風に揺れる絹の様な銀色の髪、吸い込まれそうな碧の瞳、その微笑みは見る者全てを見えない蔓で絡み取った。
「お前は後回しだ」
体格の良い男が、女の腕を取ろうと手を伸ばす。女は瞬きもせずに剣を一閃した。だが、物凄い金属音と火花が男の首筋で弾ける。そこには女の剣を受けた、十四郎の刀が鈍く光っていた。
男は腰から地面に落ち、女は恍惚の表情で十四郎を見た。
「初めてです……私の剣を……」
「何故です?」
十四郎は刀を収めると静かに呟いた。
「だって、私に触れようとしたから……」
女の微笑みは、地面に座り込む男の全身に冷や汗を流させた。
「悪い事は言いません。このまま帰ってもらえませんか?」
十四郎は踵を返しリーダー格の男を見た。
「この者達は邪魔ですか?」
女は身も凍るような微笑みで言った。腰の剣に手を掛けながら。
「十四郎……この人……」
アルフィンでさえ女の異様な雰囲気に背筋が凍り、思わず十四郎に歩み寄る。その鼻先を優しく撫ぜた十四郎は、女に言葉を向ける。
「邪魔ではありませんよ……」
十四郎の言葉が終わらないうちに、女は剣をゆっくり抜いた。場数を踏んでる筈の盗賊達が、その異様な迫力に後退った。空かさず十四郎は、その間に割って入る。
「庇うの?」
女は片手の剣を低く下げたまま微笑む。十四郎も言い返すが、その顔には笑顔はなかった。
「ええ、無駄な殺生は見過ごせません」
「俺達がヤラれると言うのか!」
リーダー格の男は自分達の上を通り越して話す十四郎と女に思わず声を上げるが、その胸の内は恐怖に取り込まれていた。二人の外見には威嚇する迫力は皆無だが、虫の知らせは耳の奥で騒めく……”皆殺しにされる”と。
「下がって下さい」
十四郎はリーダー格の男に呟く。小柄な男が何か叫ぼうとするが、リーダー格の男は無言で制した。言葉にしたくても出来ない……十四郎と女の間には、目に見えない渦の様なモノが嵐の様に渦巻いていた。
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屋敷に着くとヘンリエッタがビアンカを抱き締め、エミリーは横で涙を拭っていた。
「お帰り、ビアンカ」
ガリレウスも包み込む様な優しい笑顔でビアンカを迎えた。
「申し訳ありません……ビアンカは記憶を……」
深々と頭を下げるリズに向い、ヘンリエッタは優しい笑顔で言った。
「ビアンカが無事であれば、それで良いのですよ」
抱き締められた暖かさ、それはビアンカを体の内側から暖めた。
「そなた達も、ゆっくりされるがよい」
部屋の入り口で跪くツヴァイ達にも、ガリレウスは優しく声を掛けた。
「これからもビアンカの事、宜しくお願いします」
ヘンリエッタも穏やかな声を掛ける。
「はっ、身命を賭してもビアンカ様をお守り致します」
ツヴァイは平身するが、ノインツェーンは腰の辺りを突いた。その動きを見たガリレウスは、ツヴァイ達三人に視線を向けた。
「ビアンカをお守り頂けるのは恐悦ですが、自らを天秤に掛けてはいけません。あなた方のお命を糧にしてまで……」
「ビアンカ様のお命も、自らの命も守って見せます!」
ガリレウスの言葉の途中に、ノインツェーンは平身したまま声を上げ、ツヴァイやゼクスも深々と頭を下げた。
「そうですか……」
ガリレウスの脳裏に浮かぶ十四郎の笑顔、それはとても大きく頼もしかった。
「お母様……」
限りなく懐かしくて愛しい香り……ビアンカは思わず呟く。
「はい、ビアンカ。あたたは私の一番大切な娘です……例えあなたが忘れても、私が覚えています。おじい様も、エミリーも皆そうです……」
「……」
ビアンカには、それ以上言葉が出なかった。記憶は霞んでいるが確かに感じる……それは、抱き締めたくなる程懐かしい家族の絆だった。