願い
「船を近付けろ! 乗り移るぞ!」
マルコスは大声で号令を掛ける。味方の士気は上がり、一斉に鬨の声を上げた。
「いいか! 首か心臓だ! 腕や脚では相手は怯まんぞっ!」
鬨の声に合わせ、フォトナーも叫びを上げた。船はその勢いで横付けとなり、一斉に味方が乗り込むと、混戦状態となった。
フォトナーは相手の剣を受け流すと、心臓を目掛け渾身の突きを放つ。腕には嫌な肉に喰い込む感触が伝わるが、剣を抜く為に相手を蹴飛ばすと返り血を浴びながら雄叫びを上げた。
マルコスも至近距離から確実に、相手の心臓を射ぬく。駆け寄るココが、薄笑みを浮かべながら叫んだ。
「師匠、腕は鈍ってないですね!」
「ほざけっ!」
素早く二の矢を放ったマルコスは、ココの背中に怒鳴った。
「十四郎……構えを教えて」
十四郎の横に並んだビアンカは、囁く様に言った。十四郎は正眼の構えから、上段と下段、そして八双と丁寧に構えて見せた。
「刀を腕の一部と思って下さい。構えは攻撃でもあり、防御なのです」
十四郎の言葉は完全には理解出来なかったが、ビアンカが十四郎の構えを真似ると一瞬の風が駆け抜けた。刀は光を乱反射し、ビアンカの姿は煌めく光の中心となり、十四郎は思わず笑みを零した。
ビアンカは構えたまま、ゆっくりと相手に向かった。マカラ兵達の動きが止まる、見ていたツヴァイ達でさえ、ビアンカの姿に息を飲んだ。
十四郎の相手を威圧し征服する絶対力と違う、相手を縛る構え。例えるなら、言葉にするとしたら”魅惑”……。
ランスローは船長室に戻り、遠くからビアンカを探していた。だが、小さく見えるはずのビアンカは、ランスローの視界の中で大きく優美に輝いて見えた。言葉が出る事は無く、ランスローは、黙ってビアンカの背中を追うだけだった。
ラナもまた、十四郎の背中を追っていたが、視界の隅に嫌でも入るビアンカの姿にココロを乱していた。自分でも分からない苛立ち、身体が震える程の昂揚感はラナにとっては新鮮ではあったが、良い気分ではなかった。
「綺麗……」
戦いの最中なのに、ノインツェーンは動きを止めて呟いた。遠くから見ていたリルは、ビアンカの姿に目を細めると、悲しそうな表情で顔を背けた。
「あんた、諦めるの? 負けを認めてスゴスゴと引き下がる訳? 私はごめんだね」
後ろ向きなリルの姿に、勝ち誇った様なノインツェーンが語尾を強くした。振り向いたリルはノインツェーンを強い眼差しで睨んだ。
「そうだよ、その目だよ」
嬉しそうに笑ったノインツェーンは、真横の敵を一撃で切裂いた。だが、リルはノインツェーンに向けて矢を放つ。矢は、ノインツェーンを霞め後ろの敵兵に突き刺さった。
一瞬驚くが、ノインツェーンは矢が刺さり倒れた敵兵を見ると、ニヤリと笑った。
「礼は言わないよ」
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構えが変わるだけでビアンカの動きは更に華麗且つ、大胆、そして、力強くなった。十四郎の戦いと決定的に違うのは、美しさだった。
魔法使いの術は見る者を恐怖で支配するが、その圧倒的な力に匹敵する女神の舞いは、見る者を魅了する。
十四郎がビアンカが、甲板の上を舞う。相対する二人の戦いは、やがて静かに幕を下ろした。
「終わったな……」
呟いたマルコスは辺り一面に散乱する、夥しい数のマカラ兵の姿に視線を落とした。人として生きていたなどうと言う痕跡はどこにも無く、彫刻の残骸の様に見えた。
フォトナー自身、十四郎の戦いは城門で見ていたが、本当の戦いを見て十四郎が魔法使いである事を確信した。だが、本当にフォトナーを驚かせたのは、ビアンカの戦いで目の奥に残る美しい姿は、戦いが終わった後も長く尾を引いた。
船が横付けされ、十四郎達は味方の船に戻る。所々火災を起こしていた敵船には、油が撒かれ大きく炎に包まれた。やがて沈没して行く敵船を見ながら、リズは優しくビアンカの肩を抱いた。
「ビアンカ、凄かったよ……まるで、十四郎様の様だった」
「そんな事ない……」
呟くビアンカの瞳から、大粒の涙が零れた。
「あなたは、強くなった……でも、それだけじゃない気がする」
リズはビアンカの戦いを思い浮かべながら呟いた。ビアンカは自分の事より、十四郎が戦いの後で、また前の様にならなかった事が何より嬉しかった。
内心は、傷付いてるかもしれないが、見えないモノを心配しても仕方ないと思いたかった。
十四郎はもう、大丈夫だと……思いたかった。だが、それは自信がある訳ではない、大粒の涙の訳は多分、そう言う事だった。
沈没して行く敵船を、悲しげな表情で見詰める十四郎の横顔を、ただビアンカは黙って見守っていた。流れる涙を拭おうともせずに。
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味方の損害は軽微であり、殆どが敵の放った矢によるもので、刀や槍による接近戦で命を落とした者は数人だった。
アングリアンの様式で海上葬が行われ、クックルが戦いに命を落とした英霊に感謝と賛美を送り、全員で黙祷した。
「あなたは、本当に魔法使いのようですね」
式が終わり、クックルが十四郎の元に来た。
「私には、何が魔法なのかは分かりません。ただ、皆さんを守りたい……それだけです」
遠く、水平線を見ながら十四郎は呟いた。
「私も、祖国や家族、乗組員を守りたいと思っていますが、出来る事には限りがあります。ですが、貴方を見てると、そんな制約は感じません……無限の可能性、それが貴方にはあるのです」
感慨深げに、クックルは語った。
「可能性は、全ての人にあると思いますよ」
十四郎の答えは在り来たりだったが、クックルには大切な宝物の様に聞こえた。
「姫様、如何なされました」
船長室では、茫然とするラナに心配顔のバンスが声を掛けていた。だが、どんな言葉もラナには届かずに、ただ通り過ぎるだけだった。
ラナのココロはビアンカに対する羨望と嫉妬、十四郎に対する憧れと恋慕が激しくぶつかり合い、思考の進行を止めていた。ただ、強く握った手が意志の決意を表していた。
リズは、真っ直ぐランスローの元に向かい、深々と頭を下げた。
「お口添え、感謝致します」
「私は、道化でしたね」
笑顔の無いまま、ランスローは返事した。戦いの最中でも、同じことばかり考えていた。
「そんな事は……」
視線を逸らせたリズは、申し訳ない気持ちに包まれる。だが、ランスローはもう一度、ビアンカを見詰めた。見ているだけで胸が高鳴り、呼吸が乱れた。
”それだけで、満足か?”ココロの声に、ランスローは即答した。
(そんな訳はない)、と。