余韻
怪我人を馬車に乗せると、マルコスは出発の号令を出した。アインス達をこのままにして行けば、再び襲って来る事は容易に予想は出来る。だが、誰も異論を唱えずに淡々と出発の準備をした。
「十四郎、本当に見えないの?」
心配顔のシルフィーが、アルフィンに聞いた。
「そうなの、見えないって言ってるけど……」
アルフィンも心配そうに呟くが、その視線の先では十四郎が普通に動き回っていた。誰もが事情を知っているだけに何度も見えるのかと聞き、その度に十四郎は笑顔で見えないと答えていた。
「昼過ぎには国境だ。皆、疲れているが国境を超えればゆっくり休める」
出発すると、隣に並ぶ十四郎にマルコスが声を掛けた。
「今はまだ、夜中なんですよね?」
「ああ、まだ真っ暗だ」
月の明りも雲に覆われ、地面までは届かずに道の先は暗闇が覆っていた。
「それでは、私が先導します」
十四郎はアルフィンの手綱を引くと前に出て、すかさずローボが後を追う。
「十四郎に続くんだ」
仕方なく後方に声を掛けるマルコスだったが、一行のスピードは昼間と変わらない速さで進む事になった。
「いいのか?」
先頭を行く十四郎をローボが見上げた。残した来たアインス達の事を、ローボは気にしていた。
「判断したつもりです」
十四郎の声には迷いなど感じられず、ローボはフンと鼻で笑った。
「そうか……これから先は人が多くなる。流石に国境を越え、王が住む場所に一緒には行けない……私は暫く別行動を取るからな」
「分かりました、お気を付けて」
「それは、こちらのセリフだ」
鼻で笑ったローボは、夜の闇へと消えて行った。
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ビアンカは朝が来るのが待ち遠しくて堪らなかった。冷たい地面と土の臭いも、十四郎と過ごした川の畔を思い出す要素に過ぎず、視線を映せば目の前に十四郎がいる様に思えた。
今日の午後には十四郎に会える。そう考えただけで、胸のドキドキが止まらなかった。少し離れただけで、ビアンカの気持ちは大きく揺れていた。そして、まだ日が登りきらない薄明り中起き出した。
「ビアンカ様、まだお休みになられていた方が。あまり眠られてない様ですし」
「あなたも、あまり眠ってないのでしょう」
直ぐにツヴァイ近付て心配そうな顔を向けるが、ビアンカは微笑み返す。
「私は、ビアンカ様の護衛を十四郎様に……」
「ありがとう、ございます」
微笑みながら頭を下げるビアンカを見て、慌ててツヴァイは後ろに下がった。
「その、役目ですから、十四郎様に託された……」
「ツヴァイさんも、十四郎の事が大好きなんですね」
微笑むビアンカの笑顔が眩しくて、ツヴァイは目を合わせられずに呟く。
「十四郎様の為なら命も惜しくはありません」
「だめですよ。それは十四郎が一番望まない事……自分の命を大切にする事が、十四郎を一番喜ばせる事ですから」
「はい……」
まるで十四郎に言われている様に、ビアンカの言葉はツヴァイの胸に響き渡った。
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目を開いたアインスは全身の痛みに顔を歪めた。夜空には満天の星が輝き、夜露に濡れた体が冷たかった。
「何で? あれは本当の魔法……」
呟いた途端、身体が震えた。抗えない圧倒的な力にと言うより、自分自身に怒りが込み上げた。自信もプライドも完膚なきまでに叩きのめされ、残るのは”怒り”だけだった。
だが、怒りに任せ起き上がろうにも体は動かず、激痛だけが全身を駆け巡る。
「アインス……大丈夫か?」
仰向けで空しか見えない視界に、無表情のツヴァイが映った。
「ああ、生きてる」
「どうする?」
「もう少し横になってから考える」
何も考えず答えて首を横に傾けると、周囲には倒れたまま動かない騎士達が見えた。
「分かった」
そう言い残し、ツヴァイが視界から消えた。大きく息を吐くと、少しづつ頭が動き出した。
「そうか……魔法使いを苦しめるには……」
仰向けになったまま、アインスは口元を綻ばせた。
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「魔法使いから、視力を奪ったそうです」
大きな椅子にもたれる七子の傍で、ドライが報告した。
「ほう……」
「ですが、その後に全員が叩き伏せられた模様です」
「見えないはずだろ?」
七子は怪しい笑みを浮かべ、ドライを見た。
「そのはずですが」
表情を変えないドライを横目で見ながら、口角を上げた七子は話題を変える。
「動向は掴めたのか?」
「ビアンカが別行動を取りましたが、要因は群がる求婚者を躱す為だと……その後、本隊はエスペリアム国境に向かいました」
「引き続き探れ」
少し考えた七子は、低い声で指示を告げた。
「アインスはどうしますか?」
「暫くは、そのまま監視を続けろ……」
「はっ」
下がるドライを見ないまま、七子は窓の外に視線を移した。微かに震える指先を、他人事の様にぼんやりと見詰めながら。