不安
「明日には王都、マドーリだ」
「その後はどうするんですか?」
十四郎の質問に、マルコスは少し笑った。
「後は俺の仕事だ……護衛、ご苦労だったな」
「いえ……」
頭を掻いて微笑む十四郎の横顔を、ラナは馬車の中から見て呟いた。
「どうして、あんな笑顔が出来るのかな?……」
「えっ?」
隣に座るビアンカが首を捻る。シルフィーにはリズが乗り、ビアンカは大事を取ってラナと同じ馬車に乗っていた。
「私は、あの笑顔を見るだけで胸が苦しくなる……あなたは?」
ラナの質問に、ビアンカは少し笑って答えた。
「優しい笑顔だね……でも、分からない……何も思い出せない」
「思い出したくはないの?」
「分からないよ……」
俯くビアンカの頬に美しい髪がパラリと落ちる。同性であるラナでさえ、一瞬胸がドキッとした……”男の人は、こんな娘を好きになるんだろうな”と、ラナはココロの中で思った。
そして、反対側を行くランスローを見る。ランスローは前ではなく、ビアンカの事ばかり見詰めていた。ランスローだけではない、ダニー達やフォトナーの部下達もビアンカの事ばかり見ている。
「……もし、十四郎があなたの事を好きって言ったらどうする?」
言うつもりはなかった、聞くつもりもなかったが、言葉が自然とラナの口から零れて消えた。
「えっ、何か言った?」
遠くを見ていたビアンカが振り返った。
「いいえ、なんでもない」
ラナは、ぎこちない笑顔を向けると、視線を逸らす。真っ直ぐなビアンカの瞳が、強く胸を圧迫したから。
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最後の一日は王都手前の街だった。モネコストロの様な小国と違い、王都の近くと言うだけなのに、その規模に驚く一行だった。
「モンテルカルロスが田舎町に思えるな」
「そうですね。祭りでもないのに、この賑わい。アルマンニの首都も、こんな具合?」
マルコスの言葉に頷いた後、ココはツヴァイに話を振った。
「ああ、こんな感じだ」
ビアンカを守れなかった事を悔やむツヴァイは、まだ元気を取り戻していなかった。
「来いよ、飲みに行こう」
「俺はいい……」
「皆で行って来い」
ココが肩を抱き誘うがツヴァイは俯くだけだったが、マルコスが無理矢理背中を押した。ゼクスやノインツェーンもツヴァイの背中を押して、やっとツヴァイは同意した。
全員が街へと繰り出し、残るのはビアンカとラナ、バンスとランスローだけだった。十四郎も無理矢理リズが引っ張って行き、ラナは少し複雑な気持ちで見送った。
「十四郎様、飲んで下さい」
真っ赤になったリズが無理矢理勧めると、戸惑いながらも十四郎は酒を飲んだ。
「十四郎様! 結構いける口ですね~」
「離れろ!」
上機嫌のノインツェーンが、十四郎に抱き付きリルと睨み合っていた。
「十四郎様! 本当に申し訳ありません」
真っ赤になったツヴァイは何度も頭を下げるが、その度に十四郎が宥めていた。大きな酒場だったが、そんな一行の貸切状態になっていて、マルコスも十四郎の隣で何杯も酒をお代わりしていた。
「自信はあるんだ……でも、絶対の自信じゃない」
テーブルに突っ伏したマルコスが、独り言の様に呟く。
「私に出来る事があれば、何でも言って下さい……」
十四郎は伏せるマルコスの背中に呟く。
「……本当は不安で堪らない……モネコストロの運命が、俺に掛かっている……今すぐにでも逃げ出したい……正直な気持ちだ」
伏せたまま、マルコスは言葉を震えさせた。
「あなたは、逃げませんよ……」
十四郎の言葉がマルコスの背中に覆い被さる。
「どうして分かる?」
「命さえ賭ける価値がありますから……国の存亡は」
その言葉はマルコスの胸に突き刺さった。
「賭ける価値か……」
顔を上げたマルコスは、酒ではなく水を一気に飲み干した。
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「どう? 体の具合は?」
宿のベッドに横になったビアンカを、心配そうなラナが覗き込んだ。
「大丈夫……少し頭が痛いだけ」
ずっと考えていたが、思い出そうとすればする程に記憶は霞んだ。
「焦る必要は無いわ。少しづつ思い出せばいいから」
寄り添うラナの顔を見ながら、ビアンカは天井を見詰めたまま聞いた。
「私は何をしようとしてたの?」
ラナは順を追って正直に、細かく答えた。ビアンカは黙ったまま、ゆっくりと瞬きをしながら聞いていた。だが、話を聞いても何も思い出せないし、何の感情も浮かんでこなかった。
だだ、思い出してみる十四郎の笑顔だけが、胸の奥で複雑に澱んでいた。