違和感
遠くに十四郎の背中が見える。ビアンカの心臓に氷の剣が突き刺さり、見開いた瞳は遠く霞む十四郎の横顔に固定された。
だが近付くにつれ、異様な雰囲気に気付くビアンカだった。
「何時もの十四郎じゃないみたい……」
シルフィーの呟きがビアンカの耳に不自然に絡まった。
「十四郎!」
先に十四郎の元に着いたアルフィンが駆け寄り、振り向いた十四郎はローボを見て少し驚いた顔をした。
「ローボ殿……」
「どうした? 何があった?」
来る途中、倒れていた男達の様子にローボは違和感以上の不快な感覚に包まれていた。十四郎の顔を間近で見た途端に、ストレートに言葉を出した。
「別に……」
視線を逸らす十四郎はローボが来た理由さえ聞かない、そんな十四郎にローボは強く言う。
「お前らしくないな」
「……」
何も答えない十四郎は後から着いたビアンカを見ると、一瞬ハッとするがローボの時と同じ様に視線を逸らせた。
一瞬の間合い。ラドロは目を疑う、白い馬の背中に乗って現れた銀色の狼が明らかに十四郎と話していたのだ。
「……モネコストロの魔法使いは、動物と話す事が出来る……」
茫然と呟くダンテの言葉がラドロの耳に張り付いた。
「本物の魔法使いだと?……」
ラドロの腹の底に一瞬停滞していた怒りが再び燃え上がるが、目を凝らせたダンテがローボを見ながら思い出した様に言葉を震わせた。
「あれはまさか……銀色の巨大な狼……神獣ローボ」
「ローボだと?! あれは、ただの伝説だ! 何をしてる! 早く殺せ!」
思わずラドロが叫ぶ。イアタストロアに於いて神獣ローボは正しき者を導き、悪しき者をその銀の牙で裁く神として知られていた。
その声は今まで固まっていた手下達のスイッチになった。奇声を上げ、周囲から十四郎に襲い掛かるが、十四郎は何の躊躇もなく男達の指を打ち砕いて行く。
受け流した刀で男達の胴はガラ空きになっても、十四郎は相手の指先を狙い続ける。ビアンカはその姿が、とても普段の十四郎に見えなかった。アルフィンでさえ十四郎のそんな姿に絶句し、ランスローなどは言葉と体を固くして動かなかった。
「どうだ? いつもと違うだろ?」
ゆっくりと足元に来たローボがビアンカを見上げた。
「確かに違う……何かに怒ってる……物凄く怒ってる」
決して表情には出してない十四郎だったが、その行動はビアンカに予感みたいなものを感じさせた。ビアンカは唇を噛み締めると、小刻みに体を震わせた。
何故十四郎がこんな戦いをしているのか? どうして違和感が離れないのか? ビアンカには分からなかったが、一つだけは分かっていた。
「止めないと……」
呟いたビアンカは、ゆっくりと十四郎に近付いて行った。
「お前達は、他の馬を連れて安全な場所に潜んでいろ」
ローボはシルフィーとアルフィンに向かって言った。シルフィーは直ぐに納得するが、アルフィンは目を合わせようとしない十四郎の事が心配でたまらなかった。
「アルフィン、私達の役目は……」
「分かった。行こう、シルフィー」
アルフィンは、十四郎の背中を横目で見ながら呟いた。何もしてあげられない、自分の非力さ差を噛み締めながら。
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背後に回り込んだマルコス達は、物陰に隠れ息を殺していた。直ぐにココとツヴァイが偵察から戻り報告する。
「敵は約、五十人。十四郎様は主力と交戦中です」
「よし、ココとリルで弓手を倒せ。後の者は後方から一気に攻め込む。相手はイタストロア随一と呼ばれる盗賊だ。十四郎もマネをするのもいいが、気を抜くな。ここは目的地の途中だ、先はまだ長い事を忘れるな」
マルコスの言葉に全員が頷くと、一斉に走り出した。後方からの襲撃に、ラドロの部下達は混乱した。しかも、盗賊と青銅騎士では戦闘力がまるで違う、華奢に見えるノインツェーンでさえ、盗賊達を圧倒した。
ココとリルは、後方から弓を持つ者を正確に射抜く。当然、腕や脚を狙い致命傷は与えない。
ツヴァイとゼクス、ノインツェーンは相手の剣や槍を剣で受け流すが、攻撃は蹴りやパンチ
で次々に倒して行った。
「後方から、別の集団が襲って来ました!」
報告を受けたラドロが振り返ると、確かに戦う集団が目に飛び込む。しかも驚異的なな強さで手下達を圧倒していた。
「人数は分かりませんが、かなりの手練れです。服装は一般人ですが、おそらくは名のある騎士かと」
ダンテは正確に分析する。十四郎の脅威に比べれば、押されていても強いだけの騎士など脅威の内には入らなかった。
「まとめて始末しろ! 一人も生かして返すな!」
血管を浮かせた額で怒鳴るラドロは、完全に切れていた。そこには切れ者と噂されるラドロの姿は無く、ただの凶悪な盗賊に成り下がっていた。それ程に十四郎の存在は、ラドロの理性や心理を破壊していたのだった。
先行するツヴァイの後ろからはマルコスが続き、的確に相手の位置と状況を把握しながら進んだ。
「十四郎様!」
ツヴァイが真っ先に十四郎を見付け、駆け寄ろうとするが急に立ち止まった。
「どうした?!」
追い付いたマルコスが見た物は、周囲に倒れる盗賊達だった。その誰もが指を押さえ、地面を転がりながら悶絶している。
「何があったんだ……」
呟くマルコスが次に見たのは、戦うビアンカとその足元の銀色の狼だった。
「ビアンカ様……あれは、まさかローボ」
ツヴァイも唖然と呟き、ゼクスやノインツェーンも言葉を失う。普通なら援軍が駆け付け、士気が上がる所のはずが、周囲は異様な雰囲気に包まれていた。
「おかしい、何時もの十四郎じゃない……」
ノインツェーンの耳元でリルが呟くと、リルの蒼白となった顔を見たノインツェーンは思わず叫んでしまった。
「十四郎様! どうされたのですか?!」
しかし、十四郎は振り向こうともせず、盗賊達の指先を撃ち砕く。
「何かに憑りつかれているみたいだ……」
初めて見る十四郎の姿に、ココも声を震わせた。
その時、”パンっ”という音が周囲に木霊した。その音は、ビアンカが十四郎の頬を打った音だった。
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「俺達、こんな事で王政なんか倒せるのかな……」
町に戻る途中の馬車の中で、ダニーが呟いた。
「戦いに参加さえ出来ないくて、ただ身を潜めてるだけだもんな」
仲間の一人、童顔の少年も情けなさそうに呟く。
「だけど、それが現実だ。今、俺達が戦いに加わったとして何が出来る?」
ダニーと同年代の背の高い少年は、吐き捨てる様に言った。確かにマカラ兵や、イタストロアの正騎士、ラドロの様な盗賊相手に戦える技量などなかった。
王政打倒を志し、訓練や鍛錬を繰り返して少しは戦えると思っていたが、ミランダ砦での戦いでも犠牲者を出しただけで、殆ど何も出来なかった。もっと言えば、十四郎がいなかったら全滅は必至だった。
「あのリズって人、十四郎様の戦いを見ろって言ったよな」
「ああ」
背の高い少年の問いにダニーは無気力な返事をするが、背の高い少年は質問を被せる。。
「マルコス殿が、俺達を誘った事と関係あるのかな?」
ダニーの中で、二つの事柄がゆっくりと繋がり言葉が漏れた。
「もしかしてたら、見せたいのかもしれないな」
「何を?」
今度は童顔の少年が、ポカンとした顔で聞く。
「戦うって……事を」
ダニーは自分に言う様に、ポツリと言った。