神格
「アリアンナ様! 今度は女がっ!」
慌てて報告に来る手下を、呆れ顔のアリアンナが溜息交じりに見た。
「全く……どんな女だ?」
「それが、その……」
口籠る手下は、禁忌に触れる言葉を言いたくない様だった。
「いいから、言え」
勘のいいアリアンナは、手下の表情で既に悟っていた。
「あの……見た事もない……いい、女です」
平身低頭の手下は、床に額を擦り付けた。
「で、用件は?」
「あっ、はい。魔法使いを追って来たようです」
頬杖のアリアンナが、怒ってない事で手下の顔は安堵に染まる。
「通せ」
やって来たビアンカを見たアリアンナは、一瞬腹の底に痛みに似た感覚を覚えた。到底敵わないと思わせる美貌は女のプライドを打ちのめすが、その美しさには確かに見覚えがあった。
「お前は確か……」
「すみません。私は記憶を失い、何も覚えてないのです」
アリアンナの脳裏では勇敢に父と戦う姿が投影されるが、目前のビアンカは別人の様に見えた。ビアンカ自身はアリアンナの事は覚えておらず、連れて来られたアリアンナの部屋でオドオドと周囲を見回していた。
「何しに来た?」
手下の報告で分かっていたが、アリアンナは敢えて聞いた。
「……記憶を、取り戻しに……」
俯いたビアンカが、言葉を漏らす。
「それだけか?」
強い視線でビアンカを睨むアリアンナは、ゆっくりと立ち上がった。服の上からでも分かる見事なプロポーションが、ビアンカを無言で威嚇した。
「それは……」
直ぐに十四郎の事が頭に浮ぶが、アリアンナはビアンカの様子から敏感に察知してストレートな言葉を投げる。
「魔法使いに会いたいんだな?」
「……分からない」
俯くビアンカに、アリアンナは怒号を浴びせた。
「分からないだと! たった一人で盗賊の元にやって来て、分からないだと! 本当に望みを叶えたいなら、自分に嘘を付くな!」
「望み……本当の気持ち……」
呟くビアンカの胸で、十四郎の笑顔が弾けた。
「さて……どうする?」
座り直したアリアンナが、ビアンカを見詰めた。
「教えて……十四郎の行き先を……」
「行ってどうする?」
真っ直ぐに視線を返すビアンカに、アリアンナは少し笑みを漏らした。
「行ってから……考える」
「そうか……」
アリアンナは手下に指示して、十四郎の居場所を教えた。そして、部屋を出て行くビアンカの背中を見詰めながら、アリアンナは呟いた。
「我ながら、お節介だな……」
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一瞬で指揮官を含めた数人を倒し、目前に立つ十四郎の姿を副官達は茫然と見詰めていた。それは抗う事の出来ない圧倒的な”力”であり、畏怖の念さえ凌駕していた。だが、部下の手前と指揮官としての威厳やプライドが副官を突き動かす。
「相手は一人だ! 臆するな! 一斉に掛かれば倒せる!」
周囲の兵が声に呼応し一斉に斬り掛かるが、十四郎は下げた刀を一瞬上げ、態勢を低くすると周辺を薙ぎ払った。峰側とは言え、その威力は凄まじく向かった兵達は瞬間に打倒された。
「まだだ! 必ず疲れる! 休む間を与えるな!」
叫んだ副官自身、自分の言葉が見当違いである事は分かり切っていた。討伐隊の半分近くを一瞬で倒しても、息一つ乱さない十四郎の姿を目の当たりにして。だが攻守のタイミングは、あっさりと十四郎が崩した。
幾重にも取り囲む敵兵の、一番厚い場所に自ら飛び込んだ……まるで、見えてる様に。
「何だとっ!」
副官が叫ぶと同時に、十四郎の刀が何度も見えない速度で往復する。骨を砕く鈍い音だけが空間に響き、地面に倒れる音と輪唱の様に耳に残った。
「……引いては頂けませんか?」
振り向いた十四郎は動きを止めると、副官に懇願する様に言った。騎士のプライドを鑑みても、無理だとは分かりきっていたが十四郎は敢えて口にした。
「何を寝言を! イタストロアの騎士に撤退は無い!」
副官は剣を構えるが、微かに震える手元を部下達は見逃さなかった。
「無理です! 奴は化物です! 見て下さい、あっと言う間に半分がやられた! 今のうちに撤退を!」
補佐官らしい男が、副官の腕を取った。
「臆したかっ! それでも騎士かっ!」
「冷静になって下さい! 目を見開いてよく見て下さい! 撤退より、全滅を選ぶ気ですかっ!」
周囲は倒れた者が幾重にも重なり、倒れてない者の目も死人の様に曇っていた。副官のココロも撤退に傾いてはいたが、最後に残る”意地”が背中を支えていた。
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「ナンダ、ハンブンイジョウ、タオレテイル」
ウーノが目にしたのは、途轍もない光景だった。だが、戦場に於いて”血”の臭いの漂って無い事が違和感で、胸の奥に経験した事の無い何かが湧き出す。
「ダレモ、シンデナイ」
ドゥーエも確認すると、感嘆の言葉を漏らした。
「ホントウニ、マホウナノカ?」
自問する様に呟くトーレは、二人の顔を交互に見た。
「既に大勢は決まってる。後一押しで決まる」
足元に来たローボは、三人に向かって言った。
「オマエハ?」
言葉を話すローボにウーノは驚くが、十四郎と一緒に居た事を思い出すと何故が素直に受け入れられた。
「ドウスレバ、イイ?」
ドゥーエは普通に聞き、トーレも身を乗り出す。見ていたウーノも、自然とローボを見詰めた。
「十四郎の圧倒的強さに怯んではいるが、所詮十四郎には迫力がない。ならば、人を越えた恐怖を味合わせてやれば、直ぐ崩れる」
少し笑った様に、ローボは呟いた。
「ソウカ!」
赤い仮面を被り直し、ウーノが真っ先に飛び出した。続いてドゥーエが飛び出し、ローボは最後に残ったトーレに聞いた。
「何故十四郎を助ける?」
「……ソウダナ……タブン、オマエトオナジダ」
背中で言ったトーレの言葉に、ローボは苦笑いした。
「同じか……」
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戦意を失いつつある討伐隊の目前に、赤い三つの仮面が現れた。
「赤き死の仮面だっ!」
誰かが叫ぶと、ウーノ達の意図する展開と逆になった。失われた士気が一気に盛り返し、兵士隊の顔に血の気が戻った。
「ナゼダ!」
思わずウーノが叫ぶが、見当は付いていた。十四郎の前では、死の仮面と恐れられるウーノ達でさえ”普通”なのだと。
「分かったか? 十四郎は違うんだよ」
ウーノの横を銀の影が跳び、頭の中に低い声が木霊した。今度はローボが討伐隊の横を擦り抜け、十四郎の横に立った。
「ローボ殿……」
唖然と呟く十四郎の横で、ローボは渾身の遠吠えを上げる。流石に迫力と破壊力が違う、討伐隊は一気に戦意を失った。
「銀の狼……神獣ローボ……」
呟く副官の目には十四郎に寄り添うローボが大写しになり、十四郎をも神格化した。
「撤退だ……神を相手には出来ない」
意識を取り戻した指揮官が、両側を支えられ副官に告げた。
「しかし」
「見よ。我らは誰も死んでいない、これは夢か? それとも神の啓示か?」
周囲を見回す指揮官の声に改めて周囲を見ると、副官の目には顔を顰めながらも立ち上がる味方の兵達の姿があった。
「分かりました……」
頷く副官は静かに言ったが、自分でも不思議なくらい悔しさはなかった。