境界
「どうして、こんな道を通ってたんですか?」
夫婦は小さな馬車で移動しながら、シルフィーに乗って隣を行くビアンカに父親の方が不思議そうに聞いた。
「それは、少し訳有りで……」
ベールを捲ったビアンカが、曖昧に微笑んだ。
「そちらこそ、こんな危ない道を……」
反対側を行くツヴァイが今度は聞き返す。
「子供が生まれましたので、妻の実家に向かう途中なんです。街で近道があると聞いて……」
「教えたのは多分、盗賊の仲間ですね。あなた方の様な旅人を脇道に誘い込んで襲う、常套手段です」
「教えてくれてのは、普通の人の様でしたが……」
父親は不思議そうに首を捻った。
「如何にも盗賊って人にこの道を教えられたら通らないでしょう、普通は」
少し呆れた様にツヴァイは言って、父親も恥ずかしそうに頭を掻いた。
「そうですね、迂闊でした」
「サーシャ、可愛いですね」
ビアンカは母親が抱くサーシャばかり見ていた。
「ビアンカも欲しいの? 赤ちゃん」
「な、何いってるの!」
首を傾げるシルフィーの言葉に、ビアンカは真っ赤になって口籠る。
「あの、もしかして馬の言葉が分かるんですか?」
目を輝かせた母親がビアンカを見詰め、少し照れた様にビアンカが頷いた。
「あっ、はい」
「私の故郷では、動物の言葉が分かる人……その人は天使であると言われてます」
愛おしそうにサーシャを見詰めながら、母親は穏やかに言う。
「天使ですか……」
ビアンカも愛おしそうに、サーシャを見詰めた。なんだが、魔法使いって言われる十四郎の気持ちが少し分かった気がした。他の人には無い”能力”努力して得た訳でもなく、ある日突然授かった”力”……。
その力をどう使うのか、何の為に使うのか……答えはきっと、十四郎の進む道にあると、ビアンカは思った。
「動物の言葉が分かるって、どういう気持ちと言うか……どんな感じですか?」
母親は視線をビアンカに向けた。
「そうですね……漠然とはしてるんですが、何て言うか……通じ合えるのなら、人と動物の垣根を越えて分かり合えるって言うか……」
「その力は何時頃?」
母親は笑顔で聞くが、ツヴァイがビアンカの代わりに答えた。
「ビアンカ様にも、お分かりでないのですよ」
「差支えなければ、旅の訳をお聞かせ頂けませんか……」
今度は父親が穏やかな視線を向けた。
「それは……」
「実は私達は大道芸の一座なのです。ビアンカ様の美しさ故、求婚者が後を絶たずに我々だけ別行動しているのです。それでは、私達は先を急ぎますので……この先から、大きな街道に抜けられます。安全の為にも、そちらを通る事をお勧めします。それではビアンカ様、参りましょう」
ビアンカの言葉を途中で遮り、ツヴァイが強引にビアンカを引き離した。
「えっ、でも安全な所まで……」
「ビアンカ様、お早く」
後ろ髪引かれるビアンカを、ツヴァイは無理矢理に連れて行く。ビアンカは何度もサーシャの方を振り返った。
「ツヴァイさん、どうしたんですか急に?」
「少し引っ掛かりました。こんな夜道を、教えられたからと言って通るのは不自然です。別に急ぐ様な素振りもありませんし……それに」
「まだ何か?」
「はい……アルマンニの魔法使いは、情報の収集には長けています」
ツヴァイの言葉はビアンカの胸に刺さる。何度も十四郎を罠に掛けた七子の存在が、改めて胸の中で黒く渦巻いた。
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「まるで見えてる様だな」
普通にアルフィンに乗る十四郎の姿を見て、ローボは走りながらも口元を綻ばせる。簡単に木々を避け、枝が顔に当たる寸前には当たり前の様に避けていた。
「それが、何故が分かるんですよ……視界は真っ暗ですけど」
照れた様に笑う十四郎だったが、ローボは身体の事も心配だった。
「体の痛みは?」
「消えた訳ではありませんが、大分楽になりました」
屈伸をした十四郎は笑顔を向ける、その様子は全く普通でとても目が見えないとは思えなかった。
「本当なの? 無理しなくていいんだからね」
振り返ったアルフィンも心配そうな顔を向けるが、十四郎は優しくアルフィンの首筋を撫ぜた。なんだかそれだけで、アルフィンのココロはとても穏やかになった。
「他に変わった事はないか?」
普通な事が心配で、ローボは十四郎の顔を覗き込んだ。
「そうですね。見えないけど見えるって感覚には少し慣れてはきましたが、それがその……」
十四郎が口籠ると、ローボは急に立ち止まり十四郎を強く見詰めた。
「どうした? 何処が変なんだ!」
明らかに自分の事を心配してるローボの事が、なんだか嬉しくて十四郎は自然と笑顔になった。
「それが、分かると言うか、感じるんです」
「だから、何を感じるんだ!」
思わずローボは声を上げる。
「例えば……あそこ」
十四郎が指差す方角には、古い巨木があった。
「十四郎、あの木がどうかしたの?」
キョトンとしたアルフィンが、巨木を見詰めた。
「あの木の言葉って言うか、気持ちが分かるような……」
「何だと? あの木が何と言ってる?」
驚いたローボが、少し早口になった。
「あの……通じる者が現れたと……」
曖昧な顔の十四郎も、巨木を見詰めた。
「……それは、お前の事を言ってるんだな?」
ローボの言葉は真剣だった。
「はっきりとはわかりませんが」
十四郎は曖昧に笑うしか出来なかった。本当に自分でも分からない、ただ漠然とそんな気がしていただけだから。
「ローボ、どう言う事なの?」
アルフィンは自分だけ分からない事に焦りを覚え、真剣な眼差しのローボを懇願する様に言った。ローボは座り直すと、穏やかに言う。
「十四郎は、木々の言葉さえ分かる様になったのかもな」
「それって……?」
「境界を越え、こちら側に入ったのかもしれない……」
「こちら側ですか?……で、どちら側?」
ポカンと十四郎が聞く、当然アルフィンもポカンとしていた。
「神の側だよ……」
ローボの言葉が、暗い森に静かに響いた。