鍵
「どうしたの?」
浮かない顔のビアンカに、ラナが心配そうに声を掛けた。
「別に……」
窓の外を見ながら呟くビアンカの横顔は、ラナでさえハッとする位に美しかった。
「今まで、自分に出来ない事なんてないと思ってた……でも、その力は私を取り巻く周囲の力だった……本当の私には何の力もない……でも、あなたは違う」
「どこが違うの?」
見詰めるラナの顔は真剣だが、ビアンカには見当も付かなかった。
「あなたはモネコストロ騎士団のヘッドナイト。その剣の腕は隣国にも響き渡っている」
「……そんな事……言われても……」
ラナの声は少し強めにビアンカに向くが、ビアンカ自身は全く覚えがなくて戸惑うしか出来なかった。その怯えた様な様子は、ラナの胸の中で複雑に絡まった。
「その剣は十四郎と同じ異国の剣」
窓際に立てかけた刀をラナは愛おしそうに見る事で、切口を変える。
「十四郎が、これと同じモノを?」
一瞬、ビアンカの胸の奥に光が横切る。今まで触ろうともしなかった刀が、たった一言で特別なモノに見えた。
「あなたは十四郎に出会った……そして、十四郎は一番大切な人になった」
「十四郎が、一番大切な人……」
ラナの言葉がビアンカの胸に突き刺さる。急な痛みは、十四郎の顔を思い出す事で増幅した。
「私もね、十四郎の事が好きなの。リズも、リルもノインツェーンも皆そうなの」
ラナは少し戸惑う様に呟く。その言葉には、ほんの少しの”嫉妬”が含まれていた。
「皆が……」
ビアンカの胸の中にも、自分でも分からない黒いモノが渦巻く。
「あなた達は繋がってる……でも、思い出さないなら……十四郎は誰かに盗られるかもね」
そう言い残し、ラナは部屋を出て行った。残されたビアンカは、ずっと刀を見詰め続けた。
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ココとリルはパルノーバの情報集めに奔走し、フォトナー達も周囲の地形などを細かく調査していた。マルコスやダニー達は食料の買い占めを続け、ツヴァイ達はその護衛に付いていた。
宿で何もしていないのはラナやバンス、ランスローとビアンカだけだった。
「ビアンカがいなくなった!」
リズがラナの部屋に大声を上げて走り込んで来た。
「どうしたの? 血相を変えて」
ソファーに座ったラナは、上目遣いにリズを見た。
「いなくなったの! 何処にもいないの!」
「何だと!」
慌ててランスローが探しに行こうとするが、ラナは落ち着いた声で制止した。
「待ちなさいランスロー。ビアンカは自分から記憶を取り戻そうとしているの」
「しかし! 今のビアンカ殿は記憶だけでなく、剣技さえ忘れているんですよ!」
思わずランスローが怒鳴る。確かに今のビアンカは普通の娘でしかなくて、一人での行動は危険度が大きかった。だが、落ち着いた様子のラナにリズは思い切り不信感をブツけた。
「どうしてそんなに平然としていられるのですか? 心配じゃないんですか?」
「心配してないと思うの? ビアンカは私にとって、初めての友達なのよ」
強い視線でリズを睨んだナラは小刻みに震えていた。リズは身体の力を抜くと、静かに聞いた。
「それならどうして?……」
「私がココにいる理由は知ってるでしょ……全てを捨て、十四郎の傍にいようと思った。でも……きっと、十四郎はビアンカを選ぶって、気付いた……ビアンカが妬ましかった……そして、憎かった……でも……記憶を無くしたビアンカは、私にとって初めての友達になった……私に普通に接してくれる……友達に……だから、私はビアンカを助けたい。例え記憶が戻り私を前の様に一歩下がった関係になっても……今の対等な友達としてのビアンカを、元に戻してあげたい……」
言葉を紡ぐラナをリズは黙って見ていた。皇女として、女として、きっとラナは今まで苦しんで来たのだろうと心情を察しながら。そして、聞き終わると小さく呟いた。
「それで、ビアンカに何を言ったんですか?」
「鍵はきっと十四郎なの」
ラナは小さな声で言った。本当はリズだって気付いていた……確かに微かだが、ほんの少しだが、ビアンカが十四郎に反応している事を。
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「十四郎、この人達何も話さないね」
シルフィーが不思議そうに十四郎に聞いた。
「そうですね。きっと、口下手なんでしょう」
平然と言う十四郎にシルフィーは苦笑いした。シルフィーには、三人が人でなく獣の様な”気”を発し続けている事に気付いていたから。当然、十四郎も気付いているだろうが全く意に介さない十四郎をシルフィーは益々好きになった。
山を二つ程越えると、遠くに焚火の火が見えた。三人は馬を止め、二本剣のウーノが十四郎に近付いて来た。
「……オマエ、ヒトリデ、タタカウノカ?」
その声は人でなく、獣の唸り声の様だった。
「あっ、はい。手出しは無用ですよ」
十四郎は普通に返事した。
「ヒャクハ、イルゾ」
今度は槍のドゥーエが聞いた。やはり獣の様な声で。
「そうみたいですね」
また十四郎は普通に言った。
「オマエ……ホンモノノ、マホウツカイカ?」
長剣のトーレの声が、不思議そうに聞いた。
「多分違います。私は、ただのサムライですから」
「サムライトハ、ナンダ?」
不思議そうに首を捻るウーノの仮面を見ながら、十四郎は笑顔で言った。
「私にも分かりません……義だとか、信念とか、そう言うふうに言う人もいます……でも、私は優しさこそが、サムライの本分だと思います」
「ヤサシサ?」
「はい。他人を思いやるココロです」
また首を捻るウーノに、十四郎は穏やかに言った。
「ワカラナイ……」
ウーノ達は三人共に俯くが、十四郎は微笑みながら続けた。
「相手の事を思い、相手の為に見返りを求めずに心を配る事です……あなた方に対するアリアンナ殿の様子こそが思い遣りです」
三人の中に、初めて会った時のアリアンナの事が思い出された。村を焼かれ、家族を殺され風前の灯だった自分達を救い、本当の家族の様に接してくれたアリアンナ……。
赤き死の仮面と呼ばれていたが、一般人を殺めろと言われた事はない。死に導くのは敵対する盗賊や、アリアンナを狙う者達だけだった。
「ナントナク……ワカル」
俯いていた顔をを上げたウーノが呟き、ドゥーエとトーレも頷いた。
「さて、行ってきます。三人は、ここで待っていて下さい」
そう言い残し討伐隊の所に向かう十四郎の背中を、ウーノ達は不思議な感覚で見送った。
「ねえ、十四郎。前から不思議に思ってたんだけど」
「何ですか?」
二人きりになると、シルフィーが穏やかに聞いた。
「どんな人でも、最後は十四郎の事が好きになるのは何故?」
「そんな事ないですよ」
十四郎は照れた様に頭を掻いた。
「多分……それが、魔法なんだね」
シルフィーは、十四郎に係った皆の笑顔を思い出しながら呟いた。