王宮
「私も行きたいのですが」
王宮への出発準備をしている時、ビアンカが急に申し出た。
「ビアンカ様は休まれていた方が……多分、状況もお分かりではないかと」
心配顔のマルコスだったが、ビアンカの表情は穏やかだった。
「お役に立てないかもしれませんが、リズさんに状況は説明して頂きました。この国では銀色の目は不吉だと言われていると聞きました。十四郎さんも毒による作用でそうなっているなら、毒によって記憶を失った私も証拠になるかもしれません」
「それは、そうですが」
記憶の無いビアンカを連れて行くのはリスクを伴う。新たな条件を出される危険も膨らむ事になる……マルコスは腕組みしながら思案した。
「多分、大丈夫ですよ。ビアンカ殿は賢い方、きっとうまく行きます」
十四郎は普通に賛成するが、マルコスは踏ん切りがつかなかった。
「連れて行ってみてはどうですか?」
頭を抱えるマルコスに、リズは微笑みを浮かべた。
「しかし……」
「ビアンカの言う通り、十四郎様は敵の毒で失明しただけです。この国では不吉とされる魔法使いではありません。それは確かな事です、証拠と言うならビアンカは最適だと思います」
渋るマルコスに向かって、リズはビアンカの言葉を支持した。
「分かりました。それではビアンカ様、お願いします」
「それならば、私も行きます!」
「お止めなさい」
勢い良くランスローが立ち上がるが、ラナが少し強い視線で止めた。
「見えない奴に、ビアンカ殿は任せられません!」
「見えてはいませんが、必ずお守りします」
ランスローの大声を、落ち着いた十四郎の声が制した。だが、興奮したランスローが十四郎に詰め寄る。一触即発、十四郎も穏やかだが下がる様子は見せない。マルコスが止めに入ろうとした時、ビアンカがゆっくり間に入った。
「私は信じてます……十四郎さんは、必ず守ってくれると」
「あなたは記憶が無いっ! 今はこの男を知らないっ! それで信じられるんですかっ!」
声を荒げるランスローが、今度はビアンカに詰め寄った。
「はい……」
そんなランスローの興奮をよそに、ビアンカは小さな笑顔で頷いた。その笑顔はランスローの興奮を一瞬で収め、大きく息を吐いたランスローは黙って部屋から出て行った。
ラナはその様子を黙って見ていたが、胸の辺りに小さな痛みを感じた。そして、笑顔で見詰めるリズもまた顔には出さないが、お腹の辺りに圧迫感を感じていた。
______________________
王宮の荘厳な通路には歴代の王の肖像や宗教画が掛けられ、豪華な鎧に身を固めた衛兵が通路の両端に立っていた。靴が沈み込む絨毯は、王家の紋章をデザインしたかの様にライオンや鷲が散りばめられ、その上を歩く事を躊躇させる。
「お前、緊張しないのか?」
平然と歩く十四郎に、冷や汗を流しながらマルコスが聞いた。
「ええ、何も見えませんから。それより、着ている服が窮屈で」
振り返った十四郎が苦笑いで言うと、心臓が喉まで出掛かってたマルコスの緊張を和らげた。マルコスもそうだが、十四郎も王との謁見と言う事で正装をしていたのだった。ビアンカも豪華なドレスを着て初めは戸惑っていたが、直ぐに慣れた様子だった。
「ビアンカ様も緊張は……」
言い掛けたマルコスは、周囲の豪華さに頬を染めて感動しているビアンカの嬉しそうな顔に、更に緊張を解き解された。
王室に入る為の最後のドアは背丈の二倍は優にあり、二人の衛兵がゆっくりと開く。その部屋の天井は見上げる程高く、正面の壇上には荘厳な玉座があり、国王エイブラハムが座り、その少し後方に大司教フェリペが立っていた。
エイブラハムは壮年で、整った顔立ちと黒い髪が特徴だった。そして、そのフルビアードの髭までもが威厳に満ち、筋骨隆々とした身体つきは見る者を畏怖へと導いた。
それに対し大司教フェリペは 好々爺然とした人物で、その人柄の良さそうな面持ちはマルコスにガリレウスを思い出させた。三人は並んで跪くと、深く頭を下げた。
「面を上げよ」
凛としたエイブラハムの声は広い王室に響き渡り、跪くマルコスを全方向から威嚇した。だが、そんなマルコスを尻目に十四郎は普通に顔を上げエイブラハムの方を見た。
『真正面から見るな!』
マルコスは心で叫ぶが、直ぐにエイブラハムは十四郎の瞳の色に気付いた。
「その方の目、毒に犯され見えないとは真の事か?」
「はい、見えません。瞳の色も私には見えませんが、他の皆からも色が変わったと言われております」
十四郎が答えると、エイブラハムは目で合図を送る。すると、一人の騎士が音も無く剣を抜き、十四郎の前に出た。そして、剣先を十四郎の瞳の寸前に近付けるが十四郎は瞬き一つしなかった。
ニヤリと笑ったエイブラハムがまた目で指示すると、騎士は大きく振りかぶり十四郎の頭を目掛けて剣を振り下ろした。マルコスの瞳孔が開き、ビアンカの背筋が凍った瞬間、額の手前数ミリで剣は止まった。
「見えてないのは本当の様です」
騎士は剣を収めると、エイブラハムに深々と礼をした。その豪華な鎧と、精悍な顔立ちで無精髭さえ凛々しく見える男だった。
「陛下、アレックスが言うのです。間違いありません」
フェリペが耳打ちすると、エイブラハムは満足そうに頷いた。
「もしや、ビアンカ殿では……」
急にアレックスはビアンカに近付いた。キョトンとするビアンカは、不思議そうな顔でアレックスを見詰めた。
「陛下、この方は近衛騎士団のビアンカ殿です」
「ほう、あの有名な女騎士か」
アレックスの声に、エイブラハムも思い出した様に頷く。
「ビアンカ様も毒により記憶を失っております」
頭を下げたまま、マルコスが言う。
「そうか……」
エイブラハムは一言だけ言うと、十四郎に視線を移した。
「その方が我が国を存亡の危機に貶める魔法使いでなく、モネコストロの魔法使いである証拠を見せるがよい」
「どの様な?」
「見えなくても、魔法使いならアレックスを倒せるはずじゃ」
伏して聞く十四郎に向かい、エイブラハムは不敵に笑った。
「十四郎、騎士長アレックスはエスペリアム最強の騎士、見えないと無理だ」
顔面蒼白のマルコスに振り返ると、十四郎は穏やかに言った。
「多分、大丈夫です」
その優しい笑顔は、何時になくビアンカの胸を刺激した……”不思議な”の予感として。