欲望
公演は大盛況で終わったが、想定外の事件が勃発した。サンルノ領主モンベルト侯爵の使いが、後片付けをする十四郎達の前に現れた。
男はアルベルトと名乗り、豪華な甲冑に身を包み、イタストロア人独特の深い彫りの深い顔と、短く刈り上げた褐色の髪、手入れされた立派な髭が特徴的な男だった。対応に当たるマルコスに、アルベルトは威圧的な態度で用件を述べた。
「我が侯爵様が、踊り子を気に入った。直ぐに差し出すよう申し付ける」
「生憎、我々はエクスペリアムへ友好訪問に向かう途中のアングリアン使節団です。使節の目玉とも言える踊り子を、お譲りする訳にはいきません」
跪いたマルコスは、丁重に断った。
「侯爵様の申し入れを断ると申すか?」
言葉は穏やかだが、アルベルトの目は険しかった。
「参ったな、侯爵の妻なんて……でも、私の身は十四郎様のもの」
陰で見ていたノインツェーンは、身体をクネらせ嬉しそうに笑った。
「欲しいのはビアンカだ。お前じゃない」
直ぐにリルが突っ込み、二人は額を突き合わせ睨み合った。ラナも片付けをしながら様子を見ていたが、胸の中では黒い靄が少しづつ湧き出していた。
「参ったわね。イアタストロア人は、女と金の為なら何でもするのよ」
心配そうな顔のリズはビアンカを見るが、本人は公演が終わった安堵感からなのか、笑顔で後片付けをしながら不思議そうに首を捻った。
「えっ、そうなの」
「世界中のどんな男でも、あなたのココロを射止める事は出来ないでしょうね……十四郎様以外は……」
最後の言葉は聞こえない様に呟いたリズが、視線を十四郎に向けるとツヴァイ達と一緒に一生懸命汗を流し、荷物運びをしていた。その後ろ姿は、安堵感? そんな穏やかな感覚がリズに大きな溜息を付かせた。
「ならば、直接本人に問う」
制止するマルコスを払いのけ、アルベルトは片付けをするビアンカ達の元に向かった。ノインツェーンやリル、リズやラナも惹き付けるモノはあったがビアンカは別格だった。
近付いたアルベルトの方を振り向いたビアンアの瞳は、アルベルトを一瞬で射止めた。
直ぐに駆け寄ったアルベルトの顔は、真剣そのものだった。
「我、妻にふさわしい」
跪いて声を震わせるアルベルトを、ポカンとしたビアンカが見詰めるとアルベルトの心臓は激しく動悸した。
「侯爵への献上じゃないのか?」
馬車に凭れたランンスローは、胸の底で渦巻く嫌悪感に言葉を吐き捨てた。主君の命でも自らの欲望で簡単に背く姿に我慢がならなかった。何より、ビアンカに対する態度はランスローの嫉妬欲を激しく刺激した。
「誰だお前は?」
敵対心を剥き出しにしたアルベルトは、凄い形相でランンスローを睨んだ。
「私は警護を担当する者だ」
負けじとランスローも睨み返す。
「警護だと? 笑わせるな。お前が、この娘の所有者だとでも言うのか」
不敵な笑いのアルベルトは、立ち上がるとランンスローの事を鼻で笑った。その侮辱的な言葉はランスローの怒りに点火し、剣に手を掛けたランスローが切り掛かろうとした瞬間、十四郎が穏やかな表情で割って入る。
「双方とも、お止め下さい」
瞬時にマルコスがランスローの腕を取り、早口で耳元で囁く。
「ここで問題を起こせば、全ての計画は頓挫します。どうか、自制を」
一瞬、ラナの方を見たランスローは強く睨み返され、剣を握った手を放した。ビアンカは十四郎の飛び出すのを見て、顔色を変えて駆け付けようするが無言のリズに強く腕を掴まれた。
「今度は何だ?」
ランスローとは違い、殺気どころか敵対心など微塵も感じさせない小柄で柔和な容姿の十四郎に、アルベルトは大きな溜息を付いた。
事態は一触即発の危機を一旦は免れるが、収拾した訳ではなかった。だが、その場を収めたのは凛とした態度でその場に現れたバンスだった。
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「我々は、アングリアン国王ウィリアムス一世陛下の使節団です。この様に無礼な振る舞いは、両国の国交に於いて多大な障害になると存じます」
「国王陛下……」
流石のアルベルトも青褪め、少し後退りした。すかさずバンスは、アングリアン国王からエクスペリアム国王に宛てた書状を取り出した。確かにアングリアンの正式な書状で、国王の紋章が輝いていた。
「侯爵閣下にも、その旨お伝え頂きたく存じます。今後、一切の干渉は無用と」
書状を丁寧に仕舞いながら、バンスは凛とした態度でアルベルトに言い渡した。
「承知致しました」
一礼の後、アルベルトは唇を噛み締めながら去って行った。直ぐにバンスの元に行ったラナは、バンスを問い質した。
「どう言うことじゃ」
「全て、陛下のご意志です」
バンスの穏やかな口調で、ラナは全てを悟った。喧嘩別れの様にして国を飛び出したが、国王であると同時に父親である事……ラナは、優しいウィリアムス一世の笑顔を思い出した。
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「アルベルト様、どう報告致しますか?」
側近の騎士は跪いたまま聞いた。アルベルトは怒りの表情で拳を震わせるが、目に焼き付いたビアンカの姿が何度も思い浮かんだ。
「……野党に襲われ、行方不明となる事はよくある話だ。野盗の仕業なら、後から征伐すれば全て丸く収まる」
「報告は、その後と言う事で……」
直ぐに周囲の騎士に指示を出す側近に騎士。
「使節団の人数は五十と言う所か……踊り子以外は全て始末しろ……野党の痕跡を残す事を忘れるな」
「御意」
小さく頷いた側近の騎士は、直ぐに準備に取り掛かった。