戦いの前
食料の定期搬入の時、買い取った食料を運び出す作業をした。当然、搬入分も買い取っていたので空の荷馬車で砦に入り、出る時に買い取り分を搬出した。
砦の中はマルコスの想像とは違い穏やかな雰囲気で、とても難攻不落と呼ばれる要塞とは思えなかったが、裏返せばそれだけ絶対の自信があるのだろうとマルコスは余計に緊張した。
緊張するマルコスを尻目にダニーは落ち着き払って、当然の様に作業をこなした。砦の門を出た瞬間、緊張の糸が切れたマルコスが大きな溜息を漏らした。
「寿命が縮んだ……お前は平気みたいだな」
「商人の契約は絶対です。その為の代引きですからね」
商品と引き換えに代金を渡すダニーを思い出し、その凛とした態度に思わず笑みを漏らしたマルコスだった。
「どう思った? 砦の様子」
「思った通りですね。最強の要塞は揺るぎないですよ……門や城壁の堅牢さは比類ないですし、各城門を突破されも二重三重の障害物……隙なんて無いですよ……でも、その堅牢さが唯一の弱点ですね」
「弱点とは何だ?」
ダニーの観察眼に驚くマルコスだったが、マルコスにも思う所はあった。
「堅牢さ故の油断です。絶対に落ちない、絶対に攻め込まれない……誰だって思いますよ、この砦を見たら」
マルコスが考える唯一の優位を、ダニーは代弁した。
「……そうだな」
嬉しそうに頷くマルコスは、ダニーが大きく成長したと自分の事の様に嬉しかった。
「それでは、直ぐに商いに向かいます」
「今直ぐか?」
砦を出たばかりなのに、ダニーは次の行動に移る。
「はい。食料は賞味期限がありますから」
平然と言うダニーの事が、マルコスは更に頼もしく思えた。
「後は十四郎だけか……」
「マルコスさんは心配してるんですか?」
腕組みしたマルコスが心配そうに呟くと、ダニーは笑顔を向けた。
「お前は心配じゃないのか?」
「はい。あの人に一番無縁なモノが”心配”だと思いますよ」
「まあ、その通りだな」
十四郎を思い浮かべたマルコスは、大きく頷いた。
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「出発の前に親父に会って行ってくれ」
出発の準備が整うとアリアンナが十四郎を誘った。ラドロは怪我の状態も安定し、屋敷の離れで養生していると言う事だった。
「……私が行ってもいいんですか?」
「ああ、見て欲しい……盗賊王と呼ばれた男の今を」
十四郎はアリアンナの表情が、とても穏やかなのが嬉しかった。通された部屋の違和感の訳は先入観で、最強最悪の盗賊とは掛け離れた普通の部屋にラドロは佇んでいた。
大きなベッドに横たわる表情から窺えるのは、どこにでもいる唯の老人の姿だった。
「お加減は如何ですか?」
「腕を切り落としたのは、お前だろう」
頭を下げる十四郎にラドロは掠れる声を掛ける。その声に以前の凶悪性は無く、穏やかな安らぎさえ感じられた。
「申し訳ありませんでした」
「気にする事はない……お前と戦い”死”を垣間見て、初めて分かった気がする……命を奪われる者の気持ちが……」
更に頭を下げる十四郎に穏やかな視線を送りながら、ラドロは聖書を読む様な口調で言った。
「もう、盗賊は辞めますか?」
十四郎は真っ直ぐにラドロを見詰め、ラドロは穏やかに視線を返す。
「ああ、もう沢山だ……また、お前みたいな奴に出会ったら堪らないからな……だが、この盗賊団は大きく成り過ぎた。今はアリアンナが収めているが、内紛や跡目争いも起こっている」
「心配ですね」
俯く十四郎にラドロはまた、穏やかな笑みを向けた。
「心配はしていない……アリアンナが皆を導くだろう……そして、お前にも期待している……本当に盗賊を辞めて、国を守る兵になれる時が来るのか?」
「その為に戦っています……」
「そうか……」
十四郎は自信に満ちた表情を向け、ラドロはその顔を見ると満足そうに笑った。
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パルノーバ砦を遥かに見渡せる丘の上に、十四郎達は集結していた。全員が緊張に包まれ、整然と集まってはいたが、ビアンカだけは実感が湧かず表情を曇らせていた。
「大丈夫?」
「ええ……」
心配そうなリズにも曖昧に返事して、ビアンカは一点を見詰めていた。その視線の先は紛れもなく十四郎で、自分でも分からない胸の高鳴りを必死に押さえていた。
「ココ殿、状況はどうですか?」
「はい。本国からの定期巡回は一か月に一度ですが、今は二か月に一度になっています。緊急時の連絡は伝書鳩と早馬、食料に関しましては買い取った分を除いた備蓄は一か月分で、次の補給は一か月後です。尚、普段は三か月分の備蓄があります」
十四郎の問いに、ココは的確に答える。
「今度の巡回は何時です?」
「三日後です」
「決行は、その後ですね」
ココの報告を受けた十四郎は、笑顔で皆の顔を見た。
「緊急連絡の遮断はどうする? 本国からの増援が来たら……」
マルコスは最重要の不安を、ストレートにブツけた。
「鳩はローボ殿にお願いして、早馬はアルフィン殿とシルフィー殿で押さえます」
笑顔で答える十四郎の策はローボ、アルフィン、シルフィーと最強の動物トリオでマルコスを初め、聞いていた者を完璧に納得させた。
「分かった。それでは具体的な策を説明してくれ」
大きく頷いたマルコスが、皆を代表して十四郎を見た。
「それでは、まずアリアンナ殿を紹介します」
十四郎に促され、前に出たアリアンナの美しさに一同は目を見張る、そして、後に続く盗賊達の精悍な佇まいも驚きだった。とても野盗とは思えず、統制のとれた兵士を見ている様だった。
アリアンナの美しさは、ラナやリズを始めリルやノインツェーン達を威嚇した。その美しさには威厳があり、誰でも一歩引く威圧感が漂っていた。ただ、ビアンカだけは泣きそうな顔で、遠回しにアリアンナの姿を斜めから見詰めていた。
「選りすぐりの精鋭だ。総勢五百」
振り返ったアリアンナは、自信に満ちた表情で手下を紹介した。
「そして、向こうの丘……ローボ殿の軍勢です」
反対側の丘の上には、無数の狼の群れが集結していた。一際目立つローボの横には、一回り大きくなったルーの姿も見えた。
「何頭いるんだ……」
唖然と呟くツヴァイだったが、恐れと言うより頼もしさに鳥肌が立った。
「我々も含め、全て合わせると、戦力は五百程になります。そして、定期巡回が終わった直後に、砦を取り囲みます。最初は直接姿は見せず、夜になって焚火などで大軍勢に見せ掛けるのです」
「その後……攻撃開始か」
説明する十四郎に向かい、マルコスは決意の表情を見せた。
「いいえ、攻撃はしませんよ。夜は焚火で脅し、昼は大群に見える様に偽装します」
「それだけ?……」
平然と言う十四郎に、マルコスは唖然とした。
「ダニー殿も、偽装の準備を整えもう直ぐ戻って来ます。ローボ殿にも、馬を集める様にお願いしてますし」
「集めるって、どうやって?」
「野生馬ですよ。こちらに来る最中、ルー殿がかなりの数を集めました。馬具もダニー殿が手配してます。とにかく、大軍勢に見せ掛け圧力を掛け続けます……砦の食料が尽きるまで」
「それだけか?」
「はい。それだけです」
マルコスは唖然と呟くが、十四郎は笑顔で返事した。皆もマルコス同様唖然とするが、アリアンナは怪しい笑みを浮かべた。
「戦わない戦いか……」