家訓
「まさか、本当にやるとはな……」
呆れ声の混ざる表情で、アリアンナは十四郎を見詰めた。アジトでは十四郎が討伐隊を撤退させたとの報告が先に届いており、手下達は歓喜と驚嘆に包まれていた。
「お約束通り、協力してもらえますか?」
「約束だからな。向うの部屋に行って、詳細を聞こう」
一礼する十四郎に対し、立ち上がったアリアンナは十四郎を隣の部屋に誘った。見ていたビアンカは、付いて行く十四郎の背中を唖然とした表情で見ていた。自分でも分からない複雑な気持ちの揺れ、それは嫉妬に近いのかもしれない。
「さて、手筈を聞こうか」
二人きりになると、大きな椅子に座りアリアンナが十四郎に視線を流す。十四郎は出来るだけ簡素に話すが、アリアンナは十四郎の顔ばかり見て真剣に聞いている様には思えなかった。
「あの……如何ですか?」
話し終えた十四郎は緊張気味に聞くが、上の空の様なアリアンナはポカンと聞き返した。
「何が?」
「いえ、今の話ですよ」
少し呆れ顔の十四郎がアリアンナを見詰めた。だが、目が合った瞬間にアリアンナは視線を逸らした。
「まあ、手下に被害が出ないなら……それより、そんな策で上手く行くのか?」
「上手く行かせるんです。モネコストロの民の為、そして他の国々の民の為にも」
十四郎の言葉にアリアンナは急に強い視線になる。
「他の国とはどう言う事だ? 自国の為だけじゃないのか?」
「自国だけ平和になっても終わりではありません。近隣の国が全て平和になってこそ、本当の平和なのです」
「それこそ夢だ……他国までだと、笑わせるな」
呆れ顔のアリアンナは一笑に付し、真剣な顔の十四郎を見る。
「確かに難しい事ですが、真の平和とは周辺全ての平和です」
「分かってるよ、そんな事……だが、それこそ夢物語だ……だが、その夢が実現したなら、アタシ達はどうすればいいんだ?」
分かり切ってはいるが、到底無理な十四郎の言葉をアリアンナは斬り捨てた。
「戦いの無い平和な世界には、盗賊なんてしなくていいいんです」
十四郎は真っ直ぐにアリアンナを見詰めるが、アリアンナは強い視線を返す。
「無法の荒くれ者達は、平和な世界には必要ないって言うんだろ」
「全ての人に平等に生活の安定が必要なのです。腕自慢なら、人々と国を守る”兵”になればよいのです」
「兵だと? 戦いを無くすんじゃないのか?」
矛盾を感じた。アリアンナは自分達の立ち位置と、境遇を改めて思う……平和な世界には居場所は無い、と。
「残念ですが、戦いは簡単には無くなりません。周辺国が平和でも、その先にはまだ多くの国が存在します。備えてなければ、悲劇に見舞われるでしょう」
「盗賊は兵になり民や国を守れ……か」
一瞬の光……アリアンナは十四郎が語る夢物語に、居場所の欠片を見た気がした。
「何もしなければ夢は永遠に夢です。私は知らぬ間に家訓に従って、道を歩み出したのかもしれません」
「カクン?」
十四郎は遠くを見ながら呟き、アリアンナの胸にその言葉が届く。
「義を見てせざるは勇無きなり」
意味なんて分からなくても、ニュアンスは伝わる。アリアンナの胸の奥には、熱いモノが流れ、母親の理不尽な生涯が脳裏を過った。
「盗賊がいない世界……」
呟くアリアンナに、十四郎は優しい笑顔を向けた。その笑顔は不可能を可能にする”魔法”じゃないかと、アリアンナは思った。
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「十四郎様、上手くやってるのかしら」
窓の外を見ながら呟くリズの背中に、ラナがそっと触れた。
「信じてるの?」
「あの人は、違いますから……どんな絶望も寄せ付けない」
そっと目を閉じるリズに同調し、ラナも目を閉じた。
「惹かれる意味なんて、考えるのは無意味って思ってた。単純に好きなだけだと、分かってた……でも、違うの……十四郎は」
「どう、違うんですか?」
同じ気持ちが流れる痛みのある胸を押さえ、リズが聞いた。
「……分かるでしょ? あなたも、女なら……」
ラナの答えは意味有り気だったが、リズには痛い程分かった。でも、言葉にはしたくなかった……ただ、リズは小さく頷いた。
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「お前……天馬か?」
金貸しの牧場で、他の馬がアルフィンに聞いて来た。聞いた馬も見事な肢体と美しい毛並みだったが、アルフィンの前では霞んでいた。
「天馬? 私の名はアルフィンだよ」
普通に答えるアルフィンだったが、他の馬も近寄って来る。
「確かに速そうだ」
「美しい……」
「実在したんだな……」
他の馬も口々にアルフィンの容姿を褒め、小さな輪の真ん中にアルフィンがいた。
「私はレパード、聞いた事あるだろ?」
初めに声を掛けた馬が自慢げに言うと、アルフィンは少し笑った。
「ごめん、知らない」
「エスペリアムで一番速いと言われた私を知らない?」
レパードは目を丸くし、他の馬達も騒めいた。
「それなら、他にどんな速い馬を知ってるんだ?」
隣の馬がレパードを押し退け、興味深そうに聞いた。
「知ってるも何も、他に知ってるのはシルフィーだけだよ」
「シルフィーって、神速のシルフィーか?」
「そうだよ、親友なんだ。シルフィーは私と同じ位に速いよ」
唖然と聞くレパードは、シルフィーと言う名前に少し後退った。目前のアルフィンとシルフィーと言う名前が、レパードのプライドを刺激し思わず悪態をつかせた。
「だが、お前を手放すとは……お前の主人はどうかしてる」
「手放したりしないよ。私と十四郎は家族だから」
痛い所を突いたつもりのレパードだったが、アルフィンは全く動じなかった。
「カゾク? 何を言ってる。相手は”人”だぞ」
「だって、十四郎がそう言ったんだ」
訝しげな顔をする馬に、アルフィンは平然と笑顔で言った。
「お前は売られたんだぞ! 人なんて信じられるもんか!」
そんなアルフィンに馬は声を荒げた。
「十四郎の事、信じてるよ」
「信じても裏切られるだけだ! お前はもう、ここから出られないんだ!」
それでも笑顔を絶やさないアルフィンに向かい、レパードの怒り、否、嫉妬心が爆発した。
「十四郎は必ず迎えに来るけど、こんな所から逃げ出すのは簡単」
アルフィンは踵を返すと、柵に向かって走り出す。
「止めろ! ここの柵は普通の三倍の高さだ! 幾らお前でも無理だっ!」
確かに柵の高さは尋常ではない。後ろ脚で立ち上がっても、その倍以上もありそうな高さは柵と言うより壁だった。だが、助走を付けたアルフィンは正面から飛んだ! レパードの目には柵(壁)を飛び越えるアルフィンの背中に、確かに白い翼が見えた。
「天馬だ……」
呟いたレパードを本当に驚かせたのは、柵を飛び越えたアルフィンの運動能力ではなく、外に着地した後に直ぐにまた飛び越えて戻って来たアルフィンの行動だった。
「どうして?……逃げられたのに」
「だって、十四郎が迎えに来るんだもん」
唖然と呟くレパードを余所に、アルフィンは笑顔で言った。